どんな旅をしてみたい?

▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

 
アジアは、タイとマレ-シアのみ。
ヨーロッパは26ヶ国程放浪経験がある私。
フランスとイタリアの国境に面する町に住み、
仕事の休みの日は、弾丸貧乏旅行に繰り出して
います。
元々、学生のころから地理と世界史は大好きな教科でした。
放浪をする時の旅の友は、地球の歩き方と
トーマスクックの時刻表。
更に、ヨーロッパユースホステルガイドと、
「これは便利 1冊でヨーロッパ41ヵ国の人と話す本」
 
旅のシュミレーションをするのは、楽しくて、
気が付いたら鉄道路線図を丸覚えした程。
25歳の時に、通勤の車の中で、フランス語と
イタリア語、スペイン語、ドイツ語の旅行会話の
本についていたCDを丸覚えして旅に出ました。
しかし、元来英語は大の苦手。学生時代、
二種目で競技会に出て、強化選手に指定されていたから、
ほぼ毎週末競技会であちこちに遠征していたので、
週末の授業に出たことが殆度ありません。
家では予習も復習も一切せずに、授業中に集中して
丸覚えするタイプでした。授業に出れない英語は
高校3年生の時に一度補習授業を受ける羽目になり、
顧問の先生に怒られて、次のテストでは何とか80点台に
したけど、今でも英語を聞くと頭の中でフランス語に
変換して考えるので、受けごたえが無意識のうちに
フランス語で返答してしまうことも・・・。
 
放浪を始めた最初のうちは、ホテルに泊まり、
美術館などに行き、世界遺産や街並みの
写真を撮りまくり、お買い物をするのも
好きでした。大きなバックパックを背負って
いながら、スカートを履いたりして、
ミッシェランガイドに掲載されているレストランへ
たまに食事に出かけるのも楽しみの一つでした。
 
しかし、ある時パリからカルカッソンヌに行こうとした時のこと。
まず、ユースに電話して電車の到着時間が23時半ごろだけど、
そこから歩いていき、チェックインは可能かどうかお聞きしたら、
快く承諾してくれたのが、セバスチャン。
 
電車の時間までお昼を食べようと、駅の近くのビジネスマンが
入っていた小さなレストランで食事をすることにしました。
 
キヨスクでイタリアのスポーツ誌を買い、ウェイトレスに
今日のおすすめ料理をお聞きし、ワインの品ぞろえが良い
レストランだったので、私の好みの産地(かなりマイナー)
を2ヶ所言い、料理を注文。隣の席の、フランス人と
イタリア人の会社経営者が、フルボトルで頼んでいた
ワインを一杯おごってくれました。
 
イタリア人の会社経営者は、当時ペルージャに
在籍していた中田さんの知り合いだそうで、
私がユヴェントスのデルピエロファンであることを告げると、
サッカーの話で盛り上がりました。
カルカッソンヌに真夜中に着くと、物凄い風が
吹き荒れ、人っ子一人見当たりませんでした。
 
真っ暗で、駅周辺はさびれていたから、余計
怖いと思いました。
 
当時はスマホもなかったから、近くのバーに
入り、道を聞くために一杯頼んだら、地図を
くれて道を教えてくれました。
 
教えていただいた道を歩いていると、車が止まり
カルカッソンヌの城壁の入り口まで乗せてくれました。
 
ユースに着くと、身長は2メートル位の
狸みたいな可愛らしい顔をしたセバスチャンが
私の名前を呼んでくれ、部屋まで荷物を
運んでくれました。疲れていなかったら、
下で旅行客たちと語り合っているから君もおいでと
誘ってくれました。
 
下に降りていくと、暖炉を囲んで世界中からの
旅行者が談笑していました。
 
当時は、日本に旅行をしたいけど高すぎて
無理だと思われていたから、皆日本人と
話してみたいという好奇心が強かったみたいです。
だけど、日本人がユースに泊まっても、寝る時に
帰ってくるくらいか、日本人同士で固まってしまい、
警戒心が強いのか話しかける雰囲気ではなかったそう。
 
例え英語が苦手でも全然構わないから、
神秘的な日本の話を聞かせてほしいそう。
 
放浪の旅に出る前、東京の外人ハウスで暮らしていた私。
日本語や日本料理、書道が習いたいという方々に
無償で教えていたので、私の周りは常に外国人の
友人たちで一杯でした。もちろん、日本語は
日本語とジェスチャーと絵で教えるのみ。(-_-;)
 
それでも毎日習いに押しかけてきたのが、当時
オックスフォード大学生だった弟分のオリビエ。
 
週に2回くらい会って食事を奢ってもらいながら、
教え、毎日短い日記を携帯電話に送ってきて、
電話で間違いなどを教えていたのは、
ハーバード大学出身で証券マンだったマイケル。
 
こんな優秀な二人に私なんかが教えていいのか
と思っていたけれど、語学の上達には、その国の
言葉だけで説明された方が良いみたいで、元々
独学である程度話せる彼らにとってはちょうど
良かったみたい。
 
この二人と、他の仲間たちのおかげで、
英語のヒヤリングだけは何とかできるようになって
いました。
 
私が理解できない時は、皆がジャスチャーを
したり、絵を描いてくれたりして何度も繰り返し
説明してくれました。気が付いたら、朝が明けて
いました。
 
久しぶりに外人ハウスでの生活を想い出し、
その日の朝モノプリで包丁とまな板を購入。
アジア食品のお店でお醤油と味噌と酢を
購入し、カルカッソンヌのユースで餃子を
皮から作りました。
 
すると、皆が興味津々に話しかけてきました。
外人ハウスに住み始めた2日目にも、餃子や
日本食を作っていたら、同じアパートの
外国人たちが興味津々に話しかけてきて、
一緒に作り一緒に毎晩食べるきっかけに。
 
私の作った手料理を毎晩世界中の旅行客と
ユースのスタッフも巻き込んで食べ、
他のみんなが飲み物を奢ってくれ、朝まで
どんちゃん騒ぎ。
 
行き先が一緒の方々と数日旅をともにして、
また新たなユースで他の人に手料理を
ご馳走して、数日一緒に旅をともにするという
旅のスタイルに変わっていきました。
 
そのため、日本のガイドブックには掲載されて
いない小さな島や村も訪れることが増えました。
世界遺産や芸術鑑賞が好きだけど、それ以上に
世界中の方々と知り合いになり、様々な言語を
教えてもらえることが、私の旅のメインにシフト
していきました。
 
デジカメの容量が足りなくなると、絵の写真を
消去して、出逢った方々との写真を撮り、
ノートに連絡先とメッセージを書いてもらい、
彼女たちの写真を貼って、彼女たちと再会
する旅に出ることも増えました。
 
後々、放浪の旅で人生を変えるような素敵な
出逢いをご紹介させていただきたいと思います。
旅は、私の人生です。
どんなに豪華な5ツ星のホテルに泊まるよりも、
ユースやキャンプ、山小屋にり泊まり、
人との出逢いを大切にする旅を続けたいと思います。
 
続編へ