司馬遼太郎の紀行「街道をゆくー北のまほろば 41」を読んでから
中に書かれていた三内丸山遺跡には行ってみたいと思っていた。
まほろばの語義
「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味の
日本の古語。
司馬遼太郎曰く
青森県(津軽と南部、下北)を歩きながら、
今を去る1万年前から2千年前、こんにち縄文の世といわれている先史時代、
このあたりは
あるいは”北のまほろば”というべき地(くに)だったのではないかという
思いが強くなった。
(中略)
縄文時代、世界でいちばん食べ物が多くて住みやすかったのが
青森県だったろうということを、
私も考古学者たちの驥尾(きび)に付してそう思い、
いわば”まほろば”だったと考えてきた。
三内丸山遺跡は、
今から約5500年前~4000年前の縄文の人々が暮らした
住居、墓、道路などが見つかり、
今も発掘調査が行われている。
「出土遺物」には
「土器、石器」を中心に
「土偶、黒曜石、琥珀、漆器、翡翠製大珠」などが出土。
出土した当時の食糧保管庫ともいうべき、縄文式土器の数々。
食糧が豊富なことを窺わせる。
当時は稲作はなく、狩猟採集で生活が営まれていた道具。
イヤリング・ペンダントトップ・ヘアアクセサリーetc.
広大な土地に復元された縄文式の建物が点在されていた。
縄文人の竪穴住居、大型竪穴住居などの復元。
内部
住居の中では、家族で手仕事をする様子。
そびえたつ巨大木柱による「高楼」が復元。三内丸山遺跡のシンボル。
その部分拡大
政治的権力があらわれた農耕時代ではなかったから、首長の権力をあらわすものではなく丸木船に乗って、漁をするものたちへの灯台守のようなものだったろう、と想像されていた。
縄文時遊館にあった言葉は良かった。
遺跡は先祖の生きた証そのもの
生活の知恵や工夫など大事なものが埋まっています。
そして現代にも 縄文文化は受け継がれています。
時代は変わっても「縄文人のこころ」は忘れずにいたい。。
1万5000年前に始まり、約1万年も続いた日本の縄文時代。
そこには世界的に見てもきわめてユニークな文化が存在した。
岡本太郎がハマった縄文人の世界があった。
縄文時代、青森は住みやすい場所であった、ということが窺えた。
今も自然が豊かな良い所と思う。
入場料:無料(2019年4月からは有料になる予定)
そこは青森県立美術館の隣だった。とにかく広い。