元々おうちでどうぶつ達と一緒に暮らしていた人たちも多いと思いますが、中にはペットと暮らした経験のない方も多くいらっしゃいます。でもそんな方の中には子どもの頃にペットを飼いたいと思って親にお願いしたり、おねだりした経験があったりしますよね。
ペットショップでお迎えしたいと思ったり、学校帰りに捨てられている仔猫を見つけて親にお願いしたり。
いろいろなケースがありますね。
ペットショップなどでも「飼いた~~い」と親や祖父母におねだりしているお子さんをよく見たものです。
「お世話なんてすぐにしなくなるでしょ」「結局お母さんがお世話しなくちゃいけなくなるんだから」
そんなふうに言われている子もよく見ました。
結果、きちんと大切に育ててくれるお子さんもいるにはいますが、親御さんの予言通りお世話もしなくなる子がたくさんいます。それでもそういうことも織り込み済みで親御さんが大事に育ててくれる家庭なら良いのですが、親御さんもいい加減だったりするとお迎えされた子は目も当てられません。飼育放棄されたり、捨てられたりする子が出てしまうのです。
そんなのは今に始まったことではありません。昭和・平成でもそういうことがたくさんありました。
ただ、昭和以前よりもペットに対する認識は確実に変わっています。犬猫畜生という考え方の人が大半だった昭和以前に比べると平成の30年間でどうぶつ達のことを家族として育てるご家庭は格段に多くなりました。ただまだ一部に昭和以前の考え方のままの時代遅れな家庭もまだまだたくさんあるのです。
すべてにおいて令和クオリティとなればいいのですが。
子どもさんがペットをお迎えしたいという思いに至るとき、まだ何も経験もない子だったら「絶対大事に育てる!」と宣言しても未知の世界のことだからわからないことだらけです。
本当に迎えた子の命を、その子の生涯に責任を持てる感覚を持てるのはやはり経験を経てということもあるでしょうね。
お迎えした子が年齢を重ね、介護や看病を一生懸命してあげて、その子をお見送りする。とても悲しい経験だけど、その経験をすることで次に迎える子たちに対して責任を持てると本当の意味で実感できるってところも多くあると思います。
経験したことがないからダメだという意味ではありません。経験することで、お迎えする子の生涯に責任を持とうという思いがより強くなるのではないでしょうか。
みんながそういうふうに思ってすべての子たちを大事に思える世の中になってほしいなぁと思うのです。
保護犬・保護猫でも家族と出会わせてあげられないままに亡くなった子達もたくさんいます。
5月24日の日曜日はチャロくんの命日でした。
チャロくんも最期の2ヶ月くらいは闘病をがんばりました。
チャロくんは看病・介護をして看取ってくださったフォスターさん宅で供養していただいていますが、NOAの祭壇でも手を合わせています。
お写真ではちょっと見にくいと思いますが、立てかけているお花にぬいぐるみが。色合いはちょっと違うけどチャロくんに見立てています。
ここで手を合わせている子は自分にとってもみんな本当にかわいい子たち。
まだ家族との出会いを待っている子たちのことも守ってねってお願いしています。
すべての子たちに幸せを。
いつも願っていることです。