【看護のための「いのちの歴史の物語」】を勉強をする | 観念の化物

観念の化物

はなちゃんには辛い過去があるんだから…

 

 

 生物を活かしつづけているもの、すなわち、「いのち(命)」

 事態の変化発展の歴史に着目「生命史観」

 

  

第一章 プロローグ 「いのちの歴史」の学びは、人間の謎を解く

  

  第一節   「いのちの歴史」を学んでみませんか

 母乳と粉ミルクのどちらが良いかという問題、これは両者の化学的な成分分析を行って比較して、免疫成分が含まれる母乳のほうが良いとか、最近は環境ホルモンが含まれる危険性があるから粉ミルクが良いとか、お乳の問題は成分分析で片づけられてしまって、肝心な授乳の意味については触れられていない。

 哺乳類の特徴はお乳を通して、ヒトならヒトになるために必要な栄養が、新鮮な形で母親から子供に受け渡される。この最も大切な部分で力を発揮してくれるのが、これから始まる「いのちの歴史」である。

 生命体である生き物たちが地球の発展とともに歩んだ約35億年の歴史

 母乳を例にその意味を考える

 「いのちの歴史」を学ぶことによって人間に関するどんな問題も自分で探っていくことができる実力がつく

 人間を全体的にとらえる(人間とはどのような存在なのか)

  

  第二節 「いのちの歴史」を学ぶと何が見えてくるのだろう

 現在の人間が様々な側面を持っているとしても、単細胞から長い時間をかけてしだいに複雑なものへと変化し、ついには人間にまで発展してきている。あたかもいくつもの分かれた枝のように見える生物につながりから、一本の太い幹をたぐっていくことによって、人間へと発展できた大きな流れがみえてくる。

 単細胞から一本の太い幹を長い時間をかけてたどっていくことによって人間へと発展できた。人間とは何かをわかることは歴史性=プロセスをわからなければならない。

  

  第三節 人間は「いのちの歴史」をくりかえしながら生きている

 生物の進化の歴史はお母さんのおなかの中で胎児として発育する約10ヵ月にみられる。ヘッケルの「個体発生は系統発生をくりかえす」ということが重要。どのような個としての生物も「いのちの歴史」の形成を必ず初めからたどらなければならない。人減は、一つは生物としての人間の歴史として、もう一つは個としての人間の歴史として、「いのちの歴史」の流れに従って生活させられていることで生きることが可能になっている。

  

  第四節 看護一般論における「いのち」とは

 「いのち」について知っていたら、人間の生活過程、24時間の生活を整えることができるようになる。

  

  第五節 ナイチンゲールの「いのちの法則」とは

 生命というのは、太古のある時期の、地球の性質として始まった。生命は地球から生まれ、地球は太陽から生まれたのであって、太陽の作用によって地球の一部がある時点で生命体化した。

 地球の性質として始まった「命の法則」(人間の身体は外界である世界と深く結びついている)はもともと同じものが分かれたところにある。

  

  第六節 見事な看護師になるために本書を!

 個人の生活過程は「いのちの歴史」の流れに従った場合2重の意味で見事に整えることができる。個人としてはその育ちがたで違ってくるが、その個人ももとをたどれば単純な生命体の子孫だから、それを基礎にして「生活過程」が営まれている。さらに言えば人間の大本である生命体を知るには、地球を知らなければならない。地球を知るには、地球がどのような育ち方をしたかを知らなければならない。

 この「いのちの歴史」の物語は、宇宙の生成から説き起こし、太陽系の中の地球の生成から生命体の発展、その過程での人類誕生から社会の歴史、を一貫した論理で説いていく、世界を丸ごと対象として一貫した流れとして説ききるという物語。

 生き物の頂点としての人間は「こころ」を持つに至った。「いのち」が咲き誇ったのが「こころ」であるともいえる。

 

   

第二章 大宇宙の中での、私たちの太陽系はどのようなものだろう

  

  第一節 私たちの太陽系の誕生

 「いのち」というものは物質の発展の長い長い歴史によってつくられてきた。

 全宇宙における物質の進化が、あらゆる大きさの太陽系レベルの無数の星々を全宇宙規模で誕生させ、全宇宙において、連鎖反応的なほぼ同時性において大爆発が起こり、その時に誕生した星の一つが私たちの太陽系である。太陽から飛び出た地球や火星、金星などの惑星たちは非常に高温だったが、本来的には火星や金星と同じように地球もだんだんと冷え固まっていく運命のはずだった。

  

  第二節 地球誕生の特殊性を見てみよう

 月が太陽のミニ惑星として誕生したことによって地球の通常の物体としての過程を大きく変化させた。

 地球の周りを回り始めたこの衛星は、地球の直径にして約四分の一もあるという大きな衛星、すなわち月だった。

 太陽と地球とこの月の生成が三重の構造を形成することで、生命の誕生をもたらすことになった。その結果、他の惑星のようにしだいしだいに冷えていくのではなく、月が太陽の熱を大きく自身で保持しながら地球との関係をもつことによって、地球の冷え方が火星や金星などと違ってとてもとても緩やかになり、地球の温度がある時点でほぼ一定に保持する力を偶然に持つことができ、地球が温度の変化があまりない状態が続いた。

  

  第三節 地球の化学的変化が生命現象へと変化した

 生まれたての月はまだまだ太陽なみに熱く存在しており、その光は強く、地球上に力をおよぼしており、地球もまた月同様生まれたてだったから、現在とは比べ物にならないくらいほどの高熱的レベルでの変化に富んでいたから、火星や金星のような物体の変化のようなありかたではなく、物理的現象の変化から、化学的変化としての過程を歩み始めたことが主な原因となり「いのちの形成(生命現象)」の誕生につながっていった。

 

 

  

第三章 「いのちの形成(生命現象)」は地球現象として始まった 

  

  第一節 地球は月により特殊な惑星に変化した

 巨大な月のおかげで他の惑星がたどったようなしだいしだいに冷えていってしっかりとしたカタマリの惑星へと落ち着いていく変化ではなく生命誕生につながる物質現象、全く異なった複雑きわまりない物質(生命体)へと転化する変化、化学的な変化を引き起こすことになっていった。

  

  第二節 地球に起こった「特異現象」とは

 地球は太陽からの熱を直接受け取って、自分の熱の力を太陽の高熱でより温めながら、同時に、月からも月自身の熱は当然のこと、月がもらっている太陽の熱をも合わせながら、月から受け取る状態が続いていって生命体になるべき状態が誕生した。

