歴史教育やアメリカの原点を知るために、

アメリカ人は、ここにやってくる。

ボストンから車で1時間ほどの

プリマスは人口が5万人ほどの町。

 

現地申し込みで旅行会社のガイドツアーで行った。

1620年、(ピルグリム・ファーザーズ)

清教徒と呼ばれる人々が宗教の弾圧を逃れ、

自由の新天地・アメリカに

メイフラワー号でやってきた。

 

 

メイフラワー号(The Mayflower)

最初にメイフラワー号が碇をおろしたのは、

後で載せるケープコッドのプロヴィンスタウン!

 

が、そこは定住に適切な場所ではなかったそうだ。

 

偶然に、定住のための適した場所を

「メイフラワー号」の航海士が知っていた。

 

それは1614年にこのあたりを

探検したジョン=スミス

(あのディズニー映画「ポカホンタス」にも登場する)

の地図にプリマスと記入されている場所だった。

1945年、当時の清教徒たちの暮らしを紹介する

博物館を作るため、

プリマスプランテーションが

寄付行為により建てられた。

 

その入り口。

清教徒たちには、

それまでヨーロッパで貧乏だったわけでもなく、

すぐに生活できるように

さまざまな職種(医師から大工まで)の人がいたようで

計画的かつ建設的な移住だった。

 

信仰の威力を感じます。

 



キャリッジ・クラフトハウス
17世紀の工芸品を再現して作っている。

陶器:2種類のクレーを使用して、食器を作っていた。

特に持ち手がたくさんついた

マグカップは独特のデザインで、

食器の数が十分でなかった当時に回し飲みが

簡単にできるように工夫されていた。

 

 

他にも家具、バスケット、はた織りなどの

デモンストレーションが見られた

ここで作られたものは、

実際にプランテーション内の

17世紀の村で使用されていた。

 

クラフトハウスを出ると、

舗装された道も終わりとなって

いよいよ17世紀にタイムスリップした。

 


ここでは清教徒たちが

アメリカに到着してから7年後の

1627年当時の様子が再現されている。

 

 

村には縦につきぬける「the Street」

と横に走る「the Highway」の2本の道が通り、

そのわきに15軒ほどの家が並んでいる。 
 

 

 

 

 


          砦


友好的でないインディアン、

フランス、スペインなどの船がやってくるのを

見張る役目も兼ねていて、2階には大砲も設置されている。

 

大砲を利用する機会はなかったそうで、

2階に上がると村の全景がよく見えた。

 

 

17世紀の人々になりきった当時の服装をした

オールドブリティッシュイングリッシュを話す人々がいる。
ちょうど穴のあいた靴下にあて布をして繕い物をしていた。

 

17世紀当時は自給自足の生活。

 

ここで作られたのはインディアンコーン

(とうもろこしの一種)で

ひいて粉にしてパンを焼いて食べた。

 

村の中には共同のパンを焼くかまがあった。

大麦からはビールを作った。

 

当時は栄養分として、

また水代わりとして人々はビールを飲んだ。

 

人々は農耕をし、家畜を飼っていた。

 

それぞれの家の庭には農園があって、

小さく仕切られた中に

野菜や薬草としてのハーブなどを植えていた。


村にいる家畜たちは、なるべく

17世紀当時の外観に近いものを探したそうである。

 

先住民(ネイティブ)たちは、入植者たちに、

とうもろこしなど、野菜の栽培を教えた。

 

ネイティブ(ここではインディアンといってはいけない)

の服装をした人たちのBBQ風景。

 

魚をクルクルとまわしながら焼いていた。

ここでの入植者の成功を機に、

アメリカ移民は増えていった。
 

☆  ☆  ☆


プリムスのハーバーに浮かぶ

プライベートクルーザー。

今はリゾート地!

 

ロブスターがおいしかった。