思考型、思考過多、雑多で雑 -2ページ目

思考型、思考過多、雑多で雑

雑人間の思考。
ただの日記。
うちの会社は副業禁止。

昔、結婚式の打掛を決める際、こだわる気がなかったので適当に選んだ。
私はそういうとこがある。
自分のことは、大概「まあいいや」と思ってしまう。
立ち止まってよーくよーく考えて判断すると、どっちがいいか分かることも、
瞬間的に「どっちでもいいから!」って思ってしまう。
自分に対して、「より良いものを」と思うのが恥ずかしいのか、めんどくさいのか、
いずれ、大事にする気持ちがちょっと足りないのだと思う。
普段だいぶ甘やかしてると思うんだけどねえ。
どっかで不意に、そういうのが出ちゃう。
結局その時は、親とおばさんたちで「やっぱり別のがいいわよー」ってなって、
最初に選んだのより刺繍のきれいな、美しい打掛に変更になった。

この前、謎のエラー案件で、結果的に自分にいい方向へ進んでしまったということがあった。
本当は「これでいいですか」と2度確認されて、「いいです」と返事していたものの、
内心はどっかで「でもほんとはなあ、そうじゃないほうがいいとは思うんだよなあ」って思ってた。
家人に「これしかできないんだって」と報告したら、「今からでも何とかして変えてもらえ」とまで言われたが、
そう言われると逆に、若干意固地にもなってしまい、諦めていた。
仕方ないよ、返事しちゃったし、って。
ゴネたくなかったしね。

往々にして私はそうである。

そしたら、何故か謎のエラー案件が起きた。
調べても何が原因か分からなくて、あちらもそのままで私に渡すことが出来なくなり、
「時間かかってしまう分の代替品」として、結果的により良いものが得られることになった。
ゴネなくても良いほうになった。
驚いた。

本当に欲しかった結果はどれなのか、自分に聞けば分かる。ほんとはね。
だから、「何だか分からないけどすごいこと起きたぞ」と思った。
だって、通常ならエラーなんて起きないんだもん。
なのに、エラーが起きて、私が本来望んだほうになった。

んで、最初はこれを”引き寄せた”というものかと思った。
だからそういう方向で話を書いてたはずだったんだけど、
書いてるうちに、そういうことじゃないのかも?と今は思い始めている。

私は、自分をテキトーに扱ってはいないか?

そこをもう一度、見直して考え直していかなければいけないのではないか。
誰かの言葉を借りれば、宇宙の采配とでもいうことになるかもしれないが、
私は「自分の中の設定を見直しなさい、もっと自分を愛しなさい」という警鐘に思えてきた。
単純な「わーい!」で済まさない、大事なお告げというか、教えというか。

単純に喜べ、って話でもあるけど。
なんか違う、って思ってしまった話。
 

さて7月も二週目に入った。

いつもの調子だとあっという間に夏が終わるぞ。

ちょっと本気でギア上げて取り組まないとなんも終わらん仕上がらん。

もしそうなら全捨てだ、どんなに野望持っててもやらないの確定だもん。
 

服作りが楽しい、というのはよく見るが、

それは仕上がり近くと仕上がった時のような。

少なくとも私は「さー!裁断だー!ウキウキ!」とはならない。(裁断が一番めんどくさい)

だからこそ、取り掛からずに先送りしてるんだ。

ここのきっかけを作らないと永遠に何もしない。

 

物を捨てるのも判断が早くなったとはいえ、handmadeが趣味だと

なにぶん1つ2つ残せばいい、というわけにいかんので、そこは少し難しい。

生地も本もパターンも副資材も編み物やアクセの材料も道具も、

「今」だと使わない。

でも「次」に使わないとも限らない。

ここがねー、たぶんhandmadeやってる人のものが減らない理由。

 

そして、

「こうしよう、ああしよう、こうしたら」とアイディアが浮かぶたびに楽しくて、

結果、ミニマ的生活と逆走していくのだ。

 

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この前、フリーレンを「分かりやすい」と書いたのは、話が分かりやすいって意味じゃなく、
「メッセージが分かりやすい」ってことだ。
伝わってほしいこと、何が大事にしたいことか、価値観、
そういうの全部しゃべっちゃってんだよね、っていう。
小難しくしたところで、分かってもらえなかったらウケないもんね、コスパタイパの時代だと。
まあ少しずつそれもどうなの、となっていくかもしれないけど。

