

犬は人間の友達・家族・同士である。今回は、日本史上日本と犬のかかわりについてみてみよう。第二回目中世
鎌倉時代には武士の弓術修練の一つとして、走り回る犬を蟇目矢(ひきめや。丸い緩衝材付きの矢)で射る犬追物や犬を争わせる闘犬が盛んになった。 *犬追物・・・『吾妻鏡』に源実朝の頃始ったとある。
騎馬武者が、馬を操りつつ、犬を弓矢で射止める武術。竹垣で方形の馬場をつくり、折烏帽子をかぶり、直垂または素襖を着た三六騎の騎馬武者が三手に分かれ、そのうちの四騎ずつが一五〇匹の犬を射る。犬に傷をつけないために蟇目矢を用いる。尚、応仁の乱 (1467~77) 後は衰えた。
当時は、犬を食べる風習も廃れてはおらず、室町時代の草戸千軒町遺跡からは食用にした跡が残る犬の骨が見つかった。浄土真宗の宗祖親鸞は『大般涅槃経』を参考に浄肉(食べてもよい肉)・不浄肉(食べてはいけない肉)の区別を行った際、犬肉を猿肉などとともに不浄肉に分類するなど、犬肉食を忌避する考え方も生まれた。
*三種浄肉・・・仏教の修行者が食しても戒律違反にならない3種類の条件を満たした肉。ある修行者が肉を施されたとき,その動物が,自分に施すために殺されるのを見ず,自分のために殺されたのであると聞かず,自分のために殺されたのであるという疑いがない場合に,その肉を食べてもよいとされる。
南北朝時代以降には軍用犬が登場する。『太平記』には越前国鷹巣城攻防戦に於いて、南朝方の守将、畑時能が愛犬「犬獅子」と2人の従者と共に寄せ手の北朝方の砦を攻め落とす逸話が記述されている。『関八州古戦録』や『甲陽軍鑑』には、戦国時代には武蔵国の武将太田資正が、岩槻城と松山城の緊急連絡手段として伝令犬を用い、北条氏康方の包囲を突破して援軍要請に成功し、度々撃退していた逸話が記述されている。
このように、日本人と犬の係わり合いは深い。合掌
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