お昼をレストラン「木のスプーン」で食べた後、東京都現代美術館で開催されている
第2弾
リニューアル・オープン記念展
企画展[百年の編み手たち]
-流動する日本の近現代美術-を鑑賞した。
展覧会のタイトルの百年というスケールの起点は、どこからか?
と思っていたら1910年代だった。
そんな100年分の “現代” が積み重なっている美術史のような
東京都現代美術館のコレクション展だった。
大正や昭和60年代ごろまでの作品は、現代的とは思えないが、
当時においては、間違いなく、それらは現代的であった。
ただの日本の美術史をたどるだけの内容ではなかった。
展覧会のタイトルにおいてアーティストを時代の“編み手”と表現しているように、
作家はそのときどきの社会状況の絡みあいを作品に投影していた。
作品点数は400超。
会田誠、靉光(あいおう)、秋山祐徳太子、朝倉摂、阿部展也、有島生馬、池田龍雄、石井柏亭、石田尚志、泉太郎、磯辺行久、伊藤存、梅沢和木、梅津庸一、梅原龍三郎、漆原英子、瑛九、大岩オスカール、大竹伸朗、大野俶嵩、岡﨑乾二郎、岡本太郎、小倉遊亀、小沢剛、落合多武、オノ・ヨーコ、オノサトトシノブ、恩地孝四郎、風間サチコ、柏原えつとむ、桂ゆき、加藤泉、加藤太郎、金山明、金氏徹平、鹿子木孟郎、川俣正、河原温、神原泰、岸田劉生、北川民次、北代省三、木村荘八、工藤哲巳、国吉康雄、小泉明郎、河野通勢、小林正人、駒井哲郎、斎藤義重、斎藤与里、篠原有司男、清水登之、白髪一雄、白川昌生、末永史尚、菅木志雄、杉戸洋、杉全直、杉本博司、住谷磐根、諏訪直樹、清宮彬、髙柳恵里、多田美波、辰野登恵子、田中敦子、田中功起、田中千鶴子、千葉正也、椿貞雄、鶴岡政男、手塚愛子、寺田政明、照屋勇賢、東郷青児、堂本尚郎、冨井大裕、豊嶋康子、中澤弘光、中西夏之、中野淳、中ハシ克シゲ、中原實、中村一美、中村宏、奈良美智、名和晃平、野田哲也、浜田知明、深沢索一、福沢一郎、福島秀子、福田美蘭、藤田嗣治、藤牧義夫、舟越桂、ホンマタカシ、前田藤四郎、牧野虎雄、松江泰治、松本竣介、丸山直文、三木富雄、三島喜美代、南川史門、村上隆、村山知義、毛利悠子、元永定正、森千裕、森村泰昌、八木良太、柳幸典、柳瀬正夢、ヤノベケンジ、矢部友衛、山口勝弘、指差し作業員、横尾忠則、横堀角次郎、𠮷田博、吉原治良、Chim↑Pom、O JUNほか
あまり知らない作家もいたが、この中で隠れたヒーロー作家も発見できるかもしれない。
撮影可の一部風景
会田誠(1965~ 《美しい旗(戦争画 RETURNS)》 (1995年)
上記の絵画は、からかみの裏に描かれて屏風のように仕立ててあった。
泉太郎 《ステーキハウス》 (2009年)
意味不明。
ところで、現代美術あるいは現代アートとは、何だろうという素朴な疑問があった。
大変説明が難しい美術ジャンルである、と思う。
「現代」という言葉が、特定の時代を限定した言葉ではなく、
20世紀初頭あたりから生まれた作品傾向を指した言葉である。
原語では、"Contemporary Art”といわれていて、
訳して「現代芸術」あるいは「現代美術」と呼ばれる。
これは、Cotemporaryを「同時代」と訳すことで理解しやすくなるかもしれない。
つまり、従来の「美術」や「芸術」の作品概念に囚われない
前衛的で新しい芸術表現を広く総称していうのではないかと思っている。
いろいろ学べた展覧会だった。
廊下の窓越しに視た新緑が美しかった。
(展覧会情報)
展覧会名:百年の編み手たち - 流動する日本の近現代美術 - 場所:東京都現代美術館 会期:2019/3/29(金)-6/16(日) 休館日:月曜日(祝日の場合は翌平日)*ただし2019/4/29、5/6は開館 開館時間:10:00-18:00 *展示室入場は閉館の30分前まで 公式サイト