教育と大人たちの罪/いじめと福島第一見学 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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原発避難いじめ 被害広げた大人たち

 

 愚かな大人がいかに子どもを追い詰めるか。福島第一原発事故で、福島から横浜に避難した転校生へのいじめの問題は、大人世界のゆがみを映し出した。人の痛みへの想像力が欠けているのだ。

 

 「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」

 

 今は中学一年の男子生徒が、小学六年だった昨年七月に書いた手記である。非道ないじめを耐え忍びながら、大震災で学んだ命の重みをかみ締めて、生きる道を選んだ。正しい決断だったと思われる社会でありたい。

 

 同じ苦境に立たされている子たちの励みになればと願い、公表したという。本来、こうした勇気や思いやりを培うことこそが使命であるはずの教育現場で、まったく倒錯した仕打ちが行われていた。

 

 小学二年だった二〇一一年八月に横浜市立小学校に転入した。直後からいじめられ、やがて不登校になる。暴言、暴力、恐喝まがいの行為に日々切りさいなまれた。

 

 「ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。福島の人はいじめられると思った」

 

 残念ながら、原発事故で、福島には、放射能と賠償金のイメージがつきまとうようになった。心ない大人の偏見や差別意識にもあおられ、いじめの標的にされやすいことは容易に察しがつく。

 

 学校と教育委員会はそうした特殊事情に配慮し、見守るのが当たり前である。にもかかわらず、いじめを放置した背景には、事なかれ主義と呼ぶべき体質が浮かぶ。

 

 生徒の持ち物が隠されても、自己管理の甘さのせいにした。百五十万円もの遊興費が巻き上げられても、警察の領分として取り合わなかった。学校の対応である。

 

 不可解なのは、警察を通じて金銭トラブルの実態が伝えられても、学校も、教委も腰を上げなかったことだ。小学生同士のやりとりである。金額の多さから異常事態を疑うのが当然ではないか。

 

 調査した第三者委員会は「教育の放棄に等しい」と難じたが、今の教育環境のままでは、子どもにとって有害でさえある。

 

 「いままでいろんなはなしをしてきたけど(学校は)しんようしてくれなかった」

 

 学校は「忙しい」と、耳を傾けなかった。子どもの命や心を守ることより大切な仕事があるのか。文部科学省にも、指導するだけではなく、自省すべき責任がある。

 

「東京新聞」社説より転載

 

 

福島の高校生、廃炉現場を見学 18歳未満で事故後初

 

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廃炉現場を見学する福島高校の生徒たち。後ろは水素爆発した1号機の原子炉建屋=18日、福島県大熊町の東京電力福島第一原発、川原千夏子撮影

 

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 廃炉作業が続く東京電力福島第一原発の現状を間近に見ようと、福島県立福島高校の生徒らが18日、18歳未満として初めて事故後の構内をバスで見学した。水素爆発などによる損傷が残る原子炉建屋汚染水タンク群などを、約2時間かけて車窓から見つめた。

 生徒たちは「スーパーサイエンスハイスクール部」などの13人。放射線や廃炉について自ら調べ、国内外に発信してきた。食い入るように廃炉現場を見た1年生の小桧山恵香(こびやまけいか)さんは「福島は怖いというイメージを変えるには、正しい知識を持たなければだめだと感じました。まずは同世代の高校生に『私たちも見てきたよ』と伝えたい」と語った。

 

 生徒たちのモットーは「一次情報」にあたること。廃炉作業も、東電幹部の講義などを通じて理解を深めてきた。昨年には、県内を含む国内外の高校生220人に線量計を送り、外部被曝(ひばく)線量の比較結果を発表するなど、データを根拠にして福島を理解してもらう活動を続けてきた。

 

 同行した顧問の原尚志(たかし)教諭は「生徒らは自分たちのふるさとの復興を進めるため、何かできないかと活動してきた。今日見たものがさらなる原動力になるはず」と話した。

 

 東電は事故後、18歳未満の視察を対象外としたが、放射線量も下がったとして例外的に受け入れた。生徒はいずれも見学を希望し、線量計を持参して見学。保護者の同意も得ているという。(川原千夏子)

 

「朝日新聞」より転載

 

 

横浜での原発事故避難者に対するいじめ問題と、高校生に廃炉作業をマスクもつけさせずに見学させたという記事。

どちらに共通しているのも子どもに寄り添えない大人たちが子どもたちを痛めつけていると言うことではなかろうか。

 

いじめに関して言えば、家庭内での親たちの思いやりのない発言が加害者の子どもたちに大きな影響を与えたと思われるし、学校では教員たちの無知とか無関心とかが加害者たちの行為を増長させた。横浜市教育委員会という組織は歴史修正主義の教科書採択には夢中だが教育の中身には関心がないかのように見える。

 

高校生に廃炉作業を見学させた学校も、この担任は「生徒らは自分たちのふるさとの復興を進めるため、何かできないかと活動してきた。今日見たものがさらなる原動力になるはず」など言っているが、放射能の恐ろしさをきちんと教えていたのか。

故郷の復興と廃炉作業の見物はどう結びつくというのか。

自分の「教育成果」を見せたいという「熱意」しか感じられない。

高濃度の放射能を浴びる危険について子どもたちはきちんと学習したのだろうか。

送り出した親たちは、そのリスクを覚悟していたのか。

 

そんな大人たちのエゴの犠牲になるのが子どもたちという図式はあまりに悲しくないだろうか。

 

「朝日」の記事も、まったく批判的観点を感じないが、この記者は放射能汚染について少しは学習をしてから記事を書いたのか。

「日本会議」系の人物が音頭をとって、福島原発近くの道路清掃を子どもたちにさせているなどという記事を読むと、原発事故を無かったことにしたい連中の意向を受けて、子どもたちを犠牲にした企画が大手を振って行われているなぁと思うけど、この見学問題と言い、少しは批判の目を向けてもらいたいと思う。

 

昨日の地震で福島第二原発3号機の使用済み燃料プールの冷却装置が1時間40分ほど停止した。

震度5弱でこの体たらく。

日本の原発の「安全性」なるものが如何に脆弱なものかを再び世界に明らかにした。