長い空白となりました。

10年近くなるでしょうか。

 

新聞で一日を書き留める箇所があり

何を食べたか。

体温は。

新聞記事を読んで思ったこと。

 

そしてこのブログに再度挑戦することにします。

 


 

 カタルシスの言葉はアリストテレス、ピタゴラス派など哲学の領域から精神療法の範囲を含んでいるようですが、日常の生活の中で哲学や精神状態を意識せず無意識にて人々は対応しているのだと思います。行動、言語により精神状態のわだかまりを発散消化している。悲劇を鑑賞し涙すことはカタルシスそのもの。


                
 

 短編小説を読むことを忘れ幾年も経過しました。目の疲労が読むことから遠ざかる理由のようです。

 短編小説の名手は多く三浦哲郎、星野新一等々。

 父は文字が読めなかったので家には小説なんてものは一切ありませんでした。本を読み始めたといえるのは高校生になってから、通学の乗車時間が1時間ありましたのでぼんやり、ある時は夢中になって読んだ記憶があります。

 その読書もカタルシスだったのかもしれません。


 ある小説家の「読者がカタルシスに包まれるように何を、どのように書くか。現代を江戸・中期後期の時代を借りて書いている。」との言葉が頭に残りました。

 高校時代の文化部クラブで共にした友人と越後湯沢で懇親の宴を行いました。幸い晴天に恵まれ、関東近郊在住6人は大きめの自家用車で関越道から現地入りしました。新潟方面はそれぞれ新幹線で集合し約5年ぶりの再会です。


 当日は日曜日、ホテルは閑散としているに違いないと思っていましたが、予想に反し、新潟県の山間の中学の同窓会が開催されており、70代の方がたくさん大きな声で話しており、まるでこの空間は何だ!という雰囲気でした。


 浴場は混雑していましたが、大きなホテルなのでかなり許容量はあり、70代の人々の日常の疲れを取るに豊かなお湯は十分であったと思います。


 我々は総勢10人。一人は13年前に脳梗塞で倒れ完全な片マヒ状態になっています。簡易な車椅子を持参しているのでさほど困るまいと想像していましたが、その予想は全く甘いものでした。


 少しの段差でも車椅子は乗り越えることが難しく、3人がかりで持ち上げる必要があるのです。お風呂を楽しもうと浴場まで車椅子で行き、彼は杖で脱衣場から湯船まで歩く必要があります。段差が湯船と床に40センチほどありますが、これがなかなか手ごわいのです。彼の右足はほぼ一直線にて曲げることができません。浴場の椅子を使い湯船に入りましたが、出る時も一苦労となります。


 本来、障害者にとって、全くバリアフリーであることが建物の最低条件であることが必要です。車椅子から容易に湯船に浸かることができる造りであることが必要なようです。


 日常、障害なく生活する人にとって、障害者の日常を理解することは困難であり、甘い考えであったと反省させられました。



          
            ラジオ体操
 小学校の時は15分くらい歩いて姉や近所の友達と体操に出かけました。今は廃校となっている小学校ですが現在も建物は残っています。二宮金次郎の像は明確に記憶しており、今思えばほんの30センチくらいの高さでしかないよじ登りが高い挑戦として記憶に残っています。体操をしての帰り道下駄をはいていたと微かに記憶があり、無口でぼんやりした道草型の子供だったように思います。



 私の住む北浦和には駅前に公園があり、従前は埼玉大学としての地でバンカラなマントを羽織った学生が大きな声で歌っている銅像が裏手の一角に存在しています。



               



 ラジオから流れる清々しい朝の声で体操が始まりました。子供たちの夏休みは噴水の周りは賑やかなはしゃぐ声がこだまします。見渡すと女の子が多く男の子が少ないようであり、そして5年から6年生の児童、特に男の子は少ないように思えます。



 夏休み以外は近隣の高齢者のみのラジオ体操が繰り返されます。ジャンプができない、後ろに反り返ることができない、様々な機能障害が顕著になる時間帯でもあります。


 

 どこの老人ホームであっても女性が80%以上を占めることは明らかですが、朝のラジオ体操に集まる高齢者はなぜか男性が多いのです。



                



 時折、日曜日朝「趣味の園芸」の後の「日曜美術館」を見ることがる。

「あいだみつお」を取り上げていた。なんと子供の字ではないか、なんと当たり前の言葉ではないか。と思う最初の印象は年を重ねるごとに、ほんとうがわかっていない自分と、ほんとうがわかっていない今がある。



               



 群馬県東村「ほしのとみひろ」の作品を見に行ったことがある。花の絵と言葉・・・

 


 書道家であるがゆえに子供の作品と思える字体には研究と研鑽そして思考が詰まっている。言葉は日々の無数の言葉から残ったものだけ・・・


 薄く彩られた植物の茎と花はこれでもかと見て見て見て書かれた線で描かれている。



 雨の日には雨の中を、風の日には風の中を・・・


 いい日だ、つつじの花のむこうを老人が歩いいく

 右の足左の足右の足左の足 あ、片足で立った、お、半ひねり、

 すごいなあ、人が歩くって・・・



 少し考えればいい。そして自分で決める。少し考える。いつも考える。そしてかんがえる。



人は環境で思いが変化していく、18歳まで田舎で生活した僕は、時折帰郷するごとに、ただ家の周りにいてそれで当たり前、娯楽に出かけることもなく楽しみを求めることもない。草木の手入れと掃除で日々が暮れる。関東の生活は時間が余ると外に出かけないと落ち着かない。出かかることが義務であるかのように。


