「国会会議録検索システムで検索すると、第二次安倍内閣になってから首相による「任命責任」という文言は33の会議で記録されている。そのうち具体的な「責任の取り方」については24回記録されているが、おおむね以下のような口調だ。
例えば安倍首相は14年10月、当時も閣僚の辞任が相次いでいたために衆議院本会議で柿沢未途議員から「みずからの任命責任についてお認めになられていますが、責任というのは、何らかの責任をとるときに口にする言葉です」「任命責任をどうとられますか。お伺いします」と訊ねられた際、こう返答している。
「経済の再生を初め、内外の課題が山積する中、行政に、政治に遅滞をもたらすことのないよう、今後さらに緊張感を持って政権運営に当たってまいります。二年前の総選挙で国民の皆様からいただいた負託にしっかりと応えるため、政治を力強く前に進め、国民への責任を果たしていく決意であります」 「女性自身」より
僕ちゃん、任命責任って大好きなんだね。
しかし33回も連発していて、一度も責任を取ったことがない。
「責任とは「テンカ(転嫁)」と読むのね、アベシンゾウ」という所かね。
こんなんでも、支持率5割超えとはこれ如何にだ。
野党共闘をあちらこちらで実現して、驕り高ぶる自公政権にギャフンと言わせたい。
11月2日、高知県知事選、野党共同・松本顕治陣営決起集会での中村喜四郎衆院議員(元建設大臣)の発言要旨。
「なぜ私がここで訴えることになったのか。私の知っている自民党は、今の自民党とはまったく違う政党だった」
「茨城7区から衆院議員に出ている中村喜四郎と申します。最初は田中角栄先生の秘書、昭和51年に27歳で衆院議員に当選させていただき40歳で初入閣、42歳で再入閣した。ゼネコン事件の火中の政治家となり、最高裁までたたかい、刑に服し、その後無所属で政治活動を続けてきた。私の考え方は基本的に自民党の考え方であり、保守政治家だ。その私が、なぜここで訴えることになったのか。
今年行われた(全国の)知事選は6回あった。野党は2勝、与党は4勝だった。10年かけて24勝23敗になれば政権交代できる。そのためには戦っていかなければならない。風を頼りにしていたのでは、いつになっても政権はとれないし、とったとしてもすぐ泡沫の夢で消えてしまう。
広田一さんが選対本部長になったことは、高知県では不思議ではないが、国会から見たらすごくユニークだ。松本さんは共産党籍を抜かない。こういう中で保守政治家が選対本部長をやるということは、全国的にみたらありえないことだ。それだけでもすごいが、たぶん私のあとには岡田克也さんも来るだろう、共産党以外の国会議員が10人以上入ってくると思う。
その理由は何か。松本さんが共産党の候補者だから応援に来るのではない。オール野党の候補者として新潟では社民党の人をみんなで担いだ。岩手では自由党の人、埼玉では国民民主党の人を担いだ。高知では共産党の人を担ぐ。
共産党だから駄目だとか共産党は応援できないとか、そういう考え方を持っていたから、自民党の強い時代が今まで続いてしまった。
自民党がなぜだめになったのか。私の知っている自民党は、今の自民党とはまったく違う政党だった。反対意見はよく聞いた。人の痛みがよくわかった。気配りもする。野党の意見もちゃんと聞く。野党の名前を忘れたなどと冗談でも言う指導者はいなかった。田中さんの後に三木さんがでる、三木さんの後に福田さんが出る。リベラルと保守政治家が牽制しあいながら政権交代を自民党内でやっても、国民が安心して任せられるという時代が昔の自民党だった。
しかし、今はどうなったか。人の話を聞かない。物言えば唇寒し、安倍一強体制、長いものにまかれろ。こういう中で政治が動いていることのおかしさにみんな気が付かなければならない時代になってきた。
一番最近おかしいと思ったのは北方領土問題だ。全島(4島)返還と自民党自身が70年も訴えてきたのに、安倍さんが突然、2016年に2島でいいと言った。前提条件なしで平和条約を結ぼうと言われ、それを受けて日ソ共同宣言に従って歯舞・色丹歯だけ返してもらい一気解決かと思ったら、ゼロ回答でプーチンに子ども扱いされる返還交渉の姿。日本の外交これでいいのか。党派を超えて考えなければならない(中略)。
我々は党派を超えて日本を守るため、日本再建のためにみんなで力を合わせなければならない。共産党も自民党もすべて党派を超えて、良識ある人が立ち上がる時期が来た。(高知民報)」