東京・パナソニック汐留ミュージアムで行われている
『テルマエ展-お風呂でつながる古代ローマと日本』に行った。
"すべての道はローマに通ず”といわれた古代都市ローマの文化をテルマエを通じて
辿ることができた。
展示構成
序章 テルマエ/古代都市ローマと公共浴場
テルマエとは「熱い」という意味のギリシャ語「テルモス」に由来する。
4 世紀に記された 2 種類の『ローマ市総覧』によれば、当時ローマ市内には大規模な公共浴場は 11を数え、小規模なものにいたっては856〜 951 軒にのぼっていた。
当時のローマ市民は、仕事は午前中に切り上げ昼から娯楽を満喫。競技場でエキサイトしたり、浴場で夕方までのんびりと過ごすのも快適なひと時だった。
しかし大規模なテルマエの運営には、水道の管理・維持に加え、大量の燃料と奴隷を必要とした。浴場施設が維持されることはなく、古代ローマの風呂文化は、中世には消え去ってしまった。
第1章 古代ローマ都市のくらし
帝政初期には、ごく一部の特権階級と、増加する「大衆」の格差はかつてないほどに広がった。下層民が住むのはインスラと呼ばれる高層の集合住宅で、住空間は極めて狭く、水道もなければ台所や風呂の設備もなかった。
皇帝たちは大衆の不満を解消するために、食糧を恵み与えたり、戦車競走、剣闘士試合、演劇などの見せ物を娯楽として提供したりと、施策を行った。
テルマエも大衆からの人気を得るのに有効で、何人もの皇帝が、巨大なテルマエを建設した。庶民のくらしは、特別な日の見せ物と、毎日の仕事の後のテルマエによって彩られていた。
ヘタイラ(遊女)のいる饗宴》1世紀 ナポリ国立考古学博物館蔵
Photo © Luciano and Marco Pedicini
第2章 古代ローマの浴場
テルマエは、ローマ人の発明ではなく古代ギリシャが発祥。 しかし、それを大衆の娯楽のために、驚くほどの規模へと発展させたのはローマ人だった。
ギリシャでは女性の入浴の場は自宅に限られていたが、ローマでは女性もテルマエに通うことができた。
《アポロとニンフへの奉納浮彫》2世紀 ナポリ国立考古学博物館蔵
Photo © Luciano and Marco Pedicini
ローマ人にとって、テルマエは単に体を洗う場所ではなく、 身体を動かし、汗を流し、多くの人と交流して、心身の健康を保つための場所だった。
テルマエには、浴室のほかに運動場やいくつもの部屋が付随し、複合娯楽施設として人々に享受された。 食事や音楽を楽しむ者もいれば、朗読会が催されるなど、文化サロンのような側面もあった。
ここまでは、フリーネットの画像を拝借した。