クリムト展 その1の続き。
Chapter5 ウィーン分離派 Secession
「ウィーン分離派」の活動は、クリムトを語るうえで欠かせないものである。
1897年、進歩的な考えを持つ若い芸術家たちが、
クリムトをリーダーとして、ウィーン分離派を設立。
メンバーの中にはフランスで教育を受けた者が多く、
国際的な前衛芸術の最新の動向をウィーンに浸透させたいと考えていた。
批評家のルードヴィヒ・ヘヴィジは
1903年、「ありとあらゆるモダンな影響が、すなわり英国、ベルギー、日本、古代ギリシャの様式的、写実的、そして装飾的影響が、彼に押し寄せた」としてクリムトを評した。
クリムトの様式の変化は保守的な批評家筋からは批判され、
メディアでも激しい議論を呼び、
なかには裁判所に押収、議会で取り上げられる作品もあったという。
第1回ウィーン分離派のポスター(検閲前)(1898)
違いがわかる。
244×56.5cm
メッセージ性のある象徴画に分類される本作は、
そのモダンさゆえに「醜い」と批判されたという。
当初、人間に向かって鏡をつきつける「真実」を表す裸婦とそれに向き合う群衆を
構想していたが、結局、正面を向いたひとりの裸婦像だけが描かれることになった。
作品の素描がたくさん描かれている。
素描を通じて様々な構図案を考えていたことが覗えた。
ユディトⅠ 1901 84×42cm
クリムトが金箔を使った初の作品でもある代表作。
官能、装飾、造形など、すべてが盛り込まれ、「黄金様式」時代の幕開けを飾った。
女性のセクシュアルな魅力の危険性を主張。
旧約聖書外典の一場面を主題とする本作の綿密な描写からは、
クリムトが非常に綿密な下調べを行い、芸術と歴史に精通していたこともうかがえる。
第2回ウィーン分離派国際展ポスター(1898)
ウィーン分離派を象徴する意匠を作り上げた。
全長34メートルのコの字型大壁画『ベートーヴェン・フレーズ(複製)』。
複製でも金箔、真珠母貝、ガラス、鉱石をふんだんに使った豪華絢爛の代表作。
まるで、日本の大きな絵巻物を観ている雰囲気.
左側の壁にある「甲冑をまとう強者」
続く空白の壁は、中央ホールのベートーベン像が見渡せる位置にあり、
それを過ぎると「諸芸術」と「楽園の天使の合唱」で締めくくる。(長いので画像略)
〆は「この接吻を全世界に!」
鬼火 1903 油彩 カンバス 47.5×37.5cm
人生は戦いなり(黄金の騎士) 油彩 テンペラ カンバス 100×100cm
あらゆる抵抗に屈することなく自らの芸術的使命を貫く覚悟があることを示した。
Chapter6 風景画 Landscapes
色の種類を限定し、わずかに濃淡をつけるか、まったく混ぜ合わせず色を並置した。
同じ色調の筆触が様々な箇所に登場し、異なる物が表現されていた。
アッター湖畔のカンマ―城Ⅲ 油彩 カンバス 110×110cm
クリムトの描く風景は、スーラ、シニャック等の作品で知られる点描画に近づいていった。
多産と命の象徴と解釈すべき果樹園や花園を好んで描いていた。
丘の見える庭の風景 100×100cm
Chapter7 肖像画 Potraits
クリムトは常に女性に囲まれていた。どちらかといえば、静かに引きこもって暮らしたが、女性を引き付ける強い力があり、彼女たちはその素朴な魅力を慕っていた、と同時代人は述べている。
マリー・ヘンネベルクの肖像 1901 140×140cm
マリーの夫は裕福な自然科学者で、同時代の最も有名な写真家の一人である。
夫婦ともに懇意であった。
オイゲニア・ブリマフェージの肖像 1913/1914 140×85cm
オットーとオイゲニアのブリマフェージ夫妻は、クリムトの最も重要な支援者。
中国あるいは日本の手工芸品に特殊的な色の組み合わせをそのまま、
自分の作品に取り入れている。
Chaper8 生命の円環 Circle of Life
クリムトは老いと死というテーマを繰り返し取り上げた一方で、
新たな生命を生み出す男女の愛もテーマにした。
女の三世代 1905 油彩 カンバス 171×171cm
三世代を同じ画面に描いて時間を表現している。
バックグラウンドの絣模様のような部分は銀箔を使ったとか。
大部分をブラチナ箔に変えた。
この母親の首の角度は、クリムトの有名な作『接吻』と同じだった。
クリムト作品の世界的殿堂とも言えるウィーンのベルヴェデーレ宮オーストラリア絵画館の所蔵作品を中心に展示されていて、クリムトをより詳しく知ることができて、日本文化の影響も受けていることを知ることができる良い展覧会だった。
記念撮影ができるスポット
忘れていたウィーンの旅を思い出してしまった。
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