日本橋高島屋S.C.本館8階ホールで開かれている

「- 祈りと宇宙 - 小倉尚人展」を鑑賞した。

 

 

きっかけは、NHK日曜美術館のこの紹介映像だった。

 

五日市街道の欅  1977年 岩絵具  紙 個人蔵

 

小倉尚人(1944-2009)

満州(中国東北部)で生まれ。

東京学芸大学美術科を卒業後

仏道と画道を「不二の行」として画道に専念し、

30歳から40歳にかけて描き上げた抽象曼荼羅の作品

(金剛界曼荼羅、胎蔵界曼荼羅各9点、計18点)。

 

1点が畳二畳の大きさ)は

『芸術新潮』、新聞等多くのマスコミに取り上げられた。

 

30歳を前にC型肝炎を発症し、

死を意識しながら64歳で亡くなるまで描いた。

 

福島県南相馬市にある岩屋寺(がんおくじ)には、

画家の小倉尚人が制作した100点以上もの

仏画を所蔵する、という。

 

画伯の名前や作品の所在があまり知られていないのに

はわけがあった。

 

小倉尚人は30歳を超えたころから世間との関わりを断った。

2009年に64歳で亡くなるまで、全生命を仏にささげて

寺に仏画を納めた。

 

岩屋寺もこれらを本尊のように守り、

寺の外にほとんど出さなかった。

 

若い頃からセザンヌやジャスパー・ジョーンズなど

からの影響による

すぐれた作品を制作したが、

同時に仏画や曼荼羅を積極的に学び、

独自の作風を次々に展開した。

 

30歳代に発表した抽象曼荼羅は美術界の注目されたが、

名利を嫌って世間との交流を絶ち、

40歳以降は隠棲の画家の道を選び、

抽象的な曼荼羅を多く残した。

 

その画題は仏や菩薩像などの彩色仏画や、

線描の美しい羅漢図、

さらに、樹木や風景など、多岐にわたる。

 

大きな円を背景に、生まれては消える泡のごとく、

分裂を繰り返す細胞のような

無数のうごめく小さな円をかたどった曼荼羅。

 

ポップアートのように画風には

現代美術に通じる独創的なものがあった。。

 

 

 

 

描くことで生きる意味を探り続けた

一人の画家の生きざまを想像しながら、

心が洗われ、神聖な感情が沸いてきた。

 

 

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