「15歳の被爆者」(3) | カノミの部屋

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ブログ・375、『15歳の被爆者』(3)

 

 9月22日の会には、「地軸」の土井和代さんが、ニュージーランドで大学の先生をしていらっしゃる友人、千種・キムラ・スティーブンさんをお連れくださいました。

 ニュージーランドでは、1986年に「非核法」が制定されていて、核兵器はもちろん、原子力発電所も禁止、アメリカに対し核兵器を搭載した戦艦や飛行機の寄港も認めないと通告し、実行しているそうです。今から30年もまえに厳重な「非核法」を作り、実行している国がある!と、不勉強な私は目の覚める思いでした。唯一の被爆国日本が、原発を54基も作ってしまったこと、原発から原爆は容易に製造できるのです。日本人は「当事者の自覚が足りない」と言われたことはその通りです。

 のちに資料を送っていただきました。「非核法」の制定にあたって、女性の活動が大きかったこと。持続的な力強い活動に、男性の賛同者も増えていったこと、自分の住んでいる地区を「非核地区」だと宣言していく。ニュージーランドでは、「非核地区」というステッカーを、自分の家や学校、病院に貼っていった、結局全国、非核地区にしてしまったのです。

 日本にも反原発、反核の勢力は決して小さくありません。どうしてそれが国民運動として広がらないのか、考え込んでしまいます。

 ニュージーランドでは、また、女性参政権を世界で最初に獲得した国です。1869年、イギリスから来たメリー・ムラーの論文に刺激され、ケイト・シェパードのリーダーシップのもと、徒歩で、自転車で署名を集め、男ばかりの議員たちの説得に努め、1893年に女性参政権を獲得しました。日本にも平塚らいてうなどの「青鞜」など、様々な運動がなかったわけではないのに参政権には結びつかず、結局長い戦争の後、1946年に婦人参政権は、「与えられた」のでした。

 千種さんも、また長崎での平和シンポジウムでお会いしたイギリスのアクロニム軍縮外交研究所長レベッカ・ジョンソンさんも、平和と人権のため核兵器全廃のために、何より被爆者の証言が力になると言われました。女性が力を出さなくてはならない、被爆者が発言しなければならないと強く思いました。

 『15歳の被爆者』トーク・イベントに来て下さって、本当にありがとうございました。