蒲郡探検隊リポート KANO'S DIARY

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より多くの人とコミュニケーションの場を持つきっかけになればと、一念発起。
肩に力を入れず、自然体で思うこと、思ったことを綴ってみます。特段の構想は無し。

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茨城県にも空港が欲しいという知事の念願と地元経済界の熱意(決意)が叶って、2010年に営業開始に漕ぎつけたという「茨城空港」。


成田、羽田がある関東で、茨城県に新たな空港を作ることに、その利用価値、経済価値はいかがなものか、県民念願の空港という雰囲気でもなく、賛否両論渦巻く中で誕生した新空港。



どちらかというと、私も「この新空港」を冷ややかに眺めていた方の一人だったのですが、出来上がった茨城空港の現在の姿を見ると、「なるほどなぁ、作ってみなけりゃわからんもんだなぁ・・」ということを実感した次第。


今回はその報告。


なぜ、茨城空港へ行くことになったのかというと、昨年結婚した息子夫婦(中国の蘇州に在住)を空港まで送ることになったからです。


この空港には国際線もあって、1日2便、春秋航空の上海行きが飛んでいます。


柏市から高速使って1時間ほどで、茨城県小美玉市にある空港に到着。


到着して知ったのですが、この空港は航空自衛隊百里基地の敷地内にあるのです。


空港ビルのそばに、F4ファントム戦闘機が2機展示されていて自衛隊との共用空港であることが実感できます。



さて、無料駐車場へ車を止めて、空港ビルに一歩入ると、そこはもう中国。


思わず「あらぁ、こりゃすごいわ」と声も出てしまうほどに、すでに中国・・・中国の熱気と喧噪があふれていました。









息子夫婦、哲平とアンチーです。




列車の時刻が書かれた紙切れを、もう半年以上も手帳に挟んでいます。


すでに用済みのメモなのですが、なぜか捨て辛く、ずっと持っているのです。


そのメモは、JR仙台の駅員が書いてくれたもので、仙台の駅前に雪が残っていたころの話です。


仕事で石巻へ行くことになり、どのようなルートで石巻まで行けばよいのか、土地勘のない私には多少難題でありました。


というのは、通常なら仙石線一本で行けるところが、震災の影響で鉄道は不通区間が残っていて、変則的なルートで運行がされていたのです。(ましてや、初めての石巻)


「すいません、石巻への行き方を知りたいのですが・・・」という私の素朴な質問に対し、仙台駅の若い駅員(たぶん30才前後)が、ルートと列車の時刻を紙片に書いて説明してくれました。






丁寧かつ解りやすい説明をしてくれた駅員に感謝の意を述べたあと、なんとも暖かで、さわやかな気持ちに満たされたことを思い出します。


「日本に生まれてよかった・・」


「日本はいい、ホントにこの国はいいわ・・」


親切な応対、何気ない人のやさしさに、旅人は心を打たれる。


年齢のせいもあるのでしょうか、昨今、あらためて日本が好きになっている自分に気付く「今日この頃」です。









思いがけずも、17歳のころに描いた絵が帰って来た。


私ごとで恐縮ですが、私、高校時代は美術部に入っておりました。


名古屋市にある松蔭高校が私の母校。


近鉄の烏森駅が最寄りの駅。


あずき色の近鉄電車。


駅から学校まで10分くらい歩いたかなぁ。


セピア色の映像とでもいうのでしょうか、当時の情景が断片的によみがえります。


遥か彼方、気が遠くなるような、遠い遠い昔の話。


木造校舎の一角にあった美術部の部室。


夏は暑くて大変だった。


チェリオ(知ってます? 着色炭酸飲料です)をよく飲んだなぁ。


ペットボトルなんかない時代の話。


ガラス瓶に入ったチェリオ。


そのころに描いた油絵が、思いがけずも私の元に帰って来ました。


部室に置き忘れたままになっていた私の絵を、後輩が自宅に持ち帰り、ずーっと保管してくれていたのです。


サイズも大きいので、持ち帰るだけでも結構大変だったことでしょう。


後輩の彼とは年賀状を交換する程度で、卒業後は一度も会っていなかったのですが、先日、「先輩の絵を預かっているので、必要ならば、手元へ届けたい」と、メールが来たのです。


彼は部の中でも、ずば抜けて絵が上手く、卒業後は愛知県立芸術大学に進みました。


もともとデザイン系志望の彼が、芸大で油絵のコースを選択したきっかけには、私の絵の影響が少なからずあった、ということを伝えてくれました。


芸大時代はこの絵を下宿に置いていたとも。


それほどの絵なのか、恥ずかしくも、嬉しくも、思わず唸ってしまいますが・・・想像もしなかった話にただ驚くばかりです。


絵は、夏休みの合宿で描いたスケッチを元に仕上げた、港の作業船(クレーン付き台船)。


場所は、確か三重県の尾鷲港だったように思います。


まるでタイムカプセルでも開けるような、絵との再会。


この色使いは、この筆使いは、自分自身を変えたかったのか、「もっと自由になるべし・・・」と、自分に言い聞かせていたのか。


若き日、多感な17歳の頃に描いた絵を、恥ずかしながら披露させて頂きます。