FoE Japanは、東京電力福島第一発電所事故の賠償・事故処理費用と、老朽原発の廃炉費用を、あらたに広く国民負担とするための制度改革は、福島第一原発事故の責任をあいまいにし、原発事業者を不当に保護するものとして、強く反対します。
福島第一原発事故からまもなく6年、原発事故の被害は収束するどころか、長期化によりますます深刻化しています。長期にわたって続く汚染への対処は、数十年、百年単位の問題であり、生活を奪われた被災者の苦悩は今も続いています。
そのような状況がありながら、3か月にも満たない、経済産業省の審議会での議論で、原発の事故処理、廃炉を実質的に国民(電力利用者)が支援するしくみを導入することはゆるされません。FoE Japanは、下記の視点から今回の制度改正に強く抗議します。
1.東京電力の経営陣、株主、債権者の責任が問われていない
東電救済のために、すでに「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」が設立され、交付金などの形で多くの国税等が東京電力に流し込まれています。今回の制度改革で、託送料金を通じて、賠償費用を 広く電力利用者に担わせることが可能になります。
福島第一原発事故の賠償・事故処理は、東京電力が一義的に責任を負うべきであり、その結果、債務超過に陥るのであれば、破たん処理を行うのが順当です。いままで株主・債権者が利益のみを享受し、経済的な責任から免れるのは、資本主義のルールに反するばかりか、事故を引き起こした東電の責任を国民が広く肩代わりすることは、「汚染者負担の法則」にも反します。東電の法的処理の上で、はじめて不足分を税金等から補てんするべきでしょう。
2.「原発の事故処理・廃炉費用が莫大」が明らかになったいま、まずは政策変更をすべき
今回の議論は、原発の事故処理・廃炉費用が莫大であることを、国も認めざるを得ないくなった事態であると言うことができます。「原子力はコストが低廉」とし、原発を保護し温存していく政策の撤回・変更なくして制度改革のみを議論することは許されません。
3.今後の大事故についても、同様に国民負担にすることができてしまう
今回、原発事故の賠償費用として、「過去にさかのぼって積み立てておくべきだった」という、通常考えられない論理により、「過去分負担金(3.8兆円)」の回収が提案されました。さらに、そのうちの一部(2.4兆円)について、2020年から40年にわたり、託送料金で回収することとされています。
このような論理が認められるならば、今回の制度変更を「前例」として、今後事故が起こった際にも同様に託送料金での回収が提案されることが十分に考えられます。
4.電力自由化の趣旨に反する
そもそも電力自由化のなかで、原子力事業者が負うべきコストを、託送料金を通じてすべての電力利用者が広く負担するしくみを作ることは、原子力を不当に保護することになり、電力自由化の趣旨に反しています。発電事業者が費用を負担しきれないような発電方法は、当然排除されるべきです。
5.国会での議論もない拙速で限定されたプロセスであり、民主主義に反する
東京電力の事故に対する責任、賠償、そして今後のエネルギー政策の根幹にもかかわる重大な議論にもかかわらず、国会での議論もなく、わずか3か月の経済産業省の審議会の議論で原子力事業者救済の制度だけ先につくってしまうという進め方そのものが、民主的であるとは考えられません。広く、国民的議論を行うべきです。
*FoE Japanも参加するパワーシフト・キャンペーンでは、9月21日に声明「『原発コスト安』は嘘だった―国民への8.3兆円負担転嫁ではなく、原発政策の転換を」を発表し、幅広い賛同を募っています。(12月14日提出予定、12日締切)
http://power-shift.org/info/160921/
*11月24日、「託送料金での回収」の是非を問う新電力アンケートの結果を発表しました。
http://power-shift.org/info/activity_161124/
国際環境NGO Foe Japan ホームページより
経産省の有識者会議が、東電救済・原発維持のためにとんでもない政策を決定した。
まったく東電なんか嫌だから、新電力に変えたのに、なんで原発事故処理の経費を負担しなければならないのか。
原発問題に翻弄される福島の農家に迫る
ドキュメンタリー「大地を受け継ぐ」
![「大地を受け継ぐ」のメインビジュアル「大地を受け継ぐ」](https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fimg.eiga.k-img.com%2Fimages%2Fbuzz%2F54208%2Fdaichiwouketsugu_new.jpg%3F1447750532)
「大地を受け継ぐ」のメインビジュアル
(C)「大地を受け継ぐ」製作運動体
[映画.com ニュース] 原発問題に直面し、苦心しながら福島県で農業を営む男性を追ったドキュメンタリー「大地を受け継ぐ」が、2016年2月20日から東京・ポレポレ東中野ほか全国で公開されることが決定。合わせて、メインビジュアルが初公開された。
本作は、今年9月にポレポレ東中野で開催された「福島映像祭」での1日限定上映で好評を博し、劇場公開を熱望する意見が多数寄せられたため緊急公開が決定。戦場による精神的後遺症などを描いた「戦争と一人の女」(監督作)、北朝鮮の拉致問題を糾弾する「アジアの純真」(脚本作)、原発と人の営みをつづる「あいときぼうのまち」(脚本作)など、これまで多数の作品で社会問題に鋭く切り込んできた井上淳一監督が、初めて手がけたドキュメンタリー映画だ。
福島県須賀川市で農業を営むひとりの男性が、原発事故によって農作物出荷停止処分を受けた翌朝、自ら命を絶った。残された息子・樽川和也さんは、母・美津代さんととともに畑を耕し続けている。一般公募で選ばれた11人の学生を前に、和也さんが汚染された土地の作物を流通させることに対する生産者としての罪の意識、農業への思い、福島という大地への思いを語る。
メインビジュアルは、和也さんの土のついた手が大きく描かれ、その隣には「知らなければ、何も始まらない だから、ボクらは福島へ向かった」というキャッチコピーが刻まれており、福島で農家を営む者の苦悩と真意を掘り下げた本作の製作意図を訴えている。
「大地を受け継ぐ」は2016年2月6日から福島・フォーラム福島で1週間先行公開、東京・ポレポレ東中野ほか全国で公開。
http://eiga.com/news/20151117/11/ より転載
この映画のDVDを購入して鑑賞した。
木訥な福島の農民が若者たちとの対話を通じて、原発事故の理不尽さを鋭く追求する。
東電・国などの不誠実さが事実をもって語られる。
涙無しには観られなかった。
この映画、来春3.11の行事として「原発なくそうミチバチの会」で上映会を計画している。
しかし函南町という所は、会場が極めて制約されている上、候補会場を予約開始日に申し込んだら既に行政が先行して押さえていて、今の所会場がないという事態に追い込まれている。
行政優先が平然と当たり前のように許されている行政っておかしくないかと思う。
公立の会館は住民のものではないのか。
そして昨日は韮山時代劇場映像ホールで開催された「標的の村」上映会に行ってきた。
この上映会、僕もお付き合いしているTea+αのママたちや、無農薬有機農法の農家のご夫婦など若い世代が実行委員会を作って開催したものだ。
彼ら彼女らの行動力や付き合っている層の幅の広さを象徴するような賑わいで、小さな子ども達も沢山集まっていた。
この映画も、ずっと溢れる涙を抑えられなかった。
虐げられ弾圧され、それでも不屈にヘリパッド建設反対の運動を続ける高江の人たちに対する共感は深く心を揺さぶり続けた。
民の連帯とは何か?
不当で理不尽な権力に抗する権利を誇りを持って掲げ続ける崇高さに感動だ。
二つの映画は、今の日本の現実を鋭く告発するものだから、一人でも多くの人たちに観て欲しいと願う。