I propose.
昨日、話題の草間弥生展に行ってきた。国立新美術館。あれ、新国立美術館だっけ?まあどっちでもいいか。早めに仕事が終わったということで、予定までに時間があったのでふらーっと。会場は予想通り、かなり混んでおりました。ろうにゃくなんにょ。たくさん。ざわざわ、わさわさ、人が多い美術館って、やっぱ好きにはなれない。まあでも、美術館は基本自分のペースで興味のあるものだけ見る主義なので、のろのろ前を歩くカップルの前をサーッと抜けてスタスタ見てきました。正直、なんだかあまり、惹かれるような作品はなかった。というのが一番の感想。素敵と思えるものは、なかったのです、残念ながら。でも唯一行ってよかったなと、大きな展示部屋の壁一面を虹色で飾る絵に囲まれながら感じたのは、「もっとたくさん絵を描かなくては。」と思ったこと。草間弥生の作品は興味がないが、草間弥生という人間の生き方には興味がある。・・・・・「なんでも、継続する、って大切なのかも?!」美術館を後にして、ちょうど外苑東通りを右折したくらい。「弥生ちゃんの展示にきてる」と母親にLINEをして、「こんな大きい部屋の壁いっぱいに掛けられるくらいの絵を描きたいとおもった」と言うと、こんな答えが返ってきた。ひどく共感した。何かを続けることは、一見簡単なことに思えるけれど、とても難しいことなのだと思う。続けることその行動自体が目的になるのではない。描いて、描いて、描いて、つくり続けて、その結果数十、数百の作品に囲まれたときに、こんなに自分は描いていたのか、と、そう気づいたとき、自分が感動するか、達成感を覚えるか、そこも特に大事なわけではないんだけれども。ただ、綺麗と思うものを、良いと思うものを、描いている。つくっている。そのこと自体が、自分の中の正義なのだと思う。芸術家としての私には、その私が描く絵には、自分の絵を見て、誰かに感じてもらいたい何かもなければ、誰かに伝わってほしい強いメッセージもない。でも、"Aesthetically pleasing"なものに囲まれて生きていたいし、そんなものをこの手でつくれるのであれば、つくらない理由はない。世の中にはたくさん綺麗なものがある。特別キラキラ光っているものじゃなくて、いつもそこにあったもの、いつでもそこにあるもの。自分がつくるものが、いつもそこにあるものになり、自分がつくることが、いつものことになり、日常の一部になることが、私の幸せを感じる瞬間なんだと思うんです。"I look at a tree and the tree doesn’t tell me anything.The tree does not have a message; The tree does not want to sell me something. The tree won't say to me - ‘look at me, I am so beautiful, I am more beautiful than the other trees.’ It’s just a tree - and it’s beautiful. Nothing special - incredibly powerful.”とても好きなピーター・ズントーというスイスの建築家の言葉で、とても好きな一節です。「静かに壁に佇む、そんな絵を描きたい」そんな作品を、自分はいつになったらつくれるようになるのだろう。・・・・・"I propose"という文章を、大学生活最後の1年間をかけてつくった本の為に書いた。今日はこれで、失礼いたします。p.s.それにしても、自分が思う「つくる」って言葉の雰囲気に合った漢字がない、、、作る、創る、造る。うぅん...。ブログを書き始めた時からずっとある私の悩み。