本日は私が地球に生まれた日。
おめでとう、ここ数年で生まれてやりたいことやっとやり始めたね。
きっと今日からもっと変わるね。
誕生日の日付になる数時間前。
台所で洗い物をしていたら、ふと入ってきた未来からの何か。
(映像とかは相変わらず見えない、感覚だけ。)
誰かと幸せそうに笑ってるわたし。
それから、降りてきた言葉。
「全ての「わたしたち」の中で1番(最大級に)幸せになっていいんだよ。」
涙が止まらなくなった、一週間に何回号泣すんねん。とは思いつつ何だか面白いよね。
何処かにちゃんと許可が降ろせた日なのかもしれない。
地球に対するアンカーみたいなものかな。
まさか自分からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
あぁ。
遂にここまで私は来れた。変わり続けて来れた。辿れた、未来への道を。
わたしを司る全ての存在と共に昇華してきた。
宗教関連で死にまくってるわたしたち、男性で産まれて色々やらかしたわたしたち、とにかく数多くのわたしはこの地球で祈り続けていた。
「自分の手で全部終わらせたかった。
だって始めたのは自分自身だから。」
過去世と呼ばれるわたしのパラレルも今の肉体に脈々と繋がり宿っているスピリットたちの願いも何もかも。
来たかったのはここ。
だってひとが人ならざる存在(魂)と辿れる究極の愛の道。
本来カルマの解消とは自分でやるものである、というのが持論でありまして。
(めっちゃ修行僧の思考だなw)
わたし自身何度も何度も本当に何度も、地球で愛と祈りの挫折を繰り返して、その度にひとつ、ひとつと私に繋がる道を紡いできた。
ひとが、魂たちが地球で目指す最終形態は内なる神聖(神)との融合だ。
そもそも魂の周波数帯は色々言われてはいるが、相当高い。私たちが想像する以上に。
だからこそ自己解放は、魂と地球を生きるために必要な通過点なのである。
(自己解放=各々の天岩戸開きなのだよ。
これについてはゆくゆく語れることがあるから話そうかとは思っている。
神話の謂れがなんなのか、解説できるようになってきたからね。)
そして、それを「どこまでやるのか」はそれぞれの魂次第。
私の魂は正直相当な変態さんなので、行けるとこまで行ってみせるさ、ということらしいです。
それが可能な時代にようやくなってきた。
シッダールタたんやサナンダが目指した未来が、この先の未来の地球にはちゃんと用意されている。
それは今の時代になったから成せること。
そして、それが許可できるのは紛れもなくわたし自身であって。
ひとが辿れる究極の愛の世界にやっと私は触れられるようになるのかもしれない。
そこには自由創造の世界が広がっていて、多分本当にわたし自身が望んだ見たかった美しい世界を映してくれるのかもしれない。
あぁなんて変化の時だ。
そして、もう本当に私は後ろをきっと振り返ることはなくなるのだろう。
幸運の女神の前髪は、未来からやってくるのだから。