先日、すごく腑に落ちる記事に出会いました。



以前から読者登録させていただいている

木かげさんのこの記事。

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私の表現ー”いえ”・居場所を提供することースペースの中でこころは成長する。



一言でいえば、

こころの成長にはあるスペースが必要なんじゃないかというお話です。


これ、すごく共感しちゃいました。



こころの成長にはゆりかごのようなものが必要で。


カンガルーが袋の中で育ってくようなそんなスペース。


カンガルーも最初はずっと袋の中で育ち、

少し成長すると袋から出て外で過ごします。

何か危険を感じたら袋に入り身を守る。

大きくなるにつれて袋に入る時間が少なくなり、

最後は自立。

(カンガルーの生態を詳しく知らないので成長の仕方が間違ってたらすみません)



子供が一番スペースとして持ちやすい対象は母親のこころの中。

もちろん、他の方でもしっかりスペースとして開けてくださるケースもありますが。


こころが育つスペースとはどんな存在なのでしょう。


私が思うスペースは、

自分のそのまんますべてを受け止めてくれるスペースだと思っています。


自分という存在を全部、自分の中の正も負も、全部。

そんな自分を信じ、理解してくれている、

そういった手放しで安心できる場所。


それがこころの居場所。


そう思います。



自立するまでしっかりと居場所をとしての機能を果たし

提供してくれる場合はいいのですが、

そうじゃない場合が多い気がします。



その居場所も母親の依存心で濁ってしまってたり。

母親が悲しみの感情で手いっぱいの為

形だけの居場所だったり。


そう考えると、

健全な居場所って本当に稀のように思ってきちゃいますが。


それはそれでしょうがない。

だって、母親も不完全で。

色んなことを抱えながら自分では解決する術も見つけれず

もがきながら生きているんだしね。




そして、そのこころの居場所のお話を自分に照らし合わせてみたら、

私の中のインナーチャイルドにこの居場所のお話が当てはまっている気がして、

読んでいってすっきりしました。

本当、腑に落ちた状態です。




どこかよそよそしく感じていた父と母の関係。

父との距離感。

父と二人きりでいるときの窮屈感。

いい子であれ、よそさまに迷惑のかからないような子に育ってくれという、無言の重圧。


こういうのを敏感に感じていたから、

本当に見せたかった自分が見せれてませんでした。


母親が作ってくれていたスペースに

本当に見せたかった自分受け止めてほしかった自分を表現できていなかった。



だから、私は結婚後作る家庭はなんでも本音で語れる家族でありたいと。


そんな思いで結婚当初からだんなに体当たり(笑)

真逆な性格なので何をするのにも衝突し、それでも、

突進していく私でした。

冷めてて諦めていた時期もありましたが(笑)



私、自分の子供にはいつからかそのまんまの自分を見せています。

母親として振る舞うことが多いけれど、

一人の人として。

弱さも見せています。


育児マニュアルではノーって書かれていることも私しています。


だんなのことを子供に愚痴ったり。

子供の前で夫婦喧嘩したり。


そのあと、あーー。悪かった!なんて思うから、

一人の弱い人間として私の心境を話し、そのあとお父さんはこう思ってるかもね、

なんて、父親の心境についても話をします。



いいこちゃんばかりの私を見せていません。



夫婦が織り成す人間模様をそのまんま見せています。

全部話すととんでもないことになるので(私の場合は特にw)

これは理解してくれるかな、なんて、思うことだけですが。



このことが本当に子供の成長にいいことかどうかかわりません。



でも、母親である私はこんな人間だよ。

って感じてくれればいいなって思っています。


色んな面がある母親だから、

自分も色んな面をみせてもいい。


強さも弱さも見せていてくれて、

でも軸はしっかりある母親だから、

自分も安心してそのまんまをみせれる。

そう思ってほしいなって。


そして、こころが自立するまで

こころのスペースを安心して私の中に見出してくれたら・・・






これを機会に、

木かげさんが提供してくださった目線で親子関係を見つめてみようと思います。^^



自分自身も見つめれたしね。^^



そして、もうちょっと子供が大きくなって話せる年齢かなと思ったら

このこころの居場所について子供と語ってみたいと思います。



それはいつになるかな。

大人になってでもいいや。



その時が楽しみです。^^