 生命体になるべき状態の誕生、生成されていくかと思えば生成されずに後戻りをすることの繰り返しのうえの繰り返しでしかない化学的変化の中身がしだいに変化して元のものに戻りにくい物質ともいうべきものへと転化していき、これが代謝といわれるものの原基形態を生じさせることになった。

  

  第三節 最初の「いのちの形成(生命現象)」の中身は何だろう

 燃え上っている太陽の子供として誕生し、他の兄弟惑星である金星、火星などと同様の運命を持っていたはずの地球が、太陽と月と地球の三重構造を把持することによって、その地球の表面が偶然にも特定の温度の一定の幅で保持され続けたことによりその温度をある上下の幅に見合った化学変化を起こしうるものとしての、新たな物質「いのち」の形成への歴史を歩み始めた。

 当時の地球はすべてが混とん(カオス化)として、大気が渦を巻いては消えかかり、消えかかると思えば渦を巻く状態が至る所に見受けられ、しだいしだいに渦巻きが落ち着いて、霧が立ち込めているような状態が増えていった。

「いのちの形成」を起こしてきた物体が、この現象を起こしやすい物質へと変化するとともに、地球にこの現象を保持できる環境を創り出してしまっただけでなく、地球の実体も変えかねない実力が整ってきた。

  

  第四節 「いのちの形成(生命現象)」の構造を見てみよう 

 太陽、地球、月の3重の関係から地球の冷えがとどまっていたが、この3者もわずかながら温度が下がっていった。このことが「いのちの惑星」とでもいうべき存在に地球を変えていった。

 「渦巻のくり返し」を何度も何度も引き起こしていた物体が、この現象を保持できる環境を創り出してしまった(量質転化)だけでなく、そのことが地球の実体をも変えかねない実力として育ちながら、かつ、それが実力として整ってきた。これが、化学的現象化から生命現象へ、生命現象から化学現象へという可逆変化ではなくなって、化学的変化レベルでの生命現象から、生命現象レベルでの生命現象の可逆変化へと重層化していくことになった。

    

 

  

第四章 「いのちの形成(生命現象)」過程の謎を解く

  

  第一節 「いのちの起源」の問題は学問上の大問題であった

 地球上の大問題である台風、地震などといった物理現象、あるいは砂漠化のように生き物の力が衰えていく現象までも、地球の地球の生成の過程的構造として、地球そのものの究明を進めていくことになった。

 物の一般的な変化発展の流れからは生命体は誕生しないと考えたほうが論理的である。ところが地球上では現在までも生き物に満ち溢れている。とうてい解きようのない謎と思われたものが実は生命体誕生の謎を解くカギとなっていった。

  

  第二節 大哲学者ゼノンの問題との類似性を解くと

 学問としての看護は看護実践を踏まえて一般化される形で事実を踏まえると同時に事実を超えて成立していく論理、事実を超えて成立していく論理や理論

  

  第三節 「いのち」の起源の謎ときは、ゼノンレベルの実力を要する

 月の誕生によって地球だけが特別な物質というべきものに変化する条件を整えはじめていった。

  

  第四節 「いのちの形成(生命現象)」を生んだ地球の大異変とは何か

 単なる物「物質」が生命体に「化ける」には、長い長い実力養成の時間(過程)が必要なのだから、地球の一部で生じた一時的な大異変では「いのち」は到底誕生できない。したがって、「いのち」が誕生するような大異変は地球丸ごとだったと考えなければいけない。この大異変は論理的な意味である。

  

  第五節 「いのちの形成(生命現象)」からその実体化への過程(1)

 地球が冷えていくにつれて単なる物(物質)の運動だったはずものが、現在の代謝関係といわれるものの原基形態的な運動へと量質転化したもの、すなわち、代謝過程が、くりかえしの連続を保つ過程、重層的過程として量質転化したものが「いのちの形成(生命現象)」だった。

 構造レベルの生命現象の実体化の運動から生命現象が維持できなくなる状態が地球に起こってきたら「いのち」は自分を守るために「いのちの形成」という運動と、直接的にそれを支えるための生命体の身体の維持という運動に重ねて生命体の大きなワクである生命現象に合わせる運動を行っていくことになる。

  

  第六節 「いのちの形成(生命現象)」からその実体化への過程(2)

 静かに静かによどんでいった変化の連続が同じレベルの構造の変化、不変化の過程がくり返し、くりかえし起こったことにより、結果として量質転化化していった大異変の長い過程が、生命誕生のくり返しくり返しの過程につながり、これによって生命現象の実力がつき、しだいしだいにその実力の増大によって、いわゆる、「大地や大気」も生命現象を受け入れるものに整えられていった。地球全体ではなく、その一部であれば、周囲の物(物質)の一般的な変化、発展の流れに押し流れてしまい、その力に抗しようがなくなり「いのちの形成(生命現象)」が続きようがなかった。

  

  第七節 「いのちの形成(生命現象)」の謎解きは論理と事実の統一として(1)

 物(物質)の一般的な変化、発展の流れからすれば生命体は誕生しないという論理(論理とは対象の構造=性質を一般的に法則レベルで把握したもの)と、物(物質)の一般的な変化、発展の流れに反するような大異変が生じてそれが生命体の誕生につながっていったという論理との統一、同じく生命体は現在まで生き延びられないという論理と、大異変ないしはその結果が現在も出続いて生命体が生き延びたという論理とを統一して初めて真の答えが出てくる。

 生命体誕生の謎を解くためには、50~30億年前の出来事を論理的に措定してそれを事実レベルで解く以外の方法はない

  

  第八節 「いのちの形成(生命現象)」の謎解きは論理と事実の統一として(2)

 物(物質)の一般的な変化、発展の流れから地球が大きくわき道に外れていったからこそ、地球上に生命体が誕生したと考えられるが地球という1惑星レベルでは物(物質)がどう変化しようと、どうわき道に外れようと、物(物質)はやはり物(物質)でしかないだけに、その大きな変化にも限界がある。

 全宇宙規模で大異変が起きたのではなく、一太陽系の一惑星である地球レベルでは物の一般的な変化発展からは外れていない。物の一般性は貫かれている。

  

