原発避難訴訟、国に賠償命じる判決 「予見可能だった」 前橋地裁 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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前橋地裁の判決を受け「一部勝訴」などが書かれた幕を掲げる弁護士=前橋市で2017年3月17日午後3時12分、徳野仁子撮影

 東京電力福島第1原発事故に伴い、福島県から群馬県に避難した住民ら45世帯137人が東電と国に約15億円の損害賠償を求めた訴訟で、前橋地裁(原道子裁判長)は17日、東電と国に3855万円の支払いを命じる判決を言い渡した。原発事故全国弁護団連絡会によると、同様の集団訴訟は全国20地裁・支部で約1万2000人が起こしており、今回が初めての判決。

 原告は避難指示区域からの避難者が6割、自主避難者が4割。いずれも国の審査会が示した「中間指針」に基づいて東電から一定額の慰謝料を受け取っているが、「古里を奪われた被害の実態に見合っていない」として、1人一律1100万円を求めて2013年9月から順次提訴した。

 

 第1原発は11年3月11日に10メートル超の津波に襲われ、全ての電源を喪失し事故が発生した。裁判の主な争点は、(1)東電や国は津波を予見し、事故を回避できたか(2)国が東電に安全対策を取らせる規制権限があったか(3)国の指針に基づく東電から避難者への賠償額は妥当か--の3点だ。

 

 原告側は、政府の地震調査研究推進本部が02年に「福島沖でもマグニチュード8級の津波地震が起こりうる」と示した「長期評価」や、この予測をもとに東電が08年、想定津波を最大15.7メートルと試算した点から「東電は巨大津波を予見できたのに防潮堤建設などの対策を怠った」と指摘。国についても「津波対策を取るよう東電に命令しなかった」として対応は違法だったと主張した。

 

 これに対し、国や東電は「長期評価は確立した科学的知見とは言えず、巨大津波は予見できなかった」と反論。国の中間指針を超える新たな賠償は必要ないとも主張していた。

 

 原発事故を巡っては、東電の旧経営陣3人が業務上過失致死傷罪で強制起訴され、刑事裁判でも責任が問われている。【尾崎修二】

 

「毎日新聞」より転載

 

 

日本の司法は韓国と較べて政府従属が際立っているが、たまには良い判決も出すね。

地裁レベルの判決だけど、高裁に行った場合どうなるのかな。

森友・共謀罪・陸自日報問題などうんざりする事ばかりの中で、一つ咲いた花だね。

しかし一つだけ咲いた花は、まだまだ避難した人たちを十分に癒やすことは出来ていないようだ。もっと大きくたくさん咲かせたい。

 

 

原告、笑顔なき勝訴…苦労報われず落胆

 

 

笑顔なき「一部勝訴」だった。17日の原発避難者訴訟の判決で、前橋地裁は東京電力と国の賠償責任は認めたものの、命じられた賠償額は原告の請求からは程遠かった。古里を奪われた代償を求めて3年半。大半の原告が周囲に知られないように名前も伏せ、息をひそめるようにして闘ってきた。「もっと寄り添ってくれる判決を期待していたのに」。苦労が報われなかった原告の顔には落胆の表情が浮かんだ。【尾崎修二、山本有紀、鈴木敦子】

認定、137人の半分以下

 「国と東電の責任を認めさせた。心からうれしいのは間違いない」。判決後の集会で壇上に立った原告の丹治(たんじ)杉江さん(60)はこう言った後、言葉に詰まった。「この6年間つらいことばかりだった。納得できるかな……」

 

 原発事故当時、福島県いわき市に住んでいた。夫の幹夫さん(63)はワープロ修理業を営み全国から注文を受けていたが、事故後、「福島にワープロを送るのは……」と敬遠され、注文が激減した。

 

 事故の4カ月後、夫と群馬県へ自主避難した。私たちだけ逃げる選択をした--。福島にとどまった人たちへの後ろめたさは消えない。それでも「原発事故を繰り返してはいけない」との思いから、群馬県内で脱原発の集会や街頭活動に積極的に参加し、避難者訴訟の原告にも加わった。

 

 原告は45世帯137人。丹治さんを含めほぼ全世帯の代表が法廷に立ち、避難の苦しみや東電と国への怒りを訴えた。しかし、原告の中に名前を公にしている人はほとんどいない。「裁判をしていると周囲に知られたら、子どもが差別を受け、仕事へ影響することを恐れている」ためだ。丹治さん自身も「裁判すれば金(賠償金)がもらえるんでしょ」と、心ない言葉を受けたことがある。

 

 国の指針に基づくと、自主避難の場合、東電からの慰謝料は生活費との合算で総額8万円。原告たちを突き動かしてきたのは「ふるさとを奪われた苦しみへの賠償が不十分」という思いだったが、判決で賠償が認められたのは原告の半分以下の62人だけだった。

 

 「もっと温かい判決を期待していたのに」。喪服姿で傍聴した原告の50代女性は、判決の内容を知って肩を落とした。いわき市で暮らしていたが、事故の影響でパート勤めしていた会社が業績不振に陥り、解雇された。

 

 被ばくへの不安もあり、夫と共に群馬県へ避難したのは2カ月後。翌年、県の借り上げアパートに入居できて生活が落ち着いた後に夫が悪性脳腫瘍で倒れ、14年秋に52歳で帰らぬ人となった。

 

 いまだに働く元気も出ない。頼りは貯金と夫の遺族年金だけ。今月末には福島県による住宅補助も打ち切られる。地裁が認めた賠償額は「想像できないぐらい低い額」だった。この6年間の苦しみは何だったのか。「これでは主人にも報告できない」。女性はそう言って涙をぬぐった。

「国と東電が断罪された」福島訴訟の原告

 前橋地裁は、各地で起こされている同様な原発避難者訴訟の中で最初に判決を言い渡した。各地で同様の訴訟を起こしている原告や弁護団も17日は前橋市を訪れて見守った。

 

 福島県いわき市の訴訟の原告で、「原発被害者訴訟原告団全国連絡会」の佐藤三男事務局長(72)は「国と東電が断罪された。両者の責任が明らかになったことは大きい」と話しつつ、「私たちの被害の実態や苦しみが分かっていないのではないか。お金のために裁判をやっているのではないが、損害認定には納得できない」と不満をもらした。【杉直樹】

原告の自宅検証…原裁判長

 原発避難者訴訟で国と東電に賠償を命じた前橋地裁の原道子裁判長(59)は1985年に裁判官となった。千葉、東京、宇都宮地裁を経て2013年から前橋地裁で裁判長をしている。

 今回の訴訟では積極的な訴訟指揮を執り、月1回のペースで口頭弁論や争点整理の期日を設定。昨年5月には福島第1原発の30キロ圏内にある原告4世帯の自宅を検証した。福島地裁を除き、各地の集団訴訟では初の現地検証だった。【尾崎修二】


「毎日新聞」より転載