ああ、そうそう。クジラ漁の番組をやっていた。クジラ漁全てを否定はしないが、時代により節度を見極める必要があると思う。民族文化を主張するのはよいが、実情、商業捕鯨なのだから説得力はない。反捕鯨派の知的動物を食べるのは野蛮だという意見もおかしい。知的という判断の線引き自体が曖昧だ。僕がなにがイケないと思うかというと行き過ぎる行為だ。天然資源には限りがある。人は自然界の一部でしかない。なのに全てを独占しようとしている。国が許可していることだから間違いじゃないと思っている浅はかだ。本心でそう思っているのだろうか。いや違うだろう。誰だって自分を否定されることを認めることなんて出来ない。原発と同じだ。これまで推進して来た人たちが今でも抵抗するのと同じだ。現実から目を背けることでしか存在を肯定できない。なんて迷惑なんだ。時代は変わる。どんなに抵抗しようとも、時代は変わる。自然界から人間がいなくなるのが、一番の解決策だろう。あるいは、人類は長生きし過ぎるから自然サイクルを狂わすことばかり編み出すのかも知れない。そうだ人生四十年ぐらいでいいのではないだろうか。そうすれば自然界の一部でいられそう
に思う。
ああ、aikoはええなと、なんかしらんけど素直にええなという気持ちが湧いてくるのは何でかなと自分自身でも不思議がってる。なんかな自分だけの自分勝手な思いをぶつけるだけやないんやな、てな感情が織り交ざってるとこやないかと思いに至る。大切なひとのことを考える時ゆうんは、なんか自然と相手のことを思いやってるもんやと思う。自分や相手を思いやることは、まわりの環境を大切にするとゆうとこにこれまた自然と至ることやと思う。そうすると世界の不幸に目をやることゆうんは、決して大袈裟なことではなくて、考えるだけでもええ何んも出来んでも考える、思いやれる気持ちがまず大切なことなんやと思えてくるし、それは間違いやないよとaikoは言ってくれそうな気がしてくる。僕の勝手な言い分やけどそんな気にしてくれるaikoゆうんは、すんごいやつやなと僕から表彰状を贈るわ。えらいで賞。aiko、ややウケてな具合か、コラ。全然てか、ゴラ。
MAIA HIRASAWA の It Doesn't Stop の歌詞がなんともかんともステキなのだ。額面どおりに聞けはそれなりの彼女自身の身の上話しで終始してしまうのだが、僕は馬鹿だからもっと深い意味あいがあるんじゃないのかとやらしい想像力を目一杯発揮しようと聴いてしまう。そうすることでとてつもなくニヤリとほくそ笑んじゃう歌詞に変貌しちゃうからステキだ。メロディ、歌声や歌い方にいたっては、キュートなだけに僕の想像する世界にはまると、こと更のことむちゃくちゃかわいらしく思えてくるのである。僕も旅したい。てか、あたまのなかでは何時だって旅してる。It Doesn't Stop