小学生時代、冬には多くの雪が降った。炬燵だけの茶の間で時間を過ごしていた。



 




 

 平成27年元旦に賀状が届きます。また新しい区切りが始まったと、過去をリセットするにはふさわしい時期ですが、さりとて昨日とさほど変化のない自己を見つめることにもなります。

 

 新年の挨拶と健勝を祈念する決まり文句の多い賀状の中で、心を揺さぶられる文章がありました。古期を迎える職場の先輩からです。自営の仕事に区切をつけ、今までとは違う日常を送ろうと宣言する文章でした。


 映画の脚本、写真、徹底的にのめり込んだ20代。しかし20代で置き去りにしてきた過去。そして、ピアノを習う。近所にピアノの先生がおり、音符も読めない、歌えば音痴。

 しかし、前向きに取組み、残された5年、自分を生きたい。




 いつも希望の人生があり、できない人生が隣り合わせ。考え方で変えられる人生であるが、自分が古希を迎える時が来たら、もう後は無い。この強迫観念で日常が別になるかもしれないとの思いも生まれる。古希まで6年間。




                

 
                  北浦和公園




 ぼんやりしていると時が流れ、油断をすると年老いた姿勢になり、暑い夏から知らず風のひんやりする季節に囲まれています。原発事故収拾のむずかしさ、エボラ熱に御嶽山の噴火、皆既月食を含めれば人々は天地の壺の中にいるに等しいのかもしれません。一方、明日はどうなるかわからないと言えども,日々の暮らしはそんな大げさな力で捻じ曲げられることもなく過ぎていくのも事実です。

 日本の面積に限りがありますが、宇宙には限りがあるのか不明で確かめる事は不可能なようです。


 

 考える事に慣れているつもりでも、日常が決められたごとく過ぎていくと、考えることを忘れてしまっています。また、覚えようとしないことから記憶が薄い板となり色あせた紙のようになっていく感があります。明日の予定さえ頭で考えず手帳を見て認識しています。


 幼子が輝かしい目で、見える全てを吸収していく、ただありのままの力に羨望の眼差しを向けるだけの昨今・・・



          



 消費税需要の反動で、閑散としているかと地下の食材店街に足を踏入れ予想に反して混雑しているのは購買力が持続しているのか、それとも食を休むことのできない理由からか、又は皐月を迎え動き出したい動物の本能によるものか。



 昨日出かけた里山のハイキングには20代30代の男女を多く目にした。半ズボンとタイツが定番の服装にコースは色彩を増し、変わりゆく日本の変化の一つとして熟年には映る。昼の弁当を頂き、正午過ぎから下るばかりの林道を歩き、時折遠くの連なる山々や霞んだ都会の遠景を眺めながら、あの辺りは八王子かと見当をつける。



 動き出したい本能はどこから来るのであろうか。自分が決めているようで何一つ決定していない。が正しいことかと思うのであるが・・・



 

 さわやかな五月の風に吹かれ、

 陽気な空気が人とは関係なく生まれてほしい。

 







 あまりにも月日が早く振り返る間もなく数ケ月が過ぎ去りました。

平成25年は暮れ新しい年の寒さを越えて、桜も満開になりました。

年賀状はありきたりの文面を送り、8年間短文で思いを込めた慣例の文章は作れませんでした。


 新年は郷里で迎え寒い数日でしたが、何とか庭を掃除し、母の顔を見て、同級生一人と語りまた関東に戻りました。


 一月二月は依頼を受けた仕事の処理で過ぎ去り、確定申告の用務で一般申告者の相談に耳を傾け、昨年より経済が好転している空気を感じながら、1枚の紙に数字だけの確定申告書が映し出すその人の1年の人生があるようで思わず顔を見つめてしまいました。



 ありきたりの賀状しか作れなかった新年から2週間、寒中見舞いが届きました。平成12年から2年間単身赴任した新潟県の小さな町でお世話になった方からでした。毎年ご夫妻で趣味の短歌が載っている賀状ですが・・・

寒中見舞いには「昨年10月息子が旅立ちました。寒さ厳しき折柄、皆様のご健勝をお祈り申し上げます。思いがけぬ事態に迷い・・・歩いております。ありがとうございました。」



 月日の流れとは容赦なく思いがけない事態をつきつけてくる手ごわい相手。そして癒すのも月日の流れかもしれませんが残念ながらその力は無いのではと感じています。



        


         

 ジャズコンサートと言ってもさいたま新都心・欅広場に出かけた折、ちょうど調子の良いテンポに引き寄せられ家内と椅子に腰かけ楽しんだ音楽でした。


 クリスマスに近いことから樹木にきらきらする明かりが施され少し寒いくらいの夕方5時ころでしたが、大学生の奏でるトランペット・サックス・トロンボーン・ギター・ドラムの音は体に響き、さほど多くない観客は、学生の若さを音を通して感じ取っていたのではないかと思います。


 トランペットをソロで吹いた女子学生は驚くほど前にでる音を作っていました。高音で、直に感じる音。生演奏の音を聞くことが元気にさせる力を持っていることは事実のようです。


 近くのコンビニで買ったワンカップの日本酒を飲みながら、頬をふくらませる形相を眺め40歳も異なる若さを考えていました。


 今年も一年を終えようとする時を迎えました。