川内原発停止要請無視 傲慢さ増す原子力規制委 /長崎平和宣言とあまりに対照的 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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 原子力ムラの高笑いが聞こえてきそうな現状である。


 メルトダウン(炉心溶融)が現実のものとなった「3.11」以後、たしかに世論は“脱原発”に向かっていたはず。だが、5年が経過した現在、全国で停止中だった原発の再稼働だけでなく、「新設」まで容認される展開となっている。

 

 原子力ムラに向けられていた厳しい批判は鳴りを潜め、原発推進を公言する政権が度々の国政選挙で勝利しているのが実情。原爆にフクシマ――放射能被害の深刻さを体験しているはずの日本が、再び原発大国に戻るというのだろうか?
 

 

政治も民意も無視 ― 規制委の傲慢

 

 現在、営業運転中の原発は鹿児島県薩摩川内市にある九州電力川内原子力発電所の1、2号機だけ。再稼働に合意したのは、先月の知事選で4選を逃がした伊藤祐一郎前知事である。その伊藤氏を破って初当選したのは元テレビ朝日のコメンテーター三反園訓氏。公約の一つとして掲げたのが――「熊本地震の影響を考慮し、川内原発を停止して、施設の点検と避難計画の見直しを行う」――だった。知事就任後、三反園氏は改めて九州電力に川内原発の一時停止と再点検を要請する考えであることを明言している。

 

 これに対し、九州電力の瓜生道明社長は、丁寧に説明するとしながらも「一般論として法律上停止する権限を持っているのは原子力規制庁」として三反園知事を牽制。原子力規制委員会に判断を委ねることで、責任逃れをする構えだ。問題は、九電が頼りにする規制委の姿勢である。

 

 規制委の田中俊一委員長は、知事には原発の停止権限がないとして、相手にしない考え。先月27日の会見、鹿児島県側が川内原発の停止と再点検を求めた場合の対応について聞かれた田中氏は、次のように述べて三反園知事の考えを一蹴している。

 

 田中委員長:建前論から言うと、私から何も申し上げることはないけれども、何を点検するのかというのが全然私には理解できないのです。熊本地震の影響は川内原発にはないことは、私ども、さんざん発信してきましたので、まさかそのことをおっしゃっているとも想像できないので、何を点検するのかがよくわからない。多分、就任会見か何かで明確にされるのか、今後どうされるのか、よくわかりません。

 

 原発立地自治体の知事が原発を「止めろ」と言っているのに、頭からこれを否定する規制委。民意など関係ないということだ。傲慢さはエスカレートするばかりで、規制委の立場を確認された田中委員長は「裁判も政治も私どもの判断には関係ないですね」と言い放っていた。

 

 民意も政治も無視。すべてを上回る存在となった原子力規制委委員会が、復活した安全神話において「神」と化した状況だ。原発を動かすときは「知事の合意」を道具にする原子力ムラが、知事の停止要請を拒否するという不条理。国民不在の原子力行政には呆れるしかない。

 

 

首相のお膝元で「新設」容認の動き

 

 20110901_h01-01-thumb-280x240-1461.jpg原発推進の動きは再稼働に止まらず、「新設」さえ視野に入る状況だ。山口県上関町で中国電力が建設を目指す「上関原発」を巡り、山口県の村岡嗣政知事が3日、同社が申請していた海面埋め立て工事の免許延長を許可した。

 

福島第一の事故を受けて止まったかに見えた原発の新設計画が、安倍首相のお膝元で再スタートした形。脱原発への国民の願いは、一顧だにされていない。

 

 

「Hunter」より転載

 

 

こうした原子力ムラの利権に群がる連中とは真逆の田上長崎市長が8月9日に発した長崎平和宣言全文。ダウン

田中俊一以下原子力寄生委員会のメンバーも心して読んだらどうなのか。

 

 

68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。人々が暮らしていた街は一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち74,000人の方々が命を奪われました。生き残った被爆者は68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。

このむごい兵器を作ったのは人間です。広島と長崎で二度までも使ったのも人間です。核実験を繰り返し、地球を汚染し続けているのも人間です。

人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折りにふれ確かめなければなりません。日本政府に被爆国としての原点に帰ることを求めます。

今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に80カ国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。しかし日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。

インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有を目指す北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。日本政府には被爆国としての原点に帰ることを求めます。

非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。

核兵器保有国にはNPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。

2009年4月、アメリカのオバマ大統領はプラハで「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。今年6月にはベルリンで「核兵器が存在する限り私たちは真に安全ではない」と述べ、さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。

しかし、世界には今も17,000発以上の核弾頭が存在し、その90%以上がアメリカとロシアのものです。オバマ大統領、プーチン大統領、もっと早く、もっと大胆に核弾頭の削減に取り組んでください。「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、人間が早急に解決すべき課題として、核兵器の廃絶に取り組み、世界との約束を果たすべきです。

核兵器のない世界の実現を国のリーダーだけに任せるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうにする」という日本国憲法前文には平和を希求するという日本国民の固い決意が込められています。かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を戦争がもたらした数々のむごい光景を決して忘れない、決して繰り返さないという平和希求の原点を忘れないためには戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。

若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ ノーモア・ナガサキ ノーモア・ウォー ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声をあなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。被爆者の声に耳を傾けてみてください。そしてあなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか、考えてみてください。互いに話し合ってみてください。あなたたちこそが未来なのです。

地域の市民としてできることもあります。わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、平和の求める市民の決意を示すものです。宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は今月、設立30周年を迎えました。皆さんが宣言を行動に移そうとするときは協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。

長崎では今年11月、「第5回核兵器廃絶―地球市民集会ナガサキ」を開催します。市民の力で核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。

東京電力福島第一原子力発電所の事故は未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。長崎は福島の一日も早い復興を願い応援していきます。

先月、核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた山口仙二さんが亡くなられました。被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。

原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。

 

 

所用で車で京都に出かけていた。

京都市内の熱さは尋常ではなかった。コンクリートの照り返しもあり、まるで炎天下の海水浴に来ているようだった。

半袖から出していた腕の皮が日焼けで剥けた。

また街中を歩いている人たちの半分くらいは外国からの観光客。

レンタサイクルで走り回っている外国人も多かった。

夜はおばんざいの店で久しぶりに地酒の冷酒を飲んだが美味かったー!(^^)!

 

途中小浜まで行ったりしたので、総走行距離は990㎞。

今朝我が家の窓から入ってくる少し寒いくらいの風が心地よい。