ここしばらく、お尻から太もも、そして足先にかけて、なんとも言えないドヨ〜ンとした重だるさがありました。
夜、ひっそりと静まり返った部屋で寝ていても、その不快感で目がパチッと覚めてしまう。
「うう、またか……」と寝返りを打っても、逃げ場のない痛みがジリジリと居座っている。
そんな時、ふと目に止まった「坐骨神経痛のスピリチュアルな意味」という記事。
そこには、私の心を見透かしたような言葉が並んでいました。
「坐骨神経痛は、私たちの内面や魂からのメッセージを含んでいる」 「特に左側は『感情』や『本音』、自分の本当の気持ちに関係している」
これを読んだ瞬間、胸の奥がギュッと掴まれたような気がしたんです。
「何もしない私」への、猛烈なザワザワ
実は最近の私、数年前の「バリバリ活動していた頃」とは正反対の日々を過ごしていました。
日中のほとんどを、家でゴロゴロ。
「何かお勤めでも…」と思っても、心はイヤイヤ。
そんな「生産性ゼロ」に見える自分に対して、無意識のうちにチクチクとダメ出しをしていたのかもしれません。
「こんな私じゃダメだ」
「もっと価値を証明しなきゃ」って。
でも、そんな私の横で、夫は当たり前のように朝、パンを焼き、目玉焼きを作り、
切らしそうな洗剤や愛犬のペットシートをサッと買ってきてくれる。
私はただ、そこに居るだけ。
何も生み出していないのに、愛だけがドクドクと流れ込んでくる。
記事にあった「愛情を受け取ることへのブロック」という言葉が、ズドーンと腑に落ちました。
左側の痛みが止まった「降参」の瞬間
「そのままの自分では愛されない」という古い鎧が、左側の神経をギチギチに締め付けていた。
そう気づいた私は、ヨガマットの上で「チャイルドポーズ」をとってみました。
おでこを床につけ、身体をクニャ〜ンと丸める。
ただの呼吸に意識を向ける「シャバーサナ」で、身体を大地に投げ出す。
その時、夫がこれまで注いでくれた数々の「物」の背景にある、温かい「思い」がじわ〜っと細胞の一つひとつに染み渡っていくのを感じたんです。
「ああ、私、何もしなくても生きていていいんだ」 「この無条件の愛を、ただ『ありがとう』って受け取っていいんだ」
そう心から「降参」して、受容の器が満タンになった瞬間。
あんなに主張していたお尻から足にかけての痛みが、スーッと引いていきました。
あんなに頑固だった重だるさが、嘘みたいにフワッと軽くなったんです。
身体は、いつだって「本当の味方」
今回の坐骨神経痛は、私を苦しめるための敵ではありませんでした。
古い生き方のクセを**ストップ!**と止めて、 「もっと自分を愛していいよ」「もっと甘えていいよ」と教えてくれる、一番身近で、一番お節介で、一番優しい先生だった。
もし今、あなたの身体のどこかがズキッとしたり、心がモヤッとしたりしているなら。
それは、今の現実が「間違っている」のではなく、新しいステージへ行くための「メッセージ」かもしれません。
「頑張らなくても、あなたはあなたのままで、愛される価値がある」
身体が命がけで伝えてくれるその真実を、ただギュッと抱きしめてあげたい。
そう思った、静かな午後のひとときでした。
明日の満月は、古い「Doing(すること)」の鎧を脱ぎ捨てて、まっさらな「Being(在ること)」の自分へ脱皮するチャンス。
かつてバリバリ働いていた自分も素敵だったけれど、 今、ゴロゴロしながら夫の優しさに涙する、この「無防備な私」も、たまらなく愛おしい。
身体が送ってくれるサインは、いつだって「本来のあなたに戻りなさい」という進路指導。
痛みを敵にせず、現実をコントロールしようとせず。 ただ目の前の愛を、一滴残らず飲み干してみる。
あなたも、もしどこかに痛みや違和感を抱えているなら、自分にこう言ってあげてください。 「何もしなくても、あなたは愛されていい。その愛を受け取ることが、今のあなたの最大の仕事だよ」って。
満月の光が、あなたの「受容の器」を優しく満たしてくれますように。
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