  第九節 「いのちの形成(生命現象)」過程を学問的に説くことはなぜ必要か

 ナイチンゲールが外界である世界と内界である身体とのつながりについての法則をいのちの法則と呼んだこと、あるいは、新鮮な空気や陽光を強調したことの真の偉大さ生命体の実体だけでなく、生命現象というものまで射程におかなければ真の理解には到達しないということ、どんな例外的に見えるものにも必ず病としての一般性、あるいは回復過程としての一般性がそこに貫かれている。看護の一般論をきちんと学ぶことが看護の見事な実践を志す人には不可欠である。

  

  第十章 「いのちの形成(生命現象)」を生んだ地球の二重性を知ろう

 地球で「いのちの形成(生命現象)」がまず実体化できたのは、形の上だけでのカタマリとしての量質転化化であって、いわゆる物(物質)としてのカタマリにはなりきれなかったという量質転化化が「いのちの形成(生命現象)」が誕生した、その「いのちの形成(生命現象)」化が、地球との相互浸透によってしだいに量質転化化していって、じったいとしての「いのちの形成(生命現象)」へと転化して、そこから私たちが直接見ることができる生命体へと発展し、その反面、地球はその生命体が活動できるような惑星として定まっていった。

 

  第十一節 「いのちの形成(生命現象)」過程を具体的にイメージしてみよう 

 「いのちの形成(生命現象)」が何億年後、ついには自分の本当の体をもつに至った原因には、地球が物(物質)としての変化の一般性に抗しがたくなり、変化が大きくなっていった結果、「いのちの形成(生命現象)」のリズム(代謝)をがそのままでは継続できがたくなったことと、それだけにはそのリズム(代謝)を保持するために、何らかの量質転化化をはっきりなさざるをえなくなり、地球といわば独立的になる自分の体を持つ必要に迫られた。

 「いのちの形成(生命現象)」は、代謝過程という物(物質)の運動としては極めて特殊な、単なる物(物質)と違って、同じレベルの同じ構造のくり返しのくり返しという、くり返しても同じ質を保つ過程を有している。

 生命体の誕生とは細胞体の誕生のことであり細胞膜の誕生のことでもある

 

  

第五章 「生命体の歴史」は自らが生み出した水の発展とともに

  

  第一節 「いのちの形成(生命現象)」のありかたが地球に水を生み出した

 生き物の進化の歴史を学ぶ時の最大のポイントは生き物と地球の繋がり

 現在においてもこの地球とのつながりを維持することが生き物にとって最も重要なことであり、進化の大きな理由でもある。地球が死の惑星へと歩むことを押しとどめないと、生き物は地球とのつながりを維持できなくなり死滅していくことになる。「いのちの形成」は地球の惑星としての一般性の流れに抗してできたものだから、自らの環境を整える力を有している。「いのちの形成」とは水を生み出す大本の力である。

 生命活動の活発化が増大することで地球の水は徐々に増えていく。水が増大したことによる湖から海への誕生は部分部分がばらばらに発展しかかった地球の一体化の維持を大きく助けてきた。ちきゅうきぼにおけるみずのぞうかがちきゅうの大異変を持続させるようになった。生命体はその活動によって地球を大異変の維持できる惑星とし続けることができたのであり、逆に大異変に応じて変化してきた。

  

  第二節 「生命体の歴史」とは単細胞化ら人間までの進化の歴史である

 地球上の生き物には、地球の環境の変化に応じる形でその体と機能をレベルアップしたものと、単細胞のままから途中でほとんど変わらなくなったものなどもいて、全体として関連しながら地球の環境とつながっている。みな同じように人間だらけになったら地球とのつながりを維持できなくなり滅亡してしまう。レベルアップして人間まで至ったものが系統樹の本流である。

  

  第三節 生命体の進化がたどった各段階を簡単に見てみよう

 「いのちの形成→単細胞段階→カイメン段階→クラゲ段階→魚類段階→両生類段階→哺乳類段階(4つ足哺乳類)→猿類→人間」

 人間にいたる道程とは、地球という生命体の生存基盤の環境の質的量的変化の中で生命体が大きく姿を変えなければならなかったと同時にしっかりこの各々の段階で獲得した実力を積み重ねる形で身につけて実力を向上させ人間にまで進化してきた過程。それはヘッケルの「個体発生は系統発生をくり返す」と説いたように、受精から誕生寸前までの母親の胎児の発達過程にみられる。

 単細胞から人間までの生物体の歴史を単一化して生命体と呼ぶ。発展しそこなったかに見える生物は次の段階へたどっていくための梯子である。

  

  第四節 単細胞の誕生の意義を知っておこう

 生物学としての原点は単細胞段階である。したがってわからなくなったら原点に戻って考えよとか原点にかえって考えないと大事なことを見落とすということになる。単細胞段階とは体一つで生物としてのすべての働きをなすからである。

  

  第五節 単細胞段階からカイメン段階へ、さらにクラゲ段階へ 

 水分を生み出す源である「代謝」が生命現象段階より多くの水分を排出するようになった単細胞段階では大水量で溺れないために多細胞へ発展することになった。

 大地とのつながりを絶対に維持しつづければならない細胞は大地にしがみつくという運動を専らにする細胞と代謝を専らにする細胞と両者をつなぐ働きをなす細胞に多細胞化していった。実質は地球との一体化をしっかり保ち続けるために多細胞段階への発展となった。

 さらに水が増えていくと、カイメン段階(多細胞段階)の生命体は深くなった水の底では太陽や大気とのつながりが薄くなってしまうため、揺れる水に体を合わせることを通して「動かない」「動かさない」という運動から「動く」トイウウンドウヲオボエテイッタ。こうして水のうえでの浮遊生活を送るクラゲのような生命体へと進化していった。

  

 第六節 魚類段階の誕生の意義をまじめに知ろう

 湖レベルの大きさで漂っていただけの水流がそこから水が流れ出すことにより海ができてきた。

 単細胞からクラゲまでの生命体の大きな活動と物理的変化により岩石がしだいに砂化していき、岩石のワクを崩し流動化しはじめることになった。これは生命体の活動と地球の物理的変化との相互浸透によるものだった。海で生活するには頑丈な体と強力な皮膚とか、筋肉骨等が必要になった。運動器官だけでなく代謝器官の分化化も必要になった。

