お馬鹿なお馬鹿なシンキロウ、アナタの名前は森喜朗/こんなのが東京五輪のトップとは | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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ニコニコ動画「森喜朗チャンネル」より


 また、森喜朗元首相のトンデモ発言が物議をかもしている。昨日3日に行われたリオデジャネイロ五輪代表選手団の壮行会で、「先ほど国歌の斉唱があった。どうしてみんなそろって国歌を歌わないんだ」「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」と選手たちに説教をぶちかましたのだ。

 

 “サメの脳みそ”の森元首相のトンデモ発言に、ネトウヨたちは「正論」「よく言ってくれた」などと賛辞をおくり、「歌わないヤツは非国民」「税金使ってるんだから、歌って当然」「国歌も歌えないやつは、日本人やめろ!」「お隣の国の血が入ってる人がいるんじゃないか」などと選手たちをバッシングしている。

 

 国歌を歌うことを強制するという戦前思考にはほとほとウンザリさせられるが、この一件は国歌を歌うべきかどうかという議論以前の問題。まさに元首相とネトウヨたちのおバカぶりを露呈させることになった。

 

 実はこのとき、会のプログラムにも会場のモニターにも「国歌独唱」と表示されていた。みんなで声をそろえて歌う「斉唱」でなく、自衛隊の音楽隊に所属する女性歌手による「独唱」だったのだ。

 

「独唱」であれば、どこの国でも歌わずに静かに聴いているのがふつう。一緒に大声を出して歌うほうが変わり者だ。選手たちが歌わなかったとしても、当然だろう。

 

 そもそも五輪に出場する選手を自分の手駒のようにエラそうに説教して、選手たちを励ます壮行会という場で逆にシュンとさせてしまうという勘違いぶりも甚だしいが、当の自分が独唱と斉唱の区別も付いていないという、いかにも“サメの脳みそ”の森元首相らしいお恥ずかしい顛末だったのだ。

 

 ところがなぜか、この一件をほとんどのマスコミは扱わなかった。朝日新聞が第一報を打ちYahoo!トピックスにもなったが、4日深夜までのