旧ソ連のスヴャトスラフ・リヒテルは20世紀を代表するピアニストの一人です。4月14日に放映されたNHK-Eテレ、「らららクラシック」で特集を組んでいましたが、子供の頃からリヒテルのレコードに親しんできた私としては強い興味を惹かれました。
 このピアニストについて番組でより深く知り、関連した情報をネット上でリサーチした結果、やはりリヒテルは偉大なピアニストであり、芸術家だという確信を深めた次第です。

・ブルース・リーはお好き?

 リヒテルはソ連ではなかなか手に入らない映画を国外で観るのを楽しみにしていたようです。その中でもブルース・リーのアクション映画を好んでいたという話が印象に残りました。

 リヒテルはブルース・リーに関して、生前親しかった翻訳家の川島みどりに「あんな美しい人間は他にいない」と語っていたそうです。
 川島自身はリヒテルの演奏姿を舞台袖で見ていて背中の筋肉の細かな動きがブルース・リーに似ていると感じたようで、そのことを伝えるとリヒテルは「私なんかと一緒にするな」と怒ったそうです。

 番組ではリヒテルの演奏シーンが放映されていて、その迫力に圧倒されました。私にはブルース・リーというより、熊が暴れているように見えました。

・空前絶後の凄まじい演奏を支えた、リヒテル独自の練習方法とは?

 番組では「音階練習なんかやったことがないね」と語るリヒテルの音声が放送されていました。
 リヒテルがピアノを始めたのは9歳の時。いきなりショパンから始め、いわゆる基礎練習という技術を維持向上させる目的の練習はいっさい行わず、ひたすら曲の反復練習をしていたそうです。アマチュアではこのような練習方法や指導も行われますが、プロのピアニストとしては珍しいと言えます。

 このことは私に、若い頃に難しい曲も難なく弾けてしまったため、基礎練習をあまりしなかったヴァイオリニスト、ユーディ・メニューインを思い出させます。ただ、神童としてもてはやされたメニューインは後年、技術的な不安定さを指摘されることになったことになりましたが、リヒテルにはあまりそのような風評は見られません。

 ただしリヒテルのコンサートはムラがあったのは確かなようで、ハンガリーのピアニスト、ゾルダン・コチシュによると、「リヒテルは演奏が不安定で、ときにひどくぎごちないときがあったが、集中力が完全に達したときは、他の誰にもできないすさまじい演奏をした」 のだそうです。

 そのことについてピアニスト・文筆家の青柳いづみこは「いつも平均レベルの安定した演奏を聴かせてほしいか、ときどきでよいから空前絶後の演奏を聴きたいか。そもそも芸術とは後者に属するものではないかと思うのだ。」と語っています。

 リヒテルが現在まで語り継がれるような名演奏を行えたのも、その独特の練習法が関係していたのではないでしょうか。

・リヒテルと日本の意外な接点

 リヒテルの映像を観ていてもう一つ気づいたのは悲しげな顔、寂しそうな表情が多かったことで、これはレコードのジャケット用に撮影された写真ばかり眺めていた私には意外な発見でした。

 番組ではスターリンの粛正によりドイツ人の父親が銃殺され、自身も国家から監視されていた、という経歴も紹介されていました。リヒテルはピアニストとしては世界的に成功しましたが、決して華々しいだけの人生ではない。むしろ社会的な名声とは関係なく、その人生には常に影が差していたようです。

 そんなリヒテルは日本を好んでいたようで、その生涯で8回の来日、62の都市で162回の演奏会を行っています。日本滞在中は小さなお寺や神社を好んで訪ね歩いていて、中でも佐助稲荷神社がお気に入りだったようです。

 前述の川島みどりによると、来日中は日本語の「厳か」という単語をよく使っていたそうです。政治的な思惑で様々な歴史的な建造物が破壊されてしまったソ連は「ニェット厳か」、(厳かではない、という意味)とも語っていました。侘び寂び日本文化の象徴である茶の湯を好み茶室で演奏会を開いたこともあります。

 音楽家としてのリヒテルは迫力のある音楽だけでなく、静謐な音楽もその才能を発揮しています。番組ではシューベルトの静謐な作品、ピアノソナタ21番も放送されていました。

 リヒテルの手によって録音されたシューベルトのピアノソナタ21番はこの曲の代表的なレコードの一つで、標準的なテンポよりかなり遅めに録音され、しみじみとした夢幻的な味わいを持つこの演奏は、未だに多くの愛好家を魅了しています。Amazonのレビューには「リヒテルの演奏を聴いてこの曲をとても好きになってしまった」というレビューも見られました。

 リヒテルのふと見せる悲しげな表情、静謐な音楽は、どこか日本文化と結びついているのかもしれません。

・ピアノについてのこだわりポイント。こだわらないことにもこだわる?

 リヒテルは日本の調律師とも強い結びつきがありました。調律師の村上輝久はリヒテルのリクエストに応えた調律をしたことでハグされ「凄く良かった」と気に入ってもらえたことを語っていました。「調律師を育てるシステムがある日本は素晴らしい」と語り、調律師のためのコンサートを日本で開いたこともあります。
 リヒテルと日本のピアノの関係はNHKのドキュメンタリー「プロジェクトX」で「リヒテルが愛した執念のピアノ」というタイトルで映像化されています。

 リヒテルはピアノについてこうも語っています。
「私は決してピアノを選ばない。ピアノを選ぶのはピアニストにとって有害だ。心理的な重圧になる。私は調律師やスタッフを信頼している」「悪いピアノはこの世にない。奏者が悪いんだ」
 これはリヒテルと同様に20世紀を代表するピアニストであったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリやウラディミール・ホロヴィッツらの
「お気に入りのピアノでないと弾かない」というスタンスとは対照的です。日本の諺で言うなら、「弘法筆を選ばず」といったところでしょうか。

 番組ではゲストで出演していた若手のピアニスト反田恭平が「たまに学生や友達が『いいピアノじゃなかった』とぼそっと言うことがあるけれども、我々(ピアニスト)がコントロールができないのが悪いんだ、というふうに考えましたし、事実そうだと思います」と語っていました。

 リヒテルがピアノを選ばなかったことは、やはりリヒテルを代表するレコードの一つとして挙げられているラフマニノフのピアノ協奏曲第2番のレコードについてのネット上での風評からも推察されます。その書き手によるとそのレコードが「スケールの大きな圧倒的名演奏」としつつも、「ピアノのピッチが若干狂っている。気分が悪いときに聴くと腹がよじれそうになるほど気持ちが悪い」ともコメントしています。

 こうした現代のピアニストには見られない不安定な要素も却ってリヒテルを芸術家として特徴づけているように思えます。リヒテルの音源や映像、伝記に触れることは、芸術とは何か?という問いに対して何らかの示唆を与えてくれるのではないでしょうか。