 そのためにはそれを体系的に一つのこととして行うための脳が必要になった。もう一つは外界を反映してそれに合わせて運動する必要が生まれた。それは海の中での自分の生活圏をしっかり把握できる必要があった。脳の誕生はこのためでもあった。

  第七節 「系統樹」を「生命体の歴史」としてとらえ返すと

 生物の歴史を単細胞から人間までの生命体一般の大きな発展としてとらえるには唯物論に立っての弁証法的な対象の中身をしっかりと見てとる実力が必要だった。”見てとる”ということは”見る”のではなく”見て””対象の中身をしっかり””見てとる実力が必要”だから

 

 

 

第六章 「生命体の歴史」は運動形態の発展として理解しよう

 

  第一節 細胞膜を形成し単細胞段階へ

 地球と月の温度がなかなか下がっていかないある一定温度の幅の上下だけの状態のまま気の遠くなるような長い長い間持続させられることが、地球上の無機的物質を、化学的変化が同じレベルでのくりかえしのくり返しを保つことにより生命性を帯びる物質へと化学的変化をきたすことになった。この化学変化が有機体へとなっていき当時の地球に見合ったレベルでもっとも単純な単細胞体へと実体化をはたしていった。これは細胞膜を創出することで「いのちの形成(生命現象)」状態を維持し細胞膜によって地球との元の状態を続けるという二重性によって生き続けられるようになった。生き続けることを繰り返しながら生命体としての内実を深めていった。

 

  第二節 大地(岩石)に固着するカイメン段階へ

 代謝活動(生命活動)によって生み出された水分が潤し始め大地で生まれ育ちそれなしでは生きられない単細胞は体が揺さぶられすぎ代謝ができにくくなったため、大地にしっかりしがみつく必要が出てきた。このことが多細胞生物への発展、進化につながっていった。代謝をする細胞、固着という運動を行える細胞、全体として一つの生命体として活動できること。この「固着」という運動形態こそが、生命体の運動形態の始まりであり、後の段階の運動体としての体が形成される基盤が創られた。「固着」という運動は流されないための運動と流れに逆らわない運動という二重構造を誕生させ相反する運動が生命体の源として発展し現在の運動できる動物になった。

 

  第三節 海水に浮遊するクラゲ段階へ

 大地や大気から離れないのみならず、太陽や月からも離れられないカイメン段階の生物体は、やがて水が池から湖というレベルにまで増えていった環境に、固着で培った「底力」である運動できる力が水の深みに合わせて浮遊することを可能にしていった。これをクラゲ段階の生物体と呼ぶ。

 

  第四節 海流の中を泳ぐ魚類段階へ

 水がさらに増え続け海の、原形態が生まれ全地球を覆いつくす海の流れが始まり、大地(岩石)が湖の大きさ(水の深まり)のために砂化していき、大地震などの液状化現象が起き始め湖から海への大きな流れを形成していった。魚類段階では、カイメン段階、クラゲ段階に培った実力に運動器官としての筋肉と骨格を持ち、運動しながらそれに必要な栄養を送り込む代謝器官である内蔵と二重化した運動器官と代謝器官を一体化して働かせる神経や脳、周囲の状況を把握するための感覚器官や場所に関する情報などを統括する脳、神経などをもって海流を泳ぎ切るようになった。魚類段階の生物体はこれまでの受動的な生物体から能動的、一般的から特殊的といったレベルでの大きな次元の違いから、それに見合った体の構造の大きな発展があるのは当然だった。生命体としての人間の原点は単細胞段階に始まるが、人間にまで至る生命体の基本的骨格は魚類段階であった。

 

  第五節 海でも陸でも生きられる両生類段階

 「生命の歴史」としての両生類は水中生活から陸上生活へと移り変わる過渡的な段階の生物体。ここには激動する歴史とそれに適応しようとして発展してきた生命体の苦闘の歴史が隠されている。生命体の本質である代謝ができるため生活の場を「海から陸へ、陸から海へ」と寸時に切り替えながら生活に成功した生命体が両生類だった。ここにおいて脳の構造に、たとえば、、忍耐、頑張り、努力として人類において人生の苦しみや辛さに耐えるものとして花開く精神の大きな源が叩き込まれた。

 

  第六節 生命体も地球もこのころは可塑性に富んでいた

 それまでとは違った地球そのものの変化という過酷な状況に追い込まれたときに、そこで生きられる体の構造に創りかえることができた生命体だけが進化して生き延びられたのであり、それが生命体の発展の過程であった。


 

第七章 運動形態を担う生命体の構造の発展を知ろう

 

  第一節 カイメン段階からクラゲ段階への運動形態の発展

 単細胞段階の状態では自己主体の運動をすることはできなかった。カイメン段階の身体は運動するための筋肉の養成を覚えていくことになった。湖レベルの大容量の水カサの状態になったとき、クラゲ段階である生命体の身体は全身が直接に運動状態そのものとして創りかえられる期間をしっかり持ち続けることにより、どのような運動、どのような変化をも受け入れられる下地を創ることになった。

 

  第二節 強烈な海流を泳ぎきる魚類段階の運動形態

 魚類段階に進化した生命体には、海流を泳ぎきって食をとって帰ってきてそこで産卵するという生活が必須だったため、これらの激しく厳しい運動(生活状態)に耐えられるための必要な条件は柔軟性とともに硬質性を要求された。

 

  第三節 柔軟性と硬質性を合わせ持った魚類段階の生命体

 魚類は、千変万化の変化運動に対応するための筋肉と、柔軟に対応した筋肉がしっかりと元のままの魚類の体型を保ち続けられるための運動形態としての骨格を混然一体として持っている。

 主体性のある人は右顧左眄(ウコサベン)とはならないし、バックボーンのある人は時流に押し流されたり右往左往しない。

 

  第四節 魚類段階における運動器官、代謝器官、統括器官の分化

 クラゲ段階までの生命体は、体全体が体全体として生命現象を生活レベルで総括できていることで十分だった。魚類段階になると全力疾走の柔軟性と硬質性とその運動器官である筋肉と骨とは相対的独立の食専門の内臓の誕生があり、この二つを直接的かつ媒介的に統括する脳が誕生した。脳による統括は受精卵から生体までの発達過程の統括であり、運動そのものの統括であり、食をとって内蔵そのものを代謝として運動形態におくことに加えて、より正確に外界を反映させるために感覚器官をそれぞれにそれを情報として独立させ神経が脳に伝達した。