でもほんといい。ここまでとは思わんかった。
たぶん、凝縮した言葉の雫が貴重で尊すぎるんだ。
今までなかなか言語化してこれなかったこととか、してたけど伝わりにくかったこととか、
そういうのが分かりやすく描かれてる。

表現はされてきたんだ、同じようなことは。
でも、もうそれを、大半の人が受け取れなくなってきている。

分かりやすいこと、タイパがいいこと、そういうのしか脳に染み込んでいかなくなった。
だから、ここまで分かりやすく表現することが必要で、
それが出来てるから受け入れられたんだ。

かく言う私もここまでいいとは、と言ってる時点で、もう脳は退化している。
おそらく中学か高校あたりで、成長のピークは終えたんだろうw
残念だけど、もう戻っても半分が限度だろうな。

久しぶりにドライマンゴーを買ったので、ヨーグルトに浸けた。

「おかえりマンゴー」と言われるドライマンゴーの食べ方だ。

賞味期限を一日過ぎ、分離が進んだヨーグルトが激変。

ついでにキウイと実家からもらったブルーベリーも散らして、ちょっと見栄えもいいデザート。

あーうまい。

 

気を良くして買い物のとき、ヨーグルトを2パックも買った。

腸にはヨーグルトが合わない人もいるし、ドライフルーツも負担になる人がいるので安易におすすめはしないけど、

美味しく食べれました。満足。

しばらくまたハマりそう。

 

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最近ドラマもなんか見る気があまりしない。

のでちょっと前のアニメ見る。

冬頃は薬屋のひとりごとを見てた。

そのあと、文ストの4期と5期を溜めてたので見る。

なかなか見ないくせに、見始めると入り込めるんだよなあ。

3期までは乱歩好きじゃなかったけど、見直した。

でも一番お気に入りはブラムだけどね。

賢治をスカウトしたときとか、サイコーだったw

 

この前までは、烏は主を~を見ててハマった。

そして一旦話が締まったので、さて次どうしようかと思って、

そうだ、フリーレン後回しにしてたんだったと思い出して見る。

 

随分分かりやすい話だなあと思ったが、それが今の時代にフィットしてんだなとも思う。

たぶん、言葉で分かりやすくしないと伝わらないんだ、忙しい時代だから。

回りくどくしてしまうと、分かる前に脱落してしまう。

でもまあ、それでも面白いと思ってしまったから、私もその一員なんだよね。

それもいいか。

 

フェルンが選んだ魔法。

普通はより強くなる攻撃系の魔法を欲しがるものなのかもしれない。

人より強い力を求めたくなるものだろうから。

でも花畑を出すとか服をきれいにとか、人間が普通の生活の中で欲しい魔法を良いとするあたり、

「平和と日々の営みを大事にしようね」というメッセージなのだろう。

ほんと、このアニメ(マンガ)分かりやすい。

 

私なら家の中の埃がひと固まりになる魔法とか、

掃除しなくてもいつもプラスチックと金属がピカピカの魔法とか、そういうのがいいなあw

発想が「服をきれいさっぱり」と一緒だなw

 

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全部見終わってから、途中で気付いた「何か」を忘れてしまったのに気づく。

後半の話を見てるときに何か「ヒント」が降りてきたと思ったんだ。

ああこれは!って思ったのに・・・orz

もう戻ってこない。

もう一度見たら思い出すかな。

ん-。どうしよう。

 

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通常マニアックなとこに行くガメにしちゃ珍しく、結構フリーレン、好き。

あの、たまに「しょぼん」となる顔の時がたまらん。

「たてろーるになっちゃった・・・」って帰ってくるのとか。

くだらない魔法に命かけてるのも好き。ミミックに挟まれてるし。

変人カテゴリでしょ、これ。すごくガメっぽい。

 

フリーレンはいくつかのとこで「ガメ」じゃないかと判断されてた。

ハイターが魚座というのも複数見た。

でも他が結構分かれてる。

私はフェルンが乙女というのは同意できるけど(乙女は結構正論ぶちかまして傷つける手厳しさがあるので意外と優しくない)、

牡牛という人もいたり(牛は人にそこまで言わないと思うが)。

ザインを天秤という人もいれば(人当たりの良さと周りのバランスを見てるとこあるから同意)

蟹という人もいて。わからーん。

でもシュタルクが射手というのは違うと思う。火の星座ではないような気がする。

割と地か水かもよ。

ヒンメルは火だね、でも射手ではない。獅子っぽいな。

でも人助け必須なあたり、ちょっと違う?

