おはようございます、人生療法士の木花にこり(このはなにこり)です
先日、私の心理カウンセラーの先生ご夫婦が行うワークショップに参加してきました☆
テーマは
『幸せなパートナーシップのためのコミュニケーション』
というものです
毎回そうなのですが
このご夫婦の行うイベントはテーマを知らずとも参加し、行ってからテーマを知ることが殆どです
そのくらいオモシロい学びがあったりするので時間とコストが許す限りでるよう心がけています
ちなみにこちらのご夫婦です→宮城夫婦のどこまでLOVE ラブするの!
このご夫婦は元々検察庁勤務の時に知り合い
まず奥様の理紗さんがカウンセラーへと旅たって行きます
そして、数年たち・・・旦那様のアキラさんが違和感を感じ始めます
どんどん心の学びを得ていく妻
『話が合わなくなってくるんですよ』
どきっ
そう、そうなんです
コレ、私も経験したことがあります
全く神を否定していた時代、創造者はいたとしても愛ある神などいない、と信じていた時
学術的な興味から聖書を学び始めてすぐに言われていました
『夫婦や恋人のどちらかだけ霊的な(スピリチュアルな)学びを得ていくと霊的な成長が違うので価値観がかなりズレてくるので話があわなくなってきたりしてつらくなる事があるんです。なので一緒に学ぶといいんですよ』
これは数年後に婚約者ができた時に痛感した言葉でした
私は好きな人には自分の学んだことや氣づき、感動したことなどを話すタイプです
『今日こんなことを知ったの!』
『~でね、目からウロコだった!』
『すごい感動した!』
最初は
『へ~すごいね、そんなことあるだね』
『オモシロいね~』
なんて聞いてくれています
でもそのうち
『そうなんだね。でさ、あの件なんだけど』
からだんだんと
『ふ~ん (目もみない)』
という感じに変わって行ってしまった経験があります・・・
その時私がどんな表情をしていたかわかりませんが
しあわせそうにはしていなかったと思います
ここまで来ると学びの違いを通り越して相手に関心すら示してもないわけで、
婚約までしている大好きな相手、それが
「私の大切に思っていることが、相手にとってどうでもいいことなんだ」
というゲームに突入です
ワークショップの中で、ご一緒させていただいた初見の男性が
「妻に大好きと言っても長年スルーされていた」
と言うお話も共通するものがあり
『あーコレきたなーココもっとしっかり学べということかー』
と痛感しました
頭では人は完全にはわかりえないというのをわかっているのに
心ではまだまだ、といったところです
ちなみに師匠ご夫妻はというと・・・・
『このままじゃ一緒にいても意味ないんじゃないか、という感じになってきたので、僕もカウンセラーになりました! 』
男性でそこまでやる方スゴイと思います!
お子さんも3人います。責任感も半端なかったと思います。
勿論、何が正解かどうかなんてないんです
そして昨日、以前お世話になった昔の同僚が婚約されたということで
お祝いがてらお食事に行ってきました
わりに頻繁にたわいもないメッセージなどをやり取りする気軽なお付き合いの相手で、
お仕事も尊敬できるし、重い話もわりに軽く変えられるし、笑いのツボも似ててる会話の楽しい相手、だったのですが
最近の学びについての話になると
例の
『ふ~ん』
がでてくるのです
あれー
反応ない
関心ない
もしくは
受け止められず不機嫌気味になる
のどちらかの反応なのです・・・
私の感情や周りで起きたことの話をしているので、
特にその人のことを指摘したり攻めたりしているわけではありません
でもなんだか会話のキャッチポールにならないのです
確かに親しい人とは共通の話題というものがあると話が弾みます
でも私にとって
『人としての学び』
というものがどれだけ大きいのか、ということを改めて痛感した出来事でした。
私はパートナーになる人には『学び続ける姿勢をもっている人』でいて欲しいんだなぁ
学びや氣づきを得ると自分のいる世界がかわります
俗にいうステージが変わる、というのでしょうか
そうなると以前心地よかった世界は異世界になってしまいます
人として向き合える人
言葉ではシンプルですが夫婦と言えど他人です
誰かとずっと向き合っていく
これはお互いに緩めたりガチンコでぶつかったり
やはり相性も大切です
『言葉でない領域で繋がるというのはただでさえ大変なのに、言葉すら使わずにいて繋がろうなんて無理なんです』
という理紗先生の言葉をふかーく噛みしめながら
私と言う人間を言葉で表現していこうと思います
皆さまもご自分をもっと表現して
大切な方と良好なコミュニケーションがとれていけますように.
人気ブログランキングへ