カノミの部屋 -3ページ目

カノミの部屋

①原発の勉強

②読んだ本のこと

③思い出

④その他 
 バスクのこと、野上弥生子のことも

ブログ・506「『猫を棄てる』5」2019・5・17

 

 1971年、春樹は同級生の陽子さんと結婚する。多分、両親は仰天したのではないだろうか。事前に両親に許しを得たとは思えない。春樹は早く結婚したかったと安西水丸さんとの対談で話している。一人っ子で、親しかいなくて、従属的だから、対等な関係の家族が欲しかった。相手は同級生で同じクラスだった。二人とも学生である。青天の霹靂。陽子さんの方は都内の布団屋の娘さんで、三鷹のアパートから、猫まで連れた若夫婦を、しばらく家に住まわせてくれたほど、理解があった。

 二人はジャズ・バーを作って生計を立てることにした。そのため、二人で必死にアルバイトをして貯めたお金に、借りられるだけのお金を集め、国分寺に「ピーター・キャット」という店を開店させた。この時、春樹の親は協力しただろうか? 「水商売」で生活するという、村上家として考えられないことだったが、「一切協力してくれなかった」とは、どこにも書いていない。事情があって、「ピーター・キャット」は、千駄ヶ谷に移転することになり、またかなり借金が増えたけれど、よく客の入る、評判のいい店として、借金を返していく見通しは立った。

 1978年4月のよく晴れた日の午後、彼は家の近くにある神宮球場に、ヤクルト・スワローズの試合を見に行った。彼は気分良く試合を見ていた時、何の脈絡もなく何の根拠もなく、「そうだ、僕にも小説が書けるかもしれない」と思った。それは一つの「啓示」だった。試合が終わって、彼は新宿の紀伊国屋に行って原稿用紙と万年筆を買い、それ以来1日のハードな仕事が終わり帰宅してから、台所のテーブルで、小説を書き始めた。

 彼は、29歳だった。いうまでもなく、ここに今までにない小説家が生まれたのである。文学者、批評家などの批判を蹴飛ばすように、作品は読まれ続け、各国語に翻訳され、世界的に読まれていく作家になった。

 父の反応はどうだったか。彼が学生結婚し、ピーターキャットを開店してからは、父との関係はすっかり疎遠になり、彼が職業作家になってからは色々ややこしいことが持ち上がり、「関係はより屈折したものになり、最後には絶縁に近い状態となった」。「20年以上まったく顔を合わせあなかった」、呆然としてしまうような成り行きだ。90歳で病む父の死の直前に、京都の病院で、この親子はぎこちなく和解した。父の死で、子は父を辿る旅を始めた。