「・・・亜莉亜?」

レオンに、名前を呼ばれて、はっと我に返った。
演奏会のビデオを、ぼんやりと眺めていた。

なあに?」
「どう、このチェロの子。綺麗だろう?」

レオンが、画面の端を指差した。
オーケストラの端は、すぐに画面から切れる。
再び現れた、チェロの軍団の中で、
「ほら」
と、レオンが再度指をさした。

「小夜子っていう日本人だけど、ハーフなんだって。英語も堪能だし、顔立ちも日本人らしくないだろう?」

そう言われてみると、黒髪だけれど、目の色も、彫の深さもどこかしら日本人とは異なる。

「チェロの腕前もなかなかだよ。ロード=リントンがパトロンについてて、本宅の何処かに住んでるらしいよ。会った事無い?」
「え?」
ロード=リントンが、多くの芸術家の卵達の後援をしている事は知っていた。
それが「高貴なるものの責任」というものらしい。
イギリス貴族の、そういう感覚は、嫌いではないけれど・・・

「そういう人たちもいるって聞いていたけど、ほとんど、誰にも会ったことが無いわ。」

レオンは、私のグラスに、ワインを注ぎながら、オードブルはいるかと尋ねた。
私は、ぼんやりとそのチェロを弾いている女性を見ながら、上の空で返事をしていた。
綺麗な顔立ち・・・・・・・・・
でも、チェロの演奏者は数人いるので、どれが彼女のものかはわからない。
レオンが、尋ねたという事は、レオンは興味があるね。
レオンは、アレクと10代の頃から、体の関係があったとらしいけれど、私や他の女性とも関係があったから、性別は関係ないのかもしれない。

「レオンは、日本人女性が好みなの?」
「ん?」
レオンは、ワインを飲みながら、私の鼻先を指でつついた。
酔い始めたころの、レオンがよくする仕種だ。

「別に・・・日本人とかそういうのは、意識した事無い。綺麗な音を奏でる人が好きなんだ」

「音を奏でるのがが上手なら、誰でもいいの?」

「そうかも」
レオンは、画面から目を離さずに答えた。

「男女問わず?」

「男は、どうでもいい」
レオンは、即答しながら、オードブルのチーズを、まとめて口に入れた。
どうでもいい?
私は、レオンの答えに、少し戸惑っていた。
レオンは、男女関係無く、恋をするのかと思っていたけれど・・・・・・・・・

「男は、アレクだけなの?」

「・・・・・・・・」
返事は無い。
暫くして、レオンは、ワインを一気に飲み干して答えた。
「言っただろう。アレクは、僕のご主人さま。さ・・」

「アレクを好きじゃないの?」

「好きだよ。」

アレクは、そう軽く答えながら、また私の鼻先をつついた。
私を見る目の光が、深くなる。
私の奥が、ずきりとする・・・・・・・・・・・

恵理の事を愛しているけれど、愛しているけれど・・
レオンに、そんな風に見つめられると、心の奥が熱くなる。
でも、それは、恵理を悲しませる事になるってことを、私は最近知った。
だから、レオンとは・・・・・・・・・「しない」

私は、立ち上がり
「恵理の所へ行く」
といった。
レオンは、画面から目を離さずに言った
「今行けば、お邪魔だよ、亜莉亜」

「お邪魔?」

「恵理のご機嫌は、まだ直ってないさ。それより・・・・・・君の、コンサートの企画を、アレクから聞いたかい?」

「私の?」

私は、立ち上がりかけていたけれど、再び、ビロードのふんわりとしたソファーに、座りなおした。

「君と僕との、世界ツアー企画。レオンが、その前の、打診で、ロンドンでコンサートを企画してる。それで、他のパトロンを捕まえて、うまくいけば全国ツアー・・・どう?好きなだけ、バイオリンが弾けるよ。そして、そのお金で、幸せになれる。恵理は、結婚する必要も、男の愛人にならなくていい。全ては・・・・・」

「レオン!」
私は、レオンの声を遮った。

頭の中を、レオンが今言った言葉が、ぐるぐるとまわっている。
私は、頭が良くないってことは知ってる。
でも、自分の事を、人に決められなきゃいけないくらいの存在だとは思いたくない。
そんな話聞いてない。

「勝手に決めないで。私・・・・・・」

レオンが、指で、私の言葉を遮った。

「君たち、自分の立場は理解してるんだろう?異国で・・・どうする?恵理に、日本人レストランのウエイトレスでもやらせる?それとも、ツアーコンダクター・・無理だろうね、あの性格じゃ。英語も、堪能とは言い難い。他に何か取り柄があるわけでもないから、このままじゃ、アレクの思うままだ。」

は、茫然としてレオンの顔を見つめた。

そんなこと・・・・・・・・・どうして、レオンに言われなきゃいけないの?

「そんな・・・・・・悲しい事・・・・・・・・言わないで。恵理は、恵理は・・・・・・・女王様なの。気高いの。誰よりも美しくて、優しくて、強くて・・・」
私の唇は震えていた。
アレクの思うままって・・・・

「そう、だから、アレクの奥方にふさわしい。日本のお嬢様なんだろう?ロード=リントンとも、交流がある。これほど、言い話は無いはずだ。恵理の両親も、アレクと結婚するなら、君の事など忘れ去るよ。アレクは寛大だ。君たちとの関係に干渉する事もないだろう。恵理が、奥方としてのその勤めを果たすなら・・・心配しなくても、ベッドは別だ。君は、恵理と眠る。僕は・・・・」

我に返ると、私は、震えながら、レオンを見つめていた。
「見つめる」
ではない。
もっと、力を込めたまなざしで・・・・・・・・・・・
それが、私に出来る「精一杯」の抵抗だとしても。

私の力で、恵理が私のそばでいつも微笑んでいてくれる、今のままの恵理でいてもらえる関係を作らなくてはならないのだということは、ぼんやりと私は感じていた。

生まれて初めて感じる、息が詰まるような、怖い感じ・・・
これが、「人間に対する責任感」というもの?

コンサートでは、やっぱり、少し緊張する。
沢山の人が私を見てくれているから。
失敗しないようにしなきゃと思う。
それも「責任感」だという人もいるけれど、私は、責任感だと思った事は無い。

私は、「幸せな時間」を奏で、沢山の人が喜んでくれて・・・それがとてもうれしかっただけ。
そのために、練習もしたし、何よりもバイオリンを弾く事がとても好きだった。

楽器の演奏が好き?
それとも、誰かの為に喜んでもらえるのが好き?

私の心は、揺れていた。
でも、自分が何をしなくてはいけないのかは、理解出来ていた。
恵理を・・守らなくてはいけない。

私の手を取り、自由を求め、一緒に日本を旅立ってくれた。
その為に、恵理が、どれだけのものを捨ててきた事になるのか・・・・・・・・私には想像も出来ない。

だって、私には家族も居ないし、友達らしい友達も居ない。
親戚も知らない。
ただ、私には、子供のころからバイオリンがあり、先生がいて、音楽家と呼ばれる人たちや、音楽関係の人たちが居ただけ。
とても狭い世界・・・・・・・・・・・・・

恵理と同じ会社に勤務した事は、今となっては、まるで「おとぎの国」に居た時みたいにさえ思える。
それほどまでに、私の住んでいる世界は、多分恵理が住んでいる世界とは違う。

だから、「二人の世界」を作るの。
恵理に甘えるだけじゃなく、私もそのために、一生懸命自分の出来る事をしなきゃ・・・
そう、恵理に甘えちゃいけない・・・・・・・・・・