 

  第五節 人間の身体の構造に必要な魚類段階

 骨と臓器と自律神経、骨と血管、骨と神経とが一体として誕生発展し、骨が運動器官のみならず、代謝器官をも支えてきた。魚類段階から両生類段階への変化は、地球上の変化(進化)が生命体を発展させた。

 

 

第八章 地球の激変に対応して両生類段階から哺乳類段階へ

 

  第一節 生命体は大地のつながりで生き続けている 

 地底の活動で育んでき続けている大地(岩石)とのつながりをしっかり保つことによってのみ生命体は生き続けていられる。大地(岩石)の産出に太陽が大きくかかわり、月も媒介的にかかわっており、この全体の構造の中で生命体は生まれ育ちしている。「いのちの形成(生命現象)」から単細胞、カイメン、クラゲへと続く流れの中で大地(岩石)と水分と生命体の浸透状態が続き岩石が液状化現象を起こして、岩が砂化し湖の大水が流れていくことになり、海と陸とのせめぎあいが深刻になるにつれ、魚類は自らの場所を求めて、海と陸との両方の生命体としての身体に近づければならなくなった。

 

  第二節 両生類段階は海から陸への過渡期の生命体として

 地球は物質の一般性に合わせて余分な熱を放出して少しづつ冷えて固まっていくと地球内部の冷えていく力も弱まっていったので海と陸との境界が次第に鮮明になっていき、泥水地が誕生した。このころに自らの身体を二重の性質(肺とエラ)に整えることに成功した本物の両生類が誕生した。海と陸との境界が鮮明になっていくにつれて両生類段階から哺乳類段階への発展があった。

 

  第三節 爬虫類は生命体の傍流である

 地球の激変という環境への対応の違いから爬虫類は剛皮剛殻のうえ運動性が低くても食べ物が取れるような両生類と生息環境がさほど変わらない沼や川といった水辺に近いところに生息していた。一方、哺乳類は運動性が高かったから、地球の激変についていけた。それには胎生哺乳という仕組みが必要になった。これらの激しく厳しい運動(生活状態)に耐えられるために必要な条件は柔軟性と硬質性だった。

 

  第四節 進化の本流となった哺乳類段階の意義をわかろう

 哺乳類は進んで環境の中を動き回ることによって生息しつづけ、動き回ることによって環境に適合し環境の適合範囲を自ら拡大し、環境の変化を自らに合流させるという相互浸透性で生きるという方向で生活を変革させていき、高い運動性と胎生哺乳という仕組みを持つようになっていった。

 哺乳類が運動性を高めていったということは、運動器官のみならず、代謝器官、統括器官を含めて、体全体を運動性そのものとして発展させていったというばかりでなく、その運動性を体全体として創り出し、かつ、その運動性を体全体の発達をも含めて統括すること自体を創り出し、脳の偉大なる発達を促すこととなる一連の「あちらへ行ったり、こちらへ来たり」の構造の体系化であった。

 

 

第九章 哺乳類段階の誕生(1) 乱世から胎生への過程的構造

 

  第一節 卵生から胎生への謎は地球の大変化にある

 地球や太陽、月とのつながりをしっかり保ち続けるために生命体は膜を持ち、多細胞へと進化した。両生類段階までの卵生から哺乳類段階の胎生、哺乳もそのためだった。

 生命体は地球の変化、発展と相互浸透する形で、新たな環境、新たな環境へと進出しつづけるとともに進化し続けてきた。

 

  第二節 卵生とは系統発生をくり返すための仕組みである

 卵の中は、外界と区切られているとともに外界と直接的、媒介的につながっているのであり、生命体が進化した元の環境であるとともに元の環境そのままではない。生命体は単なる単細胞でも、「いのちの形成(生命現象)」段階の歴史と、それが単細胞へと進化(発展)する段階の状態の歴史と現在の単細胞段階の状態の歴史とを大きく構造レベルで内に含んでの三重の過程とその過程の構造を内に含んだ系統発生の歴史性を含んでいる生命体である。

 魚類や両生類の場合は、水の中としっかりつながっているため、卵の中と外のつながりがうまくいくので系統発生をくり返せた。

 

  第三節 水中の卵生と陸上の卵生との大きな違いを知ろう

 生命体の系統発生を行う卵に殻があったら外部環境からの相互浸透が大きく切り離されてしまうため新たに変化する外界を取りいれられなくなっていく。魚類の卵は外部とほぼ同じように太陽の光が当たっているし、温度も外部環境とあまり変わらないので、系統発生自体もスムーズにくり返せるため稚魚が孵化して外部環境で生活していく過程もスムーズに行える。

 

  第四節 個体発生は環境とともに系統発生をくり返す

 個体発生における系統発生のくり返しとは、歴史的な事実そのものをコピー形式でくり返すのではなく、新たな時代の環境の必要性に適応する(進化できる)形式でくり返す。個体発生が環境とともに系統発生をくり返す、そのくり返し方の進化の歴史でもあった。生命体が陸上生活をする哺乳類段階にまで進化するようになると卵生のままでは環境と直接にという肝心な点がうまくいかなくなる。

 

  第五節 哺乳類段階が誕生するまでの地球の変化を見てみよう

 岩石上の大地で誕生した「いのちの歴史(生命現象)」はキリ、モヤ状態から水を創り出し、それゆえ単細胞へと進化し、その生命体が、より大量の水を創出することにより、カイメン→クラゲとなる過程の時期にその生命体と岩石の相互浸透で岩石が液状化し、湖が崩れて大海となる源を創り出し、その大海と陸とが場所を交換するという流れで泥水帯の誕生となり、そこを生命体がより浸透化する流れの過程で海と陸とのはっきりした分離が果たされていくことになった。

 

  第六節 哺乳類段階が誕生した地球の大激変とは何だろう

 生命体や生物にとって水温はさほど変化しないが気温は大きく変化するし、水分にしても陸地では湿度が大きく変化するし、太陽の光は陸地のほうが直接当たって強烈な分疲労も大きい。地球上に生命体が誕生して地球の表面すべてが「いのちの形成(生命現象)」という化学的現象で覆われるようになると、地球内部の高熱のドロドロの状態が、その状態を解消するために折に触れて地球は大爆発を起こす必要があり、哺乳類(へと進化する過程の生命体)が誕生したのは地上の異常な環境のそのころだった。

