「いったい誰がアフリカ人を捕まえたのか?」

アフリカの土地やアフリカのことをよく知っている人たち

同じアフリカ自身です。アフリカの国がヨーロッパと対等に商談をしたのです

ヨーロッパ人がアフリカを見つけ上陸した当時は、いくつかの少数部族が争いを繰り返している戦国時代のような状態でした

そこでヨーロッパ人は「銃などの武器を売ってあげるから代わりに人を売ってくれ」と持ち掛けました

自分が敵対している部族を、銃を使って容易く倒し、その相手をヨーロッパに売り飛ばすだけです。敵の戦力を削り自分の戦力を強化していったわけです。他の部族からしてみれば、今までは槍や弓を使って戦っていたのに相手が銃を使い始めたらまるで歯が立ちません

そうなれば自分たちも銃をゲットするために他の部族を襲うようになります

 

これが奴隷狩りという負のスパイラルの始まりです

 

これまで他の部族を襲うことなどなかった部族まで自分の身を守るために他の部族を仕方なく襲わなければならなくなりました。

このタイミングでアフリカは一気に銃社会となりました

アフリカが不安定な地域が多いイメージがあるのはこの時の出来事が尾を引いているからです

 

 「では奴隷狩りにあったアフリカ人はどのような扱いを受けたのでしょうか」

まずは手足や首をおたがいに繋がれたまま休憩もなく何週間もかけて船がある港まで歩かされます

ここで体力のない人はどんどん離脱していきます。もちろん離脱=です



港に着く前に奴隷収容所に送られ、ヨーロッパ人との商談がまとまり次第男女に分けられ船に詰められます

船の中ではお互いに繋がれたまま80センチ×18センチの棺桶よりも小さい場所にぎゅうぎゅうの押し込まれ、船酔いに襲われてもそのまま自分の上に吐くしかありません、排泄もその場で垂れ流しにします。そんな環境なので病気が蔓延し、自殺者もいたことから5人に1人が船の中で亡くなっていました。しかし生き延びられたとしても男性は反乱を起こさないように踊らされて体力を消耗させられ、女性はヨーロッパ人から性暴力を受けていました。反乱しようとしたアフリカ人もいましたが、それに対する処罰はひどいもので、ある船では反乱を起こそうとした一人の内臓を他の二人の反乱者に食べさせたという事例もあります

 

無事生き延びたとしても到着した先のアメリカでは家族や民族をバラバラに売り飛ばされ、奴隷として酷使されます


家族や同じコミュニティの人間が周りにおらず、コミュニケーションもまともに取れない中で常に主人におびえながら働いていました。

その過酷な労働環境から奴隷となったアフリカ人の平均寿命は3年以下だったといわれています

奴隷貿易によって数多くの文化や言葉やルーツもすべて奪われたのです

しかし黒人奴隷たちは言葉が通じなくても農場などで一緒に作業する際に発する掛け声を発展させそこに白人のキリスト教文化が合体した音楽を作り、ジャズなどの黒人独特の音楽を生まれることになりました。

結局奴隷貿易は15世紀末から19世紀までの約400年間も続きました。


いかかでしょうかアフリカ系の黒人がアメリカ連れてこられた起源はお分かりいただけましたか?


では今回はこのへんでさーよーならー


ps

現在の黒人差別問題の経緯も番外編として触れられたらなぁと思います。