『理趣法』というのは、

 

『理趣経』というお経を、

(空海さんと最澄さんの貸借問題のもと。)

お経として読誦するだけではなく、

身・口・意を統合して使って、

多次元的に祈るというもの。

 

 

言い換えると、

 

「フォログラフィックを作成する。」

「フォログラフィックを書き換える。」

 

 

「三密加持」とは、

そういう行為と言えるかもしれない。

 

 

2〜3週間過ぎて、

はじめは専務の竹ちゃんのドライバーで、

物件管理を教わった。

 

 

その後グループに配属して貰って、

先輩と一緒に物件管理に回った。

 

 

当時の「物件管理」は、

物件の掃除と換気が主な仕事。

 

 

そこにたまたまお客さんが来るはずもなく、

営業マンの補佐的な仕事だ。

 

 

暫く滞在してから会社に戻る。

できるのは、掃除とその物件での『早々略念珠法』。

 

 

「家のお払い」・「運気向上」

を自然とやっていた。

 

 

終わってする事が無いと居眠りしてから、

本社に帰る。 (笑)

 

 

本社に帰ると、

『お前らよう寝た顔しとんなぁ。』

という社長の一言。

 

 

その頃はスマホではなく、PHSとかいう携帯。

グーグル先生なんてまだ存在していない。

 

 

もっと有効な時間が過ごせただろうが、

まだまだ時代がのんびりだった。

 

 

半月くらいだったか、

その仕事をこなすと、

今度は奈良の学園前という土地に、

戸建て住宅を建てるとのことで、

その現場での手伝いに回ることになった。

 

 

学園前といえば、関西の商人の憧れの土地の1つ。

どうやらそこに社長の家を建てる計画。

 

 

その周りに高級住宅を建てて、

気のおける方に住んでもらう。

振り返ると、村づくり的な発想のようだった。

 

 

先ずはプール付きの豪華な社長宅ができて、

そこで寝泊りも可能になった。

 

 

大阪の本社へそこから出社である。

 

 

本社から学園前の社長宅に向かう時

車の中で社長から相談があった。

 

 

『こんど日本一の修行大師像を作りたいと思う。』

『〇〇というお寺に寄付することにしている。』

 

『ミッちゃんとこの親父さんは会社を通して作ろうか。』

 

 

うちの父は当時は工芸会社のサラリーマンで、

手に負えるような話ではない。

 

 

注文先はほぼ金井工芸と決まっているという。

いう当時は越前大仏とか、

大きな大仏を作るのが少し流行った。

その時の経験豊かな会社が金井工芸だった。

 

 

総工費は数億円である。

 

 

『わかりました、こんど聞いておきます。』

億単位の話だが、

世の中の大人の事情にうとい私。

 

 

父には軽く話しておいた。

 

 

後日、父の会社でも調査会社を入れたりして、

話の内容を検討して、

金井工芸さんへの仲介という仕事になったらしい。

(この話は2020年になって漸く、父が詳細を語った。)

 

 

いま思うと、私のお礼の一言もなかった。

紹介料、

いまで言うアフィリエイト料も発生していない。(笑)

父との関係は2019年ころまでこんなもんだった。

 

車の中での会話だけで、数億円の話が決まった。

 

 

いまではその法の次第がAmazonで手に入る。

おかしな時代だ。