7月は数秘的に7と4のパワーが強い月。
4は基本、とか基盤とかの意味がある。
7は本質とか智慧とかの意味がある。
かけ合わせると今月は魂レベルでの基礎工事になりそうな・・・
上旬からずっと昔から自分の中にあったワラワラして、ザワザワしてどうしようもない感情と向き合わされてきた。
色んな人との出来事を交えながら。
私は正直、自分の中の過去世の色んなものを抱えまくって生きている長生きの魂だ。
多くのセッションで散々言われてきているし、自分でもようやく納得してきたかも。
私の魂は人の深い底辺から様々な経験としているとも言われた。とんでもなく汚いことも経験したくてしてきた。(※私ではなく・・・)
多分過去世と呼ばれるパラレルは人より多く持っていると思う。
その分持ち合わせが大きくてそれは、私には見えないけれど確実に私の心を小さいころから蝕んでいた「何かの様々な感情」だった。
自刑、自滅、自戒などの私本人ではないし、本質でもない感情。
ずっと「もう生きたくない」と駄々をこね続けた感情。
あぁもう、この先はもうこれは、持ち越せないのだと思った。
だからの総出演。
私の中は感情ゲロ吐きパニック祭り。
で、とある事件でもともと予定していたことが延期(もはや、やるのか不明…)なり、ふと出掛けようと予定を立てていた。
最初に予定していたのは千葉。
セッションでこの神様仏様にこのお願いをしてくると良いよと教えて下さる方がいて、少し前から少しづつ行き始めていた。
10社程度教えてもらっていた。
どれだけ寺社を訪れても何もお願いをしてこなかった私が折角だからやってみようと思ったことだった。
千葉の神社にとあるお願いをしに行くプランを立てる。
これで行こうと宿を予約しようとしてたら、ふとこのままでいいの?となる。
なんで?このままお願いしても良いのかと問われた。
確かに。
こんなクシャクシャなカオスな状態で何を願うというのだろうか。
10社書いたノート見直す。
ふと、遠いですが良いですか?とセッションで言われた場所を思い出す。
群馬の山奥。
ここでは「怒り」や「腹を立てる」ことを落として貰いに行きます。と言われた。
正直、ここは最後でいいかな、行きにくいしなぁと特に重要視してなかった場所。
何故なら私本体があんまり「怒る」を選択しないで、むしろその下の層の「悲しい」にすぐに落ちるので怒るは大抵通り越して深い悲しみに変わるからだった。
そんなに人には怒らないし、まぁそのうち行けたら…と思ってた場所。
取り合えず、辺境の地だし行けるかどうか調べてみよう。と調べる。
・・・近く(山越えた隣の市)から直通バス出とるやないかーい!
・・・宿もすぐ取れるやないかーい!しかも安い・・・温泉ありでこの値段でいいの?
謎のスムーズさにビビりながらも深夜に眠い目こすって旅程計画を全て終わらせ、奇しくもマヤ歴で言う「時間を外した日」に私はお薬師様のところに向かうのだった。
今思い返せば完全に呼ばれていたんでしょうね。
必要なタイミングだったのだなぁと。
いざ行ってみると、山と緑と水がとにかく綺麗、美味しい楽しい自然大好き、温泉最高、この土地大好き、好きがいっぱい。好きしかない。
蚊もアブもいないし🪰トンボがたくさんなだけ❣️
さぁ目的のお薬師様に行ってご真言を唱える。
覗き穴から見ると全長10センチほどの小さな小さなご本尊さま。
3回唱えてきてくださいねと言われたけど誰もいなかったし感覚で21回唱えた。
唱えているうちに私の中の私じゃない感情が全部抜けていくのが分かった。
涙が止まらなかった。ずっとどこかで苦しがっていた棘が抜けたように。
これは私ではなく、わたしが望んだことだったのかもと。ふと思った。
過去の清算。カルマの自己清算。パラレルの感情の浄化。
次の日も何も調べないで取った宿が偶然(?)直ぐだったので、またご挨拶したらお賽銭用の襖の穴から冷たい空気が何度も優しく吹きかけられた。
京都の准胝観音さんの時も、そんな感じがあったなぁ。
不思議な吐息。
そして、なぜこの日和見薬師様だったのか。
自宅に帰ってから自分に問うてみた。
どうも、わたし自身に縁がありそうな。
ほおかむりしてる農作業するような姿の女の人があのお薬師さまに必死に祈ってたのを感じる。
家族(たぶん娘)が病みたいだった。
そして多分、娘は先に死んだように思う。
この人が私とこの土地とのご縁を結んでくれて連れてきてくれたのかもしれない。
見えないし、聞こえないから感覚で捉えるしかないけどそんな感じに思えた。
今はとても落ち着いている。
息が少ししやすくなったかも。
小さい頃からいつも霧がかっていた、頭の中がスッキリしている。
ずっと過去世を言い訳にしてはいけない、したくないと思って、色々試してきてみたけど。
結局のところ、その時が来たら自分の中の誰かと宇宙によって救われることもあるのかもしれない。
自身の信仰とは未来の自分を救う鍵になりうるのかもしれない、と思った次第です。
そして今回素晴らしいスポットをご紹介下さったりょうさんには感謝してもしきれないです
ありがとうございました