 

  第七節 環境の激変に対応した胎生の見事さとは

 哺乳類(段階へと進化する過程の生命体)はめまぐるしく、勝つ、突発的、かつ、特殊的な変化に対応する生命力をつけていく中でしっかりそれを積み重ねていって、徐々にどんなに変化が激しくてもいつでも、どこでも変化に対応できる一般的な生命力をつけていった。その大きな柱の一つが世代交代だった。

 哺乳類(段階へと進化する過程の生命体)は新しい環境とつながっている自分自身に卵を産むという胎生という方法をとるしかなかった。胎生という仕組みでは、胎盤を媒介として親とつながっており、その親は外界の環境とつながっているため、胎児は親を媒介として環境とつながっている。

 

 

第十章 哺乳類段階の誕生(2)-胎生、哺乳(授乳)の必要性

 

  第一節 卵生は地球との相互浸透のありかたである

 魚類と両生類は、水の中という比較的安定した地球環境で赤ちゃんを誕生させるので、卵の中で水に合わせて相互浸透して誕生してくるだけで十分だったが、哺乳類は水中ではなく陸上で生まれ成長していくから、そこで生まれてくる胎児は環境の変化に合わせるべく生まれてから体を造る必要があった。

 

  第二節 哺乳類の段階は胎生によって系統発生を繰り返す

 体ができあがっている親は、そのできあがった体で環境の変化に合わせて耐えて生きているのであって、機能レベルでも実体レベルでも変化の過程を自分の身体には直接的に組み込むことは不可能だから、ここに親と胎児のギャップがあることになる。

 生命体は、それまでの生命体としてのプロセスを必ずたどらなければ生命体として生きていけない。哺乳類は水中での生活ではないから胎水(羊水)内で着床して系統発生をくり返しながら胎児として大きくなってくる水)内で着床して系統発生をくり返しながら胎児として大きくなっていく。

 

  第三節 地球の大激動に適合するための胎生(哺乳)とは何か

 地球の物理的な変化過程があの奇妙な化学的変化過程で抑え込まれてしまったから物理的変化は無理にでも変化しなければならなくなりそれが大爆発となっていった。こんな中での生きのびる術が胎生だった。胎内で系統発生をくり返せても、それでは応じきれないほどの陸地の大激変、大激動だったから体内の系統発生過程には、哺乳類の受精前後の大激変、大激動はなにも組み込まれてはいなかったから、生まれてからただちにその後の状態に対応できるような育て方をしなければならなかった母親の環境の変化に対応しているエッセンスを赤ちゃんに与え与えならなくて編み出されたのがオッパイ=授乳だった。

 

  第四節 人間が人間として育つための母乳の大切さを知ろう

 人間は外界からの反映である像をもその人なりに修正して描いてしまうばかりか、外界とはほとんど関係のない空想の、すなわち、想像した像を描くことができる。もう一つは、人間は創造をして自分の目的とした対象に働きかけて、対象を自分をはじめとする人間に合うように創りかえていき、自分をも創りかえていける労働をしている。

 

  第五節 地球の大変動は生命体との相互浸透によっておきた

 「いのちの形成(生命現象)」から生命体への流れで大地(岩石)が水分でおおわれると熱の発散が小規模になっていくため、地球全体の冷却が邪魔されてしまい、熱を逃がす=冷却するには火山活動、地震活動で爆発するしかなくなった。この地球の不安定な原因は生命体が大きな原因で引き起こされていて、その生命体自身はこういった状態にも負けないで(対応しながら)進化を遂げていく。

 海域が大きく泥水帯になっていく途上で、両生類に合わせるかのように植物の進化が始まっていき泥水帯的植物は、陸と海との混合性(相互浸透)を内に含みながら陸地に代っていくだけに、泥水帯が海域と陸域とに分かれていってもその生命体を育てる「雨が降る」という条件を把持していくことになる。

 

  第六節 大変動の中での哺乳類段階の発展の意義とは何か

 生命体が哺乳類段階へと進化を遂げた環境は、変転が変転を重ねていくことの連続であり、生命体が受精した場所が、赤ちゃんが生まれるころには生活ができない場所に変化してしまっている。このような環境においてすら、哺乳類(へと進化していく生命体)は、その個体発生において環境と直接に系統発生を行わなければならなかった。疾風怒濤のような大変転の嵐の中で哺乳類は自立の道を勝ち取った。

 

 

第十一章 哺乳類段階での猿(猿類)への道

 

  第一節 哺乳類段階は植物との相互浸透で発展してきた

 地球上の疾風怒濤の時代には樹といえるほどのものはなく、草木レベルの木々は呼吸を含めた動物体が配収つするもの、動物自らの市外や、哺乳類に大きく踏まれ続けられることによって自身の身体の運動をさせられて成長していく植物こそが哺乳類と関係が深くなっていき、徐々に前時代の植物から発展して変わって(進化)していった。

 草木レベルの木々であったものが哺乳類とのかかわりが深まることによって、しだいしだいに樹々レベルの樹々への成長を始めるころ、天変地異の時代に草原が火の海になってしまう出来事が重なることになっていき、樹(になりかかった)植物に無理やり上りかけてはおり、上りかけてはおりする過程の中で、哺乳類としての運動形態を維持発展させながら、樹々に上るという運動を発展形態として創りあげていくことになり、樹々たちも登れても大丈夫なものにできていき、木の枝をつかむという、四つ足が手と足へと分化する運動にもつながっていくことになった。これには生命体の歴史=必然性があった。

 

  第二節 哺乳類はなぜ木に登って猿になったのか

 地球全体の流れが、動物と植物との相互浸透、地球との相互浸透との三重の浸透が必要だった。

 

  第三節 生命体の身体の構造の発展過程をくり返し説く

 脳を含む統括器官が誕生したのは魚類段階であり、運動器官代謝機関と同時に、いわば三位一体として誕生したのであり、三位一体として運動代謝するための統括を行うために誕生し、統括器官は自分自身をも統括した。

 それは地球がもの物質本来のありかたとして冷えていくにしたがって、生命体の生きていく環境は過酷になる一方で、代謝が行われにくくなっていったので、生命体は運動することを迫られ、その運動を支えるためにも代謝の過程はますます複雑になっていかざるをえなくなった。

 

