10月17日(土曜日)

おはようございます。(^ ^)

昨日の【地図を見返すと当時の光景ってのが浮かぶもの...】に
コメントを下さり、ありがとうございます。

自分自身の昔の「メモ」なので、コメントが付くとは
思いませんでした...(^ ^)ありがとうございます。

ょぅ@さん、mainoさん、yumegabacho さん、
ユリ さん、しいにゃんさん、templecatさん、
takaneさん、夢おじさん美瑠偉さん、風待茶房さん、

皆さん、コメントありがとうございました。m(_ _)m

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◎東京・中野のさいとうプロ時代から退職後の六本木時代へ。
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まずは昨日の中野区の地図をもう一度。
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現在の さいとうプロダクションは中野駅の北側に移りましたが
当時の さいとうプロは地下鉄・新中野の「鍋屋横丁」に
ありました。
これが、当時の さいとうプロの写真です。
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以前にも書きましたが、私の履歴書の字が
さいとう先生の若い頃の字と似ている...と言う
極めてラッキーな理由で さいとう先生に拾われた私...。

「その日暮らし」の毎日で、明日も見えなかった板橋の生活から
一日でも早く抜け出したいと焦っていた私は、そのような偶然の
採用理由でも、とにかく「給料がもらえる」事でホッとしました。

...でも、内心は...
「お金が貯まったらデザイン関係の仕事を探そう」...などと
軽々しく思っていました。 
なぜデザイン関係かと言うと、学生のころ「日本通信美術学園」
というところでレタリングの通信講座を受けていたことが
あったので、まあ、出来ればそういう関係の仕事があればイイな
...などと思っていたからです...。

この写真は、当時のさいとうプロの作画室です。
手前がさいとう先生です。
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しかし、私は甘かった...(≧_≦)!

それまで漫画・劇画などいっさい興味が無く、絵だってロクに
描いたことがない自分ですから、どうやって皆に付いて行けば
良いのか....

一番下っ端の私は、仕事が終わったあとの居残り掃除が待っている
のですが、その時間になると、さいとう先生が下りてきて
一人ボチボチとペン入れを始めることが多かったのです....。

掃除をしながら、チラチラと先生がペン入れするところを
見ていましたが、そのうち後から覗くようになりました。
(^-^;)

毎日しつこく後で見るものだから、さいとう先生にしてみれば、
物凄くウザかったと思います。

でも、そのうちに先生はあれこれ話しかけてくれるようになり、
絵を知らない自分が、いかに勉強しなければいけないかを
アドバイスしてくれるようになりました。

今まで浅ハカだった自分の気持ちを、ここで入れ替えました。
(≧_≦)

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さいとう先生の人柄に引き込まれ、本格的な絵の勉強は
ここから始まりましたが、以前にも書いたことがあるので
省略します..... m(_ _)m。
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この写真は、さいとうプロの屋上でのワンカット。
皆んな、和気あいあいです(^ ^)
やっぱり皆んなも、さいとう先生の人柄が大好きなんです。

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番外編の話しになりますが....
さいとう先生は夜のお遊びが好きで、
けっこう私を連れて行ってくれました。

一番印象に残っているのは神田にあった超一流の豪華キャバレー。
サラリーマンのサイフではちょっと入れないような所です。
もう~凄く奇麗な女性ばかりがズラリ揃ったそこは
純情な私にはドキドキする嬉しい場所でしたヨ (*^ ^*)。

いま考えると酒が呑めない自分をよく頻繁に連れて行ってくれた
ものだ...と思います..。

もしかしたら
そういう場所に連れて行く事で「女」の勉強をしろ!
...というふうに解釈すればイイのかも知れません...
イヤ、そういうふうに取ろう...っと。(^-^;)>

また....
ある夜、仕事が終わってから さいとう先生に連れられて
中野ブロードウェイにある、とあるスナックに行きました。
そこの年増美人のママさんが先生のお気に入りだったようです。

その店に、手伝いで来ていると言う一人の女性を
ママさんが私に紹介してくれました。
その女性は私よりも5才年上でしたが、話しが合いました。

帰り際に、彼女に「絶対また来てネ!」と言われましたが
どうせ社交辞令言葉だろうと、行きませんでした。

ある日、さいとう先生に....
「蘭○チャンが叶クンのこと気にしているから行ってやれ」
....と言われ、一人で店に行ったその夜、.....

.....酒に酔った彼女にタクシーに引きずり込まれて、
行った先は阿佐谷の「彼女のお部屋」でございました。
.... (*≧_≦*)...。

それからが....純情だった叶 青年の波乱の幕開けと
なるのでございます...m(_ _;)m

...この頃、どうも自分は年上の女性に好かれるみたいで..
色々な出来事が起こります.....が、.....
これらの中野時代の話は...機会があればまた...。
m(_ _)m


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◎六本木時代
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数年が経過して....

さいとうプロで同僚だった、小山ゆう、やまさき拓味、
神田たけ志、山本又一朗各氏が退職したあと....

絵がまるで描けなかった自分を何とか独立出来るまでに
鍛えてくれた さいとう先生に、私も...ついに別れを
つげて退職します。

安住の土地であった さいとうプロダクションに、
あのまま身を置いていたら、先に出て行った仲間や自分は、
きっと作家としては世の中に名前が出る事は無かったでしょう。

でもさいとうプロを退職してからデビューするまで...
覚悟はしていたものの、やはり思うように行きませんでした。

その頃、
さいとうプロを先に退職してプロデューサーを目指していた
「山本又一朗」氏が、六本木のマンションの一室を借りて
小さな事務所を開き、そこで小山ゆうとやまさき拓味の二人も
まだデビュー出来ずに居候をしていました。

◎私もそこへ加わる訳です...

その小さな事務所は「六本木交差点」のすぐ近くの
「六本木ハイツ」(当時、東京ベッド)の2階にあり、
まだ依然として4人とも芽が出ず、その間はマーチャン
ダイジングなどの仕事をもらい絵カットを描きながら
細々とつないでいました...。

...今から考えると六本木のど真ん中で、よくも家賃を
払えていたものだと思いますが、当時は六本木交差点の
ところに「六本木食堂」という非常に安い定食屋さんが
あったおかげで、4人の胃袋は何とか健康に保てていました。
六本木食堂さんにはホントお世話になりました m(_ _)m。

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◎その4人を紹介します...

【山本又一朗】現在、映画プロデューサー....
「ベルサイユのバラ」などを製作。
「小栗旬」の所属するプロダクションの社長でもある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/山本又一朗

【小山ゆう】現在、漫画家...
「おれは直角」「がんばれ元気」「AZUMI~あずみ~」など。
http://ja.wikipedia.org/wiki/小山ゆう

【やまさき拓味】現在、漫画家...
「優駿の門」「バディ」など...。
競馬漫画を描かせたら彼の右に出るものはいないほど
近年は競馬漫画に特化している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/やまさき拓味

【叶 精作】...私です(^-^;)、省略。
http://ja.wikipedia.org/wiki/叶精作
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◎....私が転がり込んでから半年ぐらい経過したとき、
すでに自分の会社を立ち上げていた「小池一夫」さんの
「スタジオシップ」と、この事務所が合流することになります。

そのスタジオシップにはすでに、さいとうプロを退職した
神田たけ志、神江さと見ら...さいとうプロ時代の同僚が
デビューを果たしておりました。

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一応、続きますが...

(^-^;)長いなぁ....
こんな私的な話し、続けててもいいんでショか...??
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