食べることはエネルギーを頂くこと。カロリーや栄養価は分かりやすい指標だが、素材の持つ生命エネルギーを意識して食事をしてみる。

 

初めてブロッコリースプラウトを食べた時のことが忘れられない。プツプツとした食感、ナッツのような香ばしさ、仄かな苦み、躍動感のある味わいだった。種が芽を出し、まさに成長していくところを頂くのだから、生命エネルギーに溢れているに違いない。

 

旬の食材というのも、季節のエネルギーをしっかりと蓄え、その反映が美味しさに加わるのではないだろうか。超加工食品の害はよく耳にするが、栄養価とカロリーがのった工業製品であって、生命エネルギーは枯渇している。とはいえ、保存が効き持ち運びも楽だし、それなりの利点はある。必要に応じて活用すればよいが、最低限に留めたい。

 

不食の人は空気中のプラーナをエネルギーとして取り込んでいるというが、食べ物にもプラナーが含まれているはずだ。だとすれば、プラーナを多く含んだ食べ物を口にしていれば、少量でも十分なエネルギーを補給できるのではないだろうか。

 

物質的な観点からみると、新鮮な食材はビタミンを多く含み、酵素の失活が少ない。調理されて時間が経ったり、冷蔵庫で長く保存された野菜は栄養価が落ちてしまう。お味噌汁は特にできたてがうまい。朝つくった残りをお昼に温め直して飲んでも美味しさが半減している気がする。お味噌や野菜のエネルギーも出来てから時間が経つにつれて減少しているのだろう。

 

作り置きは忙しい人には便利な手段であるが、エネルギー的観点からは、一食ごとに食べ切れる分量で毎食作りたてを頂くのが理想だ。

 

大掃除で照明を磨いたとき、思った以上に部屋が明るくなって驚いた経験はないだろうか?

 


長い時間をかけて積もったホコリや汚れを取り除くと、照明が本来の明るさを取り戻す。毎日使っているからこそ、少しずつ蓄積していく汚れには気づきにくいものだ。

 

 

実は、体も同じ。代謝しきれなかった老廃物や毒素は、日々少しずつ蓄積されていく。変化はゆるやかで気づきにくく、それが「当たり前」の状態として特に意識することもなく過ごしている。

 

そんなことを実感したのは、コロナ禍に行った断食だった。
 

固形物を一切取らず、水だけで過ごす3日間。その前後の準備期間と回復期間を含めて、約1週間にわたるチャレンジだった。

 

断食中は頭痛やふらつきに悩まされる瞬間もあったが、終えたあとにまず感じたのは――体の軽さだった。

 

顔周りの肉が落ちてフェイスラインがすっきりし、お腹まわりの贅肉も消えていた。

 

何よりも印象的だったのは、体の内側から湧き上がる透明感と爽快感。まるで風が吹き抜けるような感覚。

 

 

「こんな感覚、子どもの頃にはあったかもしれない」
そう思った瞬間、これこそが本来の体――リセットされた状態なのだと深く理解した。

 

 

せっかく生きているのだから、体は軽く、心も軽く。本来のポテンシャルを100%発揮できる体を維持していこう。そう強く決心した。