  第四節 哺乳類の代謝運動、統括器官の一体としての発展

 水辺では一生を送ることができなくなった哺乳類は、魚類段階で自らの生活目的に見合っての自由自在に動けるだけの基本的な構造はできあがっているから、中身も見かけ上の変化はあまり大したことはないが、その中身の実力は、生活する場所が苛酷になればなるほど、運動器官の実力も三位一体として実力アップされてきた。

 

  第五節 「いのちの歴史」から説く狂牛病の謎とは

 DNAというのは必然性レベルでの情報の組み込みという変化をおこなっているのであり、そうでなければ、生命体の発展がこのように必然性レベルで起きたことが説明できない。

 

 

第十二章 猿への道は植物の発展とともに

 

  第一節 目まぐるしい環境の発展とともにサルへ

 哺乳類が誕生した当時の地球は、目まぐるしい変転に次ぐ変転をくり返し、その目まぐるしく変化する地球ときちんとつながるために、植物も哺乳類もめまぐるしい世代交代をくり返し、様々な条件で生きていく様々な草本類が存在し、こうした草本類の上に哺乳類の生活が成り立っていて、この変転は収まるどころかますます量的にも質的にも深まっていった。

 頻繁な世代交代をしなければ目まぐるしい環境の変化に対応できなかった初期哺乳類から、サル、人類への進化の過程では一回に一匹(人)しか出産をしなくなり、出産回数も減っていった。これは減らさなければならないような主体、客体の条件が生じたということでもあった。

 

  第二節 なぜサルは木に登ることができるようになったのか

 生命体全体としての老いが生じることがないように、ますます、頻繁に(老いる前に)世代交代をくり返していくことであり、もう一つは、環境の変化に合わせられる自分を創出して生き抜くことで哺乳類が登り始めた樹というのは、後者の道を歩み、哺乳類がサルへの道をたどるのと一緒に木本化していった。

 

  第三節 陸上における動物と植物の助け合っての発展をみてみよう

 両生類までは常に環境としての水分が存在したが、哺乳類では水中からの植物の上陸がかかわった。両生類の段階になると、それまで共存していたほかの主な生命体、海藻類は両生類を生かすために陸上の植物となるべく、上陸も始めることになった。

 哺乳類は上陸しつつあった植物性生物に支えられ、上陸途上の植物性生物は両生類の助けとともに、あるいはそれ以上に、哺乳類に助けられて完璧な上陸を果たすとともに、水中の植物から陸上の植物へと変化発展(進化)できた。こういった流れの中で、地上は水中と違って楽園ではなく、地獄のような有様だったので、哺乳類は時をおかず場所を移り、移ってはまた他の地域へと流れていくといった有様の中で、植物も哺乳類の流れに従って移ってはまた移りをすることで、地上は「いのちの形成(生命現象)」にじっくりと、かつ、しっかりと満たされていった。哺乳類的動物の力を借りられない植物は砂漠化するしかなかった。

 

  第四節 サルは草から木へと成長するとともに気に登る実力をつけた。

 両生類から進化したばかりの当初の哺乳類は、どんな哺乳類になって(発展していく)のか予想がつかないレベルの柔軟性(発展性)を内に秘めていた。

 当時の哺乳類が十分な発展、進化への柔軟性を持っていたいちれんのながれのなかで、このころの植物も十分な柔軟性を持っていたため、その柔軟性の一つが哺乳類とからみ合うことによって相互規定的なお互いへの浸透によって大きく成長していくことになり、哺乳類は育ちゆく草本の成長のおかげで成長し、かつ草本類はその哺乳類のおかげで大本類へと成長していくという規定性で、草は木へ、樹から樹木へと大きく進化し、哺乳類はそのことを扱う過程で手が木へ登る力を持つことになると、やがて樹々へと発展する木とともに成長した哺乳類は、ついに木に登るのみならず、樹上生活ができるまでに後ろ足もほぼ手並みに登ることに使える状態の身体へと発展することになってきてサルの誕生がやってきた。

 

 

第十三章 ここまでの「いのちの歴史」を振り返って

 

  第一節 次章の理解のために、前章までをふり返る

 「地球の歴史」こそが「いのちの歴史」そのものである。

 単細胞は、太古のある時期の地球の状態として始まった。

 人間は、生命体としての人間の歴史と同時に、個としての人間の歴史としての「いのちの歴史」を歩いて(歩かされて)いる。

  

  第二節 地球の物質現象として始まった「いのちの形成」

 地球の表面は単なる、固まるという冷える過程をたどるのではなく、冷えそうだけど冷えていかない、固まっていくように見えるけれども固まってはいかないという奇妙な状態の、ある種の化学的変化ともいうべき現象を誕生させ、それが幾度となく、無限的に繰り返す状態が続いたが、他の兄弟惑星と同様に、地球の温度も、いつしか着実に下がっていくことになった。しかし、この過程で地球そのものの中に、下がるかと思えば下がらない現象を持続させるようなことが始まっていった。この生命体を誕生させた環境というのが、「いのちの形成(生命現象)」だった。

 

  第三節 単細胞段階の誕生から魚類段階まで

 「いのちの形成(生命現象)」は同じ質の構造を保つという特殊なくりかえしの過程を有していたが、地球が物(物質)としての一般性に抗しがたくなり、この変化が大きくなっていくと、代謝がそのままでは継続するのが難しくなっていったので、地球上の物質現象と「いのちの形成(生命現象)」をはっきりと分け隔てる膜の誕生、原始単細胞レベルとしての細胞を誕生させた。

 単細胞段階をいのちの歴史に位置づけて一言で表現すると、「すべての働きを一つの身体でなす生命体である」

 増えてきて、それ相当の大きな水たまりができるようになると、生命体は固着という状態を創り、多細胞化して三つの部位に分かれる必要があり、この段階をカイメン段階という。水量はさらに増えることになり、深くなった水の底では太陽とのつながりが薄くなるので、生命体は水に浮かぶ生活ができるように進化しなければならなくなり、水中で浮遊生活が可能な生命体へと進化していった。この段階をクラゲ段階という。

 

  第四節 人間の身体の原基形態的構造を持つ魚類段階

 魚類段階に進化した生命体は、海流の千変万化の変化運動に柔軟に対応するための筋肉と、柔軟に対応した筋肉がしっかりと元のままの魚類の体型を保ち続けられるための運動形態としての骨格を混然一体として合わせ持つことでこの矛盾を解決して、運動器官である筋肉と骨とは相対的独立の内臓=食専門の代謝器官を誕生させそれらを直接的、かつ媒介的に統括する器官としての脳を誕生させた。

