「全てが充足」が大前提なら


全ての不足は、私がただそう認識しているだけ

になる。


全ての事


今日、仕事帰りに駅の階段を降りながら考えた。


「このただの階段を不足に変えてみる」


なんで俺は毎日毎日同じ階段を降りなければいけないのだ。

ナゼ俺はエスカレーターが無い階段ばかりに出会うのだ。


大した不足にはならなかったが

コレらを本気で悩んでる人が居れば、その人の人生にとっては大きな不足の一因だろう。




ただの階段


ただそこにある階段




「階段があるおかげで歩いて地下に降りる事が出来る」

「この階段のせいで、いつも足腰へ振動が辛い」


どちらも「階段が在る」だけ。





いつも自分の認識はどこへ向いているのか。


わざわざ不足と捉えるのか。


自動反応の思考に気付いて、その不足を疑ってみるのか。


無理やり充足は無理でも

ニュートラルな立ち位置に立ってみるのか。