友人,木許さんが私について文章を書いてくれました。故,立花隆氏に文筆を学んだ指揮者。
ええ,ただの文章ではないのです。
ああ,こんな才能のある友に恵まれた私,
人生そんな悪くないねえ。
もう10年以上の付き合いになる友人のダンサー、
砂原伽音氏が主催する教室の発表会のリハーサルを見学させて頂く。
彼女には2月に鎌倉でビゼーの「カルメン」を私が指揮したコンサートを聞いてもらったばかり。
このコンサートで砂原氏のインスピレーションにも火がついたそうで、
次は自分がカルメンの振り付けをするのでぜひ、ということで今回の機会となった。
こうして長きにわたり、音楽と舞踏で濃密な刺激を交換し続けられていることを幸せに思う。
カルメンが始まる。有名な前奏曲、そして衛兵の交代、ダンス・ボエーム、アラゴネーズ、ハバネラ…。
なるほど、登場人物をこのように描き、空間をこうして造形するのか。とくに「アラゴネーズ」が素晴らしい。小学生たちが「衛兵の交代」を踊るのがたまらなく愛しく思える。そして、最後に挿入された「ファランドール」の活き活きとした動き。
彼女が私の指揮するカルメンを聞いて、「踊りやすいテンポだ!」と感想をくれたとき、頭の中ではすでにこの鮮やかな時間が見えていたに違いない。
リハーサルに移り、客席で私の横に座った彼女が手際よく問題を解決してゆく。約20人それぞれに目を配り、ひとりひとりの動きをクイックに指摘し修正していくその様子は指揮者にとっての理想と言っても良いだろう。指摘し、やり直す。
その度に驚くほどに変わってゆく。腰にあてた手の開き具合。手のひらの向き。
外に伸ばした手の緊張感。言葉にすれば極めて細かい部分のそれらが、全体としての「美」に直結していることに心打たれる。
少し時間に余裕があったので宮廷舞踊とキャラクターダンスのリハーサルまで見せて頂く。
メヌエットを二つ。そしてマズルカ。それぞれの個性が引き立つ動きは、さすがこれらを得意とし、宮廷舞踊の研究者でもある砂原氏の指導ならではだ。
しかし、私がもっとも感動したのは、砂原氏が舞台に現れた一瞬だった。いつの間にか舞台に現れた彼女が「きちんとここで止まる」といって舞台端で見本を示す。
トートバッグを肩からかけ、マイクを持ち、何気なく示したその瞬間に、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。客席から身を乗り出さずにはいられなかった。なんと美しい一瞬だろう。止まっているのではなく、そこに在るべき形で「在る」。何の力みもなく、重力のなかで然るべき位置を占めている。
見よ、そこに宿る美を!喉元までその言葉が出かかった。そこに何も特別なことはない。アカデミックに裏打ちされた厳格な型と身体の完璧なコントロールが合わさり、いかなるノイズも含めずそこに「在る」。
指先から爪先まで、この姿以外にないのだと直感する。
かつて彼女の舞踏を見たとき、踊り始めた途端に視線を逸らすことができないような、光り輝く美しさを感じたことがある。そこだけスポットライトが急に当たったような、まさしく「華」がある美しさ。だが、いま目の前にするこの静かな光景もまた「華」なのだ。優しく厳しいその佇まい。特別なことが特別でないように身体化され、そっとそこにある。
帰り道、いてもたってもいられなくて車内で筆を取る。バレエというのは、身体に無理を迫るものでは決してなく、空間に対して在るべき姿へと回帰させる技芸なのかもしれない、と思う。砂原さん、刺激に満ちた時間をありがとう。そして発表会の開催おめでとう。とっても音楽したくなったよ。