 さらに、反映してくる外界、かつ反映させなければならない外界を記憶する力そのものの機能が感覚器官として独立する必要があったので、そのための神経の誕生も要求され、以上の流れで脳を持った魚類へと進んでいった。

 

  第五節 哺乳類の特殊運動形態としてサルへ

 生命体には二重の宿命があり、一つはその生命体の現在の環境状態に適応しながら生活できること、もう一つは、その生命体の当初の誕生から現在までの状態を、それぞれの進化過程を内に含みつつ何らかの形式で継続していけること、これを称して、「個体発生は系統発生をくり返す宿命にある」

 哺乳類は地上を動き回るという哺乳類としての運動形態を発達させる中で、ある種のものは、首を長くするとか、鼻を長くするとかいうふうに発展させたが、別のある種はそれと同じ発展レベルの運動形態として、成長しつつある草から木へ、そして木から樹へとかかわることをくり返していき、哺乳類の運動を大きく歪めていって、その歪みという発展形態として樹上生活が創りあげられていき、サルの誕生をうながした。

 

  第六節 サルから人類への道

 サルは草本レベルの大きさから少しづつ少しづつ高くなっていく木から樹への生活で、しだいしだいに大地から離れた認識を創り出すことが可能になり、現実の世界から離れた認識がしだいしだいに現実味を帯びていき認識の相対的独立化を果たしていった。

 サルは大地から少しづつ少しづつ、しだいしだいに高く高く離れていき、かつ、揺れている樹上で大きく小さく揺さぶられていくことになり、外界から反映してくるサルの中の像は、しっかり定着するものと、揺れながらアバウトに定着させられてしまう像の、二重性の重層になっていき、定着の像はそれなりに定着するが、定着できない像は定着とは相対的レベルで絶対性(あれは違うんだという)で独立することになる。

 これが人間(人類)が考えられるようになった大本である

 

 

第十四章 サルから人類への過程ー脳の実体的、機能的発展とは何か

 

  第一節 気に登ることで分化した手と足が脳の発達をうながした

 地球全体が大きく生命体で覆われてくると、地球自体に現象形態ならぬ構造形態が変化させられ、その大自然をいわば灼熱的な環境が占めはじめることになり、哺乳類も大きく変化をすることを余儀なくされ、あるものは岩陰にひそみ、あるものは地に潜り、あるものは海へと逃げざるをえなくなった。

 疾走的に駆け巡る哺乳類との相互浸透で、草木類がしだいしだいに本木類へ、そして樹木へと成長を遂げていったところは、少しばかり平穏な場所として誕生してきた。草から木へと進化の形態に対応する流れで、サルは四肢が両手、両足へと変化できる過程をもつことになり、木に登り降りをするという遠類への発展形態が可能となった。

 しっかりと樹上生活が可能となるようになったサルの運動形態は、大地を疾走する哺乳類に比べ、現象的には退化したように見えるが、脳の実体と機能はすさまじい発展を内に秘めていった。

 

  第二節 実体的に発達した脳の像形成の変化とは何成 

 疾走することによって後ろへ後ろへと流れていく(変化し続ける)外界を、目や口や鼻や耳や皮膚の感覚器官を介して反映し続け、それらを一体化した像を形成し続けなければならない脳は、それだけで精いっぱいで、ほんの少しの余裕もなかった。一方、樹上で生活するようになったサルは、天敵に追われて逃げ回ることはあまりなく、周囲の枝につく木ノ実なだを餌として食べているように見え、このようなサルの脳に反映する外界は、落ちついたものであり、感覚器官を通して形成される像は、同じような像として積み重なっていくように思える。

 小さな木から大きな樹木までのサルの木へのかかわり方で、それぞれの段階での量質転化化を伴いながら、いわゆる、親指、人差し指、中指、薬指、小指的な、一体的かつ分離化が統一されながら発達していったことが、脳のさらなる実力を大きく培うことになった。

 

  第三節 脳の「問いかけ的認識」の芽生えへの過程を見よう

 大地からでは、景色は景色はなにの不思議もない連続性が遠くまで連なっているが、樹上から見おろした場合の大地は、自分(サル)から大きく隔たったところに大地があっての広がりで、反映の立体構造がとてつもなく異なり、樹上から見た眺めの違いと、樹の上にいる自らが揺れる、あるいは自らも対象とする外界も揺れるという状況で、アバウトに形成された像は、「外界の反映ではあるものの、しっかりした反映ではない」という性質をもち、正確性に大きく欠けることになった。

 きちんとした半映像ともどき像のギャップに「ん?」という問いかけをもつようになっていった。

 

  第四節 樹上から降りたサルはヒト(人類)への過程をたどる

 地球そのものの激変が沈静化し、大地には植物も繁茂し、降りて生活できる環境がしっかり整ってきたから、猿の一部は木から降りてきた。

 地球そのものから誕生した生命体は、生成発展し続ける地球としっかり相互浸透することによってこそ自ら発展してきた。それが生命体の生成発展の歴史を貫く一般性である。したがって、木から大地に降り立ち、大地との相互浸透を密に行う機会をもったサルだけが、生命体としての最後の発展を遂げることができた。しだいに成長して高くなった樹木の上で、大地から離れ、大地との相互浸透が希薄になったサルは、ヒトへと発展することはなかった。

 具体的には、労働の可能性を秘めるに至ったサルが労働する過程をもつことにより人へ、そして人間へと発展していった。

 

  第五節 ヒトから人間への過程は労働によって発達した認識によって

 両手両足の十指、十指のそれぞれの動きが巧みになると直接に脳の実体も機能もさらに発育、発達し、これまた直接に目を中心として感覚器官も発育、発達し、樹上から大地を見下ろし、様々なものを見てとれるようになり、それらに対して「ん?」「あれ?」という、それらを確認したくなるような、勇気の力が冒険心として発展していったがために、天敵などの危険が増大していた大地にもかかわらず、木を降りることになったのであり、そのような冒険心、勇気力という実力をもつようになったサルが、ヒトへの過程を歩むことになった。

 

 

エピローグ

 

  人間は[いのち」を「こころ」で支えながら成長してきている