亜莉亜がレオンと席を立つのを感じながらも、私は亜莉亜に視線を送ることが出来ずにいた。
自分の中にある、『腹立たしさ』が、アーサーに対するものだけでは無い事は自覚していた。アーサーの事は、『きっかけ』でしかない。
アーサーは、確かに無礼を働いたと思うけれど、ある意味、八つ当たりのようなものだと思える自分が、厭だった。
「恵理、食事の後のお茶は、僕の部屋で飲まないか?ここは、二人で過ごすには広すぎる」
アレクが、何事も無かったかのように、明るく問いかける。
「そうね・・・・・・」
「そのあと、ゆっくり乗馬にでも出かけよう」
「ええ・・・」
アレクの部屋は、多分、父親であるリントン卿が、そしてその前の城主も、その前の城主も代々使っていたもの。
だけど、部屋にはアレクの香りに満ちている。
アレクの気品は、彼が身につけている「多くの時の流れ」というオーラなのかもしれない。
春蘭達が、お茶のセッティングをしている間、アレクが、何気なく書類を私に見せた。
「レオンと亜莉亜のコンサートの企画書だよ。まだ、たたき台レベルだけど、君にも見てもらいたくて、日本語で仕上げさせたんだ。」
私は、そのコピーの束を受け取り、無意識のうちにその企画書に目を通していた。
多分、『企画書』というものは、馬や宝石や洋服と共に、本能的に私の血を掻き立てるものの一つだ。
しかも、私が営業時代に作成していたものが、いかに稚拙だったかを感じさせる『経営の視点』で作られた『本格
的な企画書』だ。
ふと気付けば、私はお茶を飲む事も忘れ、アレクの前のソファーに座ったまま、その企画書を丹念に読み返し、アレクに質問をしていた。
頭の中で眠っていた、神経シナプスに再び電流が流れ、目覚めるのを感じる・・・それは、脳内での快感物質を分泌する。
音楽業界についての知識は、ほとんど皆無だけど、そんな私にもわかりやすいように工夫されている。
それに・・・・・・・日本語に訳した人は、誰だろう?
英語のニュアンスを、忠実に訳す事は容易ではない。
この企画書のレベルを考えると、訳した人物も、相応のビジネススキルのある人物と考えて間違い無いだろう。
私は、企画書の表紙をめくり、サインを確認した。
アレクの会社の名前ではない。
「ね、これはを制作したのは、アレクの社内ではないの?」
「企画は、専門の企業に任せてるよ。音楽の企画専門のね。と言っても、グループ企業だが・・・」
「ふぅん・・・・・制作したのは、その企画専門会社の社員?日本語に訳したのも?」
「ああ、そうだよ。」
「日本人?」
「正解」
そこで、初めて私は、お茶がすっかり冷めている事と、アレクがお茶をすっかり堪能し、私をじっと見つめている事に気付いた。
「あ、ごめんなさい・・つい、夢中で・・」
「ひと段落したかい?お茶を淹れなおさせよう。それよりも、軽いお酒の方が良いかな?」「出来れば、珈琲がいいわ。エスプレッソがあれば、エスプレッソで」
アレクは、ふっと顔に笑みを浮かべながら、内線電話を取り上げた。
「なあに?」
私は、少し顔を赤らめながら尋ね返した。
「君の、そういう時の顔は、本当に魅力的だと思ってね。久しぶりに、男の本能を掻き立てられたよ。」