今日も一日

お見事さまですニコ

 

 

kanoainaです

 

 

 

 

 

 

年を重ねるごとに

涙もろくなる、って

いいますけど、

 

 

アラフィフ超えた私も

もれなくそうです

 

 

 

 

それこそガッチガチに

人目を氣にしてた頃は、

 

「泣いたら恥ずかしい!」

(←って子供の頃母に言われてた刷り込み)

 

「泣いてたらなんて言われるか」

(←ウザがられたり、からかわれた過去のトラウマ)

って、

 

 

 

意地でも泣かなかったし、

危なそうなときは

逆ギレしてましたよねぇ

(超迷惑な、めんどくさいヤツでした~泣き笑い)

 

 

 

ところが今では、

 


感動を呼ぶような

ドラマや映画は

もちろんですけど、

 

 

ドキュメンタリーとかで、

ひとつの目的に向かって

紆余曲折しながらも

辿り着いていく姿を観ようもんなら、

 

 

あっという間に

涙腺ダム決壊です、笑

(で、しばらくほっとけオーラを出す笑)

 


 

 

 

そんな

涙腺ゆるゆるになった私が

未だに涙を流さないでいるのが、

 

 

ここでの時間を終えた

人との別れです

 

 

 

まず曾祖母、

祖父母との別れのときも

そうでした

 

 

家族や周りのみんなは

泣いているのに、

人目を氣にする必要もないのに

涙が出てこない

 

 

それが

人としてダメな感じがして、

落ち込んだりもしました

 

 

 

そして父のときも、

 


私から涙は出ることは

ありませんでした

 

 

 

でもそのとき、

湧き上がっていたのは

 

思うようにならなかった

身体から解放された安堵感と、

 

ここまで頑張ったことへの尊敬の念と、

 

私の父として出会ってくれたことへの

感謝の想い

 

 

 

「さすがお父さん、お見事!」

っていう想いで、

満たされてたんですね

 

 

 

むしろそれからの方が

父を近くに感じてるし、

祖父母たちに対しても

そう思ったらしっくりするんです

 




 

今も涙を見せることのある

妹や母からすると、

「まったくわからない」

と言われる感情や感覚なんですが、

 

 

 

今思ってるのは、

身体や、五感を使う実感はなくても、

魂での繋がりが強く

揺るぎないものになっていくんだ、

ということ

(文章化するの難しいんですが)

 

 

 

物質的になくなることは

寂しさはあるけれど、

悲しいことでも、辛いことでもなく、

 

 

 

新しい繋がりが生まれる

きっかけになるんだけなんだ、

って思います

 




 

それぞれの物語の共有は、

すればするほど

たくさん発見があって

楽しいですね

 

 

 

 

 

では明日も、

お見事な一日になりますようにニコ

 

 

 

 

ご自愛くださいね

 

 

 

 

kanoaina