たまにはネガティブな話をしてみてもいいですか。
もう時効だと思うので話すのですが、時折思い出す、ちょっとトラウマになったレッスンがあるんです。
演技のレッスンで、テンションの差を付けるゲーム(?)があるのですが、
講師にシーンを指定されてエチュードをする際に、
1〜4の数字を4人で引いて(5枚のこともあったかな…?)、1の人が一番テンションMAX、4の人が一番テンション低い、というキャラクター設定で芝居をするんです。
だけどそのくじはお互いに見ることができない、自分の番号しかわからないので、演者は自分の番号を意識しつつ、誰が何番かを探りつつ、テンションの高さを表現する。
そして見ている側が誰が何番かすべて当てられたら成功!というわけです。
まあ、なかなか演技力を鍛えられる面白いレッスン……なのですが。
研究生の頃、そのレッスンでシーンが「お葬式」と指定されたことがありました。
その時の私はお葬式や人の死というものにとてもナイーブになっていたので、そのお題がすごく嫌で、
しかもテンションの差なんてあるのか?と。
どんなに想像しても、テンション4の場合しか思い付かない、1とか2を引いたらどうしよう……と思っていたら、まさかの1を引いてしまったのです。
だけど芝居で「できない」なんて言えるはずもなく、「何もやらない」なんて選択ができるはずもなく、
考える暇もないまま、シーンはスタート。
どうしたらいいかわからない私は、すごく嫌だけど、ここはすごく嫌な人、もしくは悲しみに耐えられず笑い飛ばすしかない人をやろう、と思い、みんながとても沈んでいる芝居をする中、一人大笑いするような人を演じたんです。
少しやった後、このシーンは止められました。
お葬式だぞ、笑うなんて不謹慎だぞ、あり得ない。と言われました。
そんなのわかってる。やりたくないけどテンションの高さを表現するためにこうすることしか思いつかなかった。などと弁明する余地もないまま、叱られ続けました。
みんなが見る中、一方的に怒られて、心のわだかまりのつく先は見つからなかったけれど、
お葬式でテンション高い芝居は、声を上げて大泣きすれば良かったそうです。
当時の私は、ああ、テンション高いって笑ったりすることだけじゃなくて、感情の高まりのことなのか、と勉強した気になりましたが、
今思うと、はて、本当にそうなんだろうか、という疑問が浮かんでくる。
大泣きするのはテンションが高いのだろうか。
正直、あまりそう感じない。
だって、大泣きしている人を見て、「あの人テンション高いなあ」なんて一度も思ったことないし、想像してみても思えない。
たぶん同じシチュエーションに放り込まれたら、私はきっと、大泣きする演技を選ぶだろう。
でも、それはトラウマのせいで問題の答えをなぞっただけにすぎない。
そもそも芝居に否定されることなんてあるのだろうか。
正解の芝居なんてあるのだろうか。
即興劇の基本は、相手を受け入れること。
これがなければ成立しない。
たとえ常識では「あり得ない!」と思ったとしても、それがこの世界の中であり得ないことかどうかは、その場にいる全員の力を持ってもわかりはしない、と思う。
そんなわけで、私はテンションの高低を思う時、人の死と出会う時、お葬式場の前を通り過ぎる時、いつもこの日のことを思い出すのです。
とは言えただ単に、私の芝居が下手だっただけかもしれません。
だって私が一番、「テンション1でこの場に存在するなんてあり得ない」と思っていたわけですから。














