どんなに忙しく自分を追い込んでも1週間に1度は休みをとることにしました。今日がそのお休みの日。僕は非常に時間にきっかりしてる、というか時間に対して神経質で勉強してる時は、きっかり時間を測って勉強しています。例えば「1時から2時間勉強する!!」と決めたら、きっかり2時間計って、1分1秒オーバーしないようにしてます。
こういうやり方が正しいかどうかわかりませんが、とにかくこうすることが自分に合っていると確信しています。
ではでは、これからが本題です。
昨日はこんな本を読みました。
字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ (光文社新書)/太田 直子

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映画字幕翻訳者として20年間のキャリアを持ち、1000本以上の映画の字幕を手掛けてきた太田直子さんが、その映画字幕翻訳の実態について触れています。文体がすごいフラットで、とても面白かったです。具体的な感想をいくつか・・・
文中で太田さんは日本語の乱れ、「作らさせていただく」などの「さ入れ言葉」や、「スカイラークさん」「ローソンさん」とやたらと「~さん」を付ける習慣などを指摘しています。その中での一言、
誤用もいつしか慣用になるという言葉が僕には気になりました。
何故かというと、この誤用が慣用になるという現象に翻訳者が呑み込まれてしまのではないかと考えてしまいました。
僕たち日本人は日本語は問題無く使えますが、あくまでそれは使えるだけであって正確かどうかまでは追及されません。言ってしまえば、「通じればいい」んです。
しかし、翻訳するとなると話は別で「正確に使えているかどうか」まできっかりと追及せねばなりません。「どうやって正確かどうか判断するのか?」という正確さの基準についてまでは僕はわかりませんが、普段から語学書や正しい言語に触れて語感を養う必要があると思います。
次に気になったのは「一つの固有名詞に対する国の間で認識度」についてです。ここでも何回か話題に出してきましたが、例えば太田さんの書の中であった例を拝借するのなら、
「クノッフ社から出版が決まったの」という台詞の中で「クノッフ社」という固有名詞が出てきます。「クノッフ社」というのは「アルフレッド・A・クノッフ社」といい、日本でいうと講談社ぐらい有名な出版社らしいです。しかし、日本で「クノッフ社」という存在は殆ど知られていないので、ここでは「出版が決まった」と固有名詞を無理に出さない処理をするそうです。
字幕翻訳では殆どの場合、訳注は付けられませんからこういった処理はやむをえません。「だったら、普通の小説の翻訳では、そのまま訳して訳注つければOKか?」と問われれば、ここはもう訳者の好みとしか言えないと思います。小説を翻訳する際に固有名詞にいちいち訳注ばかり付けていたら、せっかくの世界観がぶち壊しになってしまはないか?という懸念が僕にはありますが・・・・。
この固有名詞を訳す際に、「世間の平均的な認知度を探る」と太田さんはおっしゃっていましたが、それが具体的にどういった方法なのかが書いてなかったので、「ちぇっ」と思ってしまいましたが^^;
それと、太田さんも触れられてましたが差別語について。現在日本ではやたらと、差別につながるような言葉に対しての規制がやたらと厳しく感じられます。人昔前のアニメ、僕が好きな「あしたのジョー」や、はたまた「美味しんぼ」までも現在では絶対に使ってはならない差別語が使われているので、暇がある方はぜひ見てみてください。
そんで、ある僕に関するエピソードで僕が大学4年生の授業で、中国のとある短編小説を翻訳する課題がありました。授業中にその訳文を検証し合うのですが、中国語で“乞丐”という言葉があります。みんなは普通に「乞食」と訳してました。僕だけは「身なりが貧しい男」と訳し、あとは全部「その男」とか「彼」で訳しました。なんだか、その原文の中でやたらと“乞丐”を連発してくるし、それをいちいち「乞食」と訳してくる同級生たちにもうんざりというか、聞いてて嫌になってきてしまったので、「ここは“身なりが貧しい男”とでも訳しておけばいいんじゃないでしょうか?」と僕は食ってかかりました。乞食がタブーかどうかについてはここでは言及しませんが、聞いてて気持ちが良い言葉ではありません。
「身なりが貧しい男」と聞いて「あ~なるほどね・・・」と「言わずして悟ってもらう」ことも時には必要だと思います。
~お終い~
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