あ、でも自分の王国の中のものは全部救うんだよね、獅子。

やっぱ、獅子か。

ゼーリエはガメという人がいたが、半分は牡羊だと思う。

老成した感じはガメだろうが、ガメは好戦的ではないし、変人だもん。

ゼーリエはまっとうに力を持ち、まっとうに正面から行くタイプ。だから羊っぽい。

マンガ読んでないからアニメだけの感想だけど。面白い。

 

 

 

 

なぜか7月のキャンドルが見つからない。
7月は黄緑なのに、なんで2つとも無いんだ。
使いきった記憶もないのに、どっちも無いなんてどういうことだ。

 

文句言ったとこで、私の物だから私しか触る人もいないわけで、

無いってことは、使ったんだろうな(ーー;)

仕方ないのでWoodWiⅽkのpurecomfortにした。

薄緑だし。

 

ただ、昔はこの香り好きだったのに、今はどうも甘すぎる気がする。

香りも今は弱いほうがいいな。強いのは感覚にきつすぎる。

たぶん一か月持たないので、サブでドライフラワーの入ったものを。

こちらも一応アロマキャンドルだったはずだけど、微香なのでよい。

一か月、これで行こう。

 

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先月無事に夏越しの大祓に行って、茅の輪をくぐった。

去年は一日遅れだったので、今年はちゃんと祓いが出来て良かった。

 

おみくじを引いたら、家人は大吉で、私は小吉だった。

でもそこは、ほんとは大したことではなく、

気を付けることは和歌に書いてある。

「書いてある言葉をよくよく読むんだよ!」と何度も家人に言ったが、

果たして脳に届いていただろうか…。

 

「春風に 池の氷もとけはてゝ のどけき花の かげぞうつれる」

 

私のおみくじは小吉でも十分、幸いの気配が漂っていた。 

ありがとうございます。

また半年頑張ります。

 

 

 

 

いつも足に出る帯状疱疹が腰の後ろ側に出てた。

20代の頃から出始め、それほど重度ではなく、疲れたり免疫力下がってる目安にしてるくらいだが、

そろそろ痛みになっていくのかなぁと思ったりする。

なので、厚労省で公費負担でワクチンを定期接種の方向になってきてるのは嬉しいことだ。


IBS同様、自分の体とは一生うまく付き合っていかないとね。

大病の設定はないが、ちょっとしたことで不安定さを露呈する体。

これは自分をいたわるために備えられた「立ち止まれフラッグ」なんだろなと思う。

ガメは集中力があるかわり、自分の体を蔑(ないがし)ろにしがちなので。


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この前キャメラジオを聴いてるときに、「あるものはある」と突然浮かんだ。

そりゃ、“ある”ものは“ある”だろうよ、とツッコみながら、とりあえずメモはしたw

他に取り方があるのかもしれない。

何が、“ある”のか。


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メルカリ、突如「やめよう!」と思った。

梱包は得意だし、やり取りも特に問題なかったから結構売ったけど、

出品に苦手な写真を撮ったり、売れなさそうなら値下げとか、実にめんどくさかった。

物を減らすのとお金が手に入ること、確かに両得ではあったけど、

私には向いてなかった。

本気でお金について大反省だ!と思って真面目にやり始めた。

私が不要でも誰かの役に立つのなら良いのでは、と思ってやってた。


が、やっぱり感じるのは、エネルギーが無くなったもの、だったし、

私が「ありがとう、さようなら」と処分したところで、特に社会的損失にもならないよな、と気付いた。

誰かの役に立つ云々も、環境負荷を考えた時の罪悪感の言い訳にしてたに過ぎない。

本気で気にいってたものは、ものすごく価値があると思っているうちに渡すことができたし。

もういいな、と。


元々バンバン捨てるほうが性に合ってたんだ。家も狭いし。

判断は早いほうだが、管理にかけるエネルギーがとんでもなく大きいことに気づいてからは、

手放すことを決める時の諦めも早くなった。

私には手に余る、ということを自覚したり、

持ちすぎるより、身軽さを優先したいと思ったり。

それが加速している感じだ。


なくても生きていける。

それが真実じゃないのかな。

モノのエネルギーに押しつぶされるより、空間は自分が自由に満喫したい。


ま、相対的に家人は持ちすぎる人なんで(牡牛、コレクション癖いつでも爆発)

家ん中が広くなってる感じは全然ないんだけど(^_^;)