夜明け

丸腰のヤマセミ観察は約3年間続けた。「丸腰」とはちょっと表現がえげつないがヤマセミのように繁殖期以外は単独で暮らしている野鳥は警戒心が強い。望遠レンズを装着したカメラ(実際は一度も持たなかった)を一切使用しないようにした。というより、カメラという機種は持たなかった。一緒にいる空気感のようなものを得たかったからで、大した目的はない。人にとってはたかがカメラであっても光るレンズを向けられた超視力が良い野鳥にとっては穏やかに過ごせないだろう。だから自分の身を隠す行為も一切しなかったのが自分流だった。振り返れば13年間ほぼ連日の観察(その後は不定期に現在も続けている)の際は着た切りスズメ状態を貫いた。動物園業務必要に迫られて行っていたが園に就職する前にニホンジカ、ヒマラヤグマ、ウマ、タイハクオウムなどの馴致(人に慣らしたりすること)や調教を生業にしていた。時に調教師、ある時は山に荷上げのボッカ。

ボッカは別として動物達と付き合う過程で「奴はいい奴じゃん」(思うかどうかは疑問だが)信頼されることを心がけるようにしている。方法は沢山あるが多少の時間はかかっても自分には「これ」が合っていることを経験から学んだ。力ずくや脅しても良い結果などは得られない。かつて横浜の西に「横浜ドリームランド」(遊園地)があった。下の写真を見て懐かし〜と思う人がいたらうれしい。園内では午前、午後の2回、馬を先頭に音楽隊のパレードがある。駆け寄って来る子供(時には大人も)。でっかい音量のドラムやトランペット。馬は体に似合わず臆病者。そんな馬の前にはポンポンやバトン担当の女性陣がガンガン踊りまくる。でも馬は自身が置かれた状況を騎乗者の意思を通して知ることで、パニックになったりしない。写真の右側の馬(ベー号)に騎乗しているのが若き日の私(47年前)。この遊園地ではパレード参加用の馬の調教が主な役目だった。しばらく私が騎乗し安全と確認して遊園地の職員さんにベー号を引き渡し次の調教に入った。半端ないプレッシャーだが良い思い出である。

 

 

 

ときには先頭で音楽隊を誘導するときも。小っ恥ずかしいが仮装して騎乗するとちょっと快感も。ベー号とは人との信頼関係を得るために、一緒に寝起きした。

 

野生の鳥類と仲良くなる方法。基本は自身の存在を覚えてもらうことに尽きる。隠れるほど相手と築いて行く距離が離れていってしまうものと思っている。

ヤマセミに会いに行くときは春夏秋冬、服は変えない。結構派手な服だった。「ここにいるよ」感を相手に知らせることを大切にしている。動物園勤務では特に重要なこと。鳥舎、獣舎に入る前は必ず「おはよ〜。元気か〜」って自身の存在を知らせるのと同じ感覚かな。これだけで繁殖率がぐっと良くなることは珍しくはない。慣れないところに連れてこられ、怯えた草食獣には特に有効。服を変えず(しばらくは洗濯も我慢)、声掛けで次第に落ち着いてくる。だからヤマセミに会いに行く時も天候には関係なく服は同じ物。雪でも雨でも傘は禁物。

住居が一軒もない奥山とは違い、当然人目に付く。「あいつ今日もいるよ。ヤバイ奴」近づくなよと噂している声が聞こえてくるようだ。「土砂降りの雨の中、傘もささずに毎朝、川岸にたたずむ男」だったがそこは気さくな土地柄。「兄ちゃん毎日何を見てんのよ〜」。ご近所の農家の奥さんから声を掛けてもらった。待ってましたとばかりに丁重に事情を説明した。ここからが何もかも早かった。さすがヤマセミが住む地域だ。翌日には地域のほとんどの人が「ご苦労様〜」をすれ違いざまに声掛けをしてくれるようになった。携帯電話など一切ない時代、口コミの速さは馬鹿にできない。事情が知られてうれしいが、立派なことをしているわけではないのに、会う人会う人からの声掛けに恐縮してしまう。美味しいおにぎりとお茶の差し入れも。地域の方々の協力は何者にも変え難い成果が出た。「あそこに居た。何時にいつも来るよ」ヤマセミの情報が一気に集まった。

 

つづく