ならば、文章を書くということはどういうことであるのか?文章を書くということは、まず読み手のことを考えなくてはなりません。
・読み手が誰であるのか?
・どうやったら言いたいことが伝わるのか?
文章を書く際には、この2つのことを先ず念頭に置くことが必要です。もちろん、これは抽象的な概念でしかないので、具体的な対策は自分で色々と模索しなくてはなりません。
そして上にあげた2つの概念は、語学力の問題ではなく、意識の問題なのです。
多くはないですが、これまでに以下にあげる本を読みました。覚えてる限りですがあげときます。
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文章の書き方 (岩波新書)/辰濃 和男

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書いてある内容はそれぞれ違えど、根本にある考えはやはり「読者のことを考える」でした。
毎週土曜日にあるゼミの授業では、現在翻訳をやっています。お題は中国の“爬山族(パーシャンズー:日本でいうハイカーのように山登りを好む人々のことをいいます。)”についてです。
原文のタイトルは「给爬山族的路拍)」で、僕は「“爬山族”(パーシャンズー)への道しるべ」と訳しました。
タイトルから、中国特有の固有名詞が出てきました。これはもう、「翻訳とは文化の紹介である」といっているようなものです。この、“爬山族”を訳文にも使わないわけにはいかないでしょう。
全文を書いておくわけもいかないので、冒頭の部分だけ書いておきます。
爬山族,可不是中国的一个民族,而是那些喜欢经常爬山的城里人,人们把他们叫做“爬山族”(青字部分引用)
書き出しからもう、「中国にはハイカーが好きな人のことを“爬山族”っていうんですよー」という、いかにも中国語学習者に向けたような書き出しから始まります。そこで、以下のように訳しました。
中国には“爬山族(パーシャンズー)”と呼ばれている人々がいます。彼らは、民族などではなく、山登りが好きな都市部に住むハイカーのことです。(かんの訳)
(*ちなみに“爬山”っていうのは、富士山や筑波山のような山を登るのではなく、ハイキング(山登り)みたいな、一種の散歩を指しています。)
ところが、僕がこのように訳したことに対して、僕の先生から反論がありました。
先生:「君は、このまま“爬山族”という言葉を使っているが、中国語がわからない人間には“爬山族(パーシャンズー)”というわれても何の事だかわからないじゃないか」
他の何人かの生徒も先生の意見に賛同するような空気を漂わせていました。
先生、はっきり言って悲しいです(笑)原文にも続いて、“可不是中国的一个民族,而是那些喜欢经常爬山的城里人,人们把他们叫做“爬山族”と書いてあるように、作者がわざわざ説明を加えているのにまだ「何のことだかわからない」なんて・・・。作者の言いたいことを理解していない証拠ですよ!!先生!!(笑)
注:僕は先生のことを尊敬していますよ。決して侮辱じゃありません(笑)
じゃあ先生はどう訳したのかというと、“爬山族”をそのまま「ハイカー」と訳していました。
・・・・
他の方(僕以外はみんな1年生)の訳文も見ましたが、とてもとても褒められたものではありませんでした。授業の1週間前にこの原文が配られ、翻訳を提出するまでの1週間の間に
・原文を読む
・訳文を推敲する
・誰か(日本人、中国人)に原文と訳文について相談する
このことをどれだけ行ったでしょうか?
学部生だったら、「2,3回読んで、訳文もサラッと書いておーわり!」で一向に構いません。でも、僕らは大学院生なんです。勉強すること、研究することが仕事なんです。
そのことを意識してるんでしょうか。語学力もさることながら、そういった根本的な意識、「危機感」を持っているんでしょうか。みんなの訳文を読んで、このことは感じられませんでした。
「留学すれば日本語(中国語)がうまくなる」なんて考えはちゃんちゃらおかしい。「日本語(中国語)がうまくなりたい」なんて口だけならいくらでも言える。
問題なのは、それを実行に移しているかどうか。
授業でちょっとこのことを思いっきり言いたかったんですけど、かる~く言うだけにとどめておきました。
とにかく、今度の授業までには僕よりも以上に挙げた3つのことを実行してきてほしいものです。