今年も後少しですが、こんなに色々あった一年を

まるで何も変わっていないかのように過ごしているなんて・・不思議です

 

過去を辿るかのように

思い出して

色んな人が登場する夢を見て

 

母の夢も見ます

実家に帰ると母がお小遣いをくれようとしていました

いつまで経っても子供は子供、心配で愛されていることを感じています

 

引っ越しで、散々悩んだ「お仏壇」

きっちり仏間に納まっています

サイズを測って作ったかのようにピッタリです

 

まだ荷物が全て片付いた状態ではなかったけれど

和尚様が約束していた日に、預けていたお位牌と魂を入れる儀式のため、道具の様々を持って来てくれました

 

「お帰り~」そんな気持ちで

それこそ何もなかったかのように、今、父と母は一緒の写真の中で笑っています

うちだけの儀式のために、和尚様が用意してくださった

海のもの、山のもの、大地からの産物が並べられ、厳かなお経をいただきます

きちんと法衣に着替えてくださって、鐘の音が空気を清めてくれました

 

‟一緒にここで暮らそうね

これからも家族を見守っていてね“

 

新しい家は、息子一家も一緒です

 

和尚様が10年ほど前に

「一緒に住むか!?」と まだ独身だった二男に放った言葉を思い出します

 

取り巻く事情が色々変わったことで、その言葉に導かれるように

一緒に暮らすことになりました

 

母の介護中に必要だったグッズのほとんどは、あちこちに寄付をしましたが

何冊もの介護日誌は、まだ手元に置いておくことにしました

一個のダンボール箱に入れて、納戸に納めました

 

次回の引っ越し?には、処分できるかもしれません

 

引っ越し前、介護関係者にはご挨拶を兼ねて、お引っ越しの報告もしました

 

「介護業界の職員はすぐに辞める」と言われて久しいですが

絶対に辞めずに極めてくれるだろうと思う人達に出会えたことは幸せでした

 

そして、うちを担当してくれた訪問看護師とも、どうしても話したかったので

電話をしました

 

母亡き後、きちんとお礼も言えていないままで、看護所長としか話せていないなんて・・

(話させてくれないなんて?)、あり得ない!という気持ちでした

 

そんな気持ちが通じたのか、事務所の電話に出たのは、まさに担当の看護師でした!

「わぁ~!良かった!

不在だったらどうしようと思ってた!

話したかったんだよ!」

 

「私もお母さんが亡くなってから、どうしていらっしゃるだろうって、ずっと思ってました!」と言ってくれました

訪問先で、うちから寄付した母の物を目にされるようです

「今後もこの仕事を続けていく上で、とてもいい勉強をさせて貰いました!」

と、言ってくれました

 

私は、気になっていたことを一つ、お願いしました

看護所長にお願いはしているけれど、きっと通してくれていないであろう話

 

「母が亡くなる前の検査で初めてわかったこと。

右大腿骨骨折。

これは、当時の状況から考えてショートステイ先での事故であろうこと。

今更どうこう言いたい訳じゃなく純粋に、今後も起こりうることだから、どうか!自分で話せない、痛いということすら言えない重度の利用者に対して気を付けてあげて欲しい。」

 

今後、アノ施設関係者に出会うことがあったら、このことを必ず伝えて欲しい

「右腕に酷い打ち身の跡を作って帰宅したとき、‟誰も知らない”と言われたけれど、足も骨折していた」という事実を

 

この私の最後の依頼を看護所長がすでにしてくれているとは、到底思えないので・・

 

介護や看護で出会った人達とは、その対象者が居なくなれば、いつかは別れがくるものと分かっている

そして、それぞれの変化していく環境や関わっている人を知らないままで、

みんな違う世界で生きていく

もう二度と会うこともないかもしれない

 

それでも、「この話をアノ人に話したら、なんて言うだろう?」

そんな風に思い起こさせてくれる人達と出会えたのは、きっと母がいたからこその副産物!

 

母が居ないことを今更ながら現実として受け止めている私の本当の「寂しい」という心にはフタをして、生きていかなければいけない生活は・・

あらたな問題が起きていたのです