阪神大震災なら29年経ったんやなぁー。
自宅は大丈夫、でも、家の中は無茶苦茶。
タンスは壁に追突、私は本棚から本が落ちてきて、娘を抱えて本の攻撃受けました。
今、36歳の娘は当時7歳、1年生、家の中はガラスだらけで危なく、車に避難させました。
負担泣き虫な子が、怯えながらも頑張ってくれ、助かりました。
車におったらな、知らんお婆ちゃんが、頑張りよ、言うてお菓子くれたー、ってニコニコ☺️笑顔に救われました。
食器棚の中は全滅、冷蔵庫は数歩前進、電子レンジは床の上でドア破壊。
窓ガラスはロックしてなかったので、割れずにすみましたが、2段に重ねたクーラー室外機は上の方が落ちてました。
明るくなってきて、惨状に唖然。
ローソンに走った主人、💰払わずに逃げてた人もいたと、、あっという間にラーメンすらなくなった、と手ぶらで帰ってきてました。
別の部屋に行くと、タンスの扉が開いて倒れ、扉がもげて外れていて、結婚の時に父からもらったフランス人形が腰が折れてました、私を守ってくれたんやなー、初めて涙が出ました。
ライフラインが不通で、何もできず、近くの両親が心配で、でこぼこの道を歩いて両親の家に、途中で、ドカン💥と音がして振り向くと、道端のお家の壁が崩れてきてました、もう少し遅く通ってたら間違いなく下敷きになってたでしょう。
両親の家、私のピアノが前向きに倒れ、ガラスまみれ、しかし、ご近所さんが様子を見にきてくれてて、幸い両親も怪我なくすみました。
家に戻り必死で片付けしていたら、電気復活、テレビの中の神戸の惨状、、今でも覚えています。
携帯もなく、電話不通。知り合いに連絡すらできず、無事を祈ることしかできませんでした。
後日、会社の後輩のお子さんの名前が、新聞に。
わずか6歳でした。
私なんかは、まだマシな方なんだ、つくづく思いました。
あの頃は、片付けやら、なんやら、、不自由があっても、頑張れたのは、自分が親の立場で頑張らなあかん年齢だったからかなー、子どもとして年老いた親の心配できる元気があったからかなー。
最近思います。
今はどうか、、。
難病患い、あちこち不具合が出てきていて
これ、災難にあったら、、まず、病院が機能しなく、お薬とかもどうなんだろ。
防災グッズ揃えてても逃げる体力、俊敏さはもうないなぁー。
北陸の方々がテレビでおっしゃる、もうここには住めない、、この言葉に胸が痛みます。
ほんの少しだけ募金し、どうか、踏ん張ってください、とメモしてきました。頑張って、は禁句だと阪神大震災の時よく聞いたので、踏ん張ってください、としました。
1月17日、いつも思い出すこと、長々と綴ってしまいました。
近くの神社に行き、
地震、飛行機事故、九州の大火事、三つ災難起きたので、もう起きませんよね。
どうかお守りください。
辰年なので、、龍神様にお願いをしてきました。
明日は我が身かもです、でも、踏ん張るためには、毎日を必死で暮らしていくしかないですねー、あー今日もありがとう、そう思って暮らして行きたいと思います。
病気の方はあちこち不具合が出てき始めてますが、今年もモグラ叩き婆さん、踏ん張ります。
みなさんもお身体に気をつけて、踏ん張っていきましょうー‼️
生きていることに感謝です![]()