なんという厚かましい夫婦なのだろう
2017年4月16日 天木 直人
つね日頃、怒ったり、権力に楯突いたりしない温厚で従順な私である。
...しかし、この報道だけは腹立たしく思った。
安倍首相は、きのう15日午前、東京・新宿御苑で恒例の「桜を見る会」を主催したという。
そこで、「風雪に耐えて5年の八重桜」という俳句を自ら披露したらしい。
何という厚かましさだろう。
5年も首相をやっておきながら、何一つ我々国民の暮らを良くすることが出来なかったくせに、何が八重桜だ。
風雪に耐えるしかない国民は眼中になく、自分の事ばかり考える男だ。
これは日本男児として恥ずべきではないのか。
◆
それに輪をかけて厚かましいのが昭恵夫人だ。
森友疑惑から逃げて雲隠れしていたというのに、よくも笑顔で人前に出られたものだ。
まともな神経を持ち合わせているなら、そんな厚かましい事など出来るはずがない。
大和なでしことは正反対の女性だ。
つくづく思う。
安倍夫妻は本当に厚かましい夫婦だ。
私と同じ思いを抱いてこのニュースを受け止めた国民は多いに違いない。
以上、私が書いて来た事は、最初の一行を除いて、すべて正しい事を保証します(了)
元外交官天木直人の発言は僕の思いと共通する。
もうひとつ、弁護士「澤藤統一郎の憲法日記」から転載。
人の命の値打ちは紙くずみたいなものじゃった。模様を描いた布きれが人の命よりも大切でな、この布きれを敵に奪われると本当に腹を切ったということじゃ。で、当時の世の中がおかしくってな。「腹を切るとは立派なものだ」と褒めそやしたということだ。バカげた話よのう。
またな、人の顔を映した写真が国中の学校にあってな。この写真が校長の命よりもはるかに大事だとされていたんじゃと。それでな、火事だの地震だの、台風だのというときに、この写真を守ろうとして命を失った校長が何人もいたんだそうな。写真は何枚でも同じものが作れるだろう。何枚でもある写真の値打ちって、所詮は紙っぺら一枚よ。紙っぺら一枚のために、かけがえのない人の命を捨てることはあるまいに。バカげた話よのう。
一人ひとりの人間を大切にしない世の中ではな、所詮は布きれの旗やら、所詮は紙一枚の写真やらが、人の命やプライドよりも、大事だとされることになるわけじゃな。ホンにバカげた話よのう。
もう少し聞け。今度はむかしのことじゃない。昨日(4月13日)のことじゃ。
あの、産経新聞が騒いでおる。NHKがな、日の丸の位置をば下に、中国の五星紅旗の上にした画面構成で放送をしたんだと。これが大きな問題なんじゃそうだ。
産経はこう言っておる。
「NHKが3日に放送した番組『ニュースウオッチ9』の中で、日本の国旗を中国の国旗の真下に表示していたことが13日、わかった。岸信夫外務副大臣は同日の参院内閣委員会で、独立国の国旗を上下に位置させることについて『下の国旗は下位、服従、敵への降参などを意味し、外交儀礼上、適切ではなく、あってはならない』と答えた。
自民党の有村治子参院議員の質問に答えた。映像は航空自衛隊の戦闘機の緊急発進(スクランブル)急増に関する特集の中で使用された。有村氏は『NHKはどこの国の公共放送か』と述べて批判した。
NHK広報部は産経新聞の取材に対し『上空を飛行する中国機に対し、スクランブルをかける自衛隊機のイメージをわかりやすく示すため、両国の国旗と機体の画像を使って放送した。国の上下関係を示す意図はなかった』と説明した。」
所詮は血の通わない旗と旗。布切れと布切れ。上でも下でも、右でも左でも斜めでも、たいしたことではない。騒ぐほどのことでもなかろうに。どうしてこんなことが大ごとだというのか。こんなことを国会議員が国会で議論をする、その方がよっぽど大ごとだろう。何とも、バカげた話よのう。
本当の問題は、布切れと人との関係じゃな。旗と生身の人間と、どちらが上でどちらが下か。いったいどちらが大事なのかと言うこと。
さすがに、開けた今の世じゃ。旗や写真のために、命を懸けよというバカげたことをいう者はない。ところが、「おまえの思想や良心や信仰などは投げ捨てて、いやでも起立し旗に向かって頭を下げろ」と、大真面目に命令する知事や教育委員が本当にいるんじゃ。有村治子も外務省も産経もその尻押しじゃ。
旗の上に旗を置くことが「怪しからん」「大問題だ」とは、ちゃんちゃらおかしい。主権者である人の上に、日の丸を置いて、「これを仰ぎ見よ」「頭を垂れよ」という方が、はるかに「怪しからん」「大問題」じゃな。これこそ、「下の人は、上の旗に対して下位、服従、降参などを意味し、適切ではなく、あってはならない」というべきじゃろう。ところが、こんな面妖なことが、東京でも大阪でも、訳の分からん知事の出現以来何年も続いているんじゃ。ホンにホンにバカげた話よのう。いや、腹の立つことよのう。
(2017年4月14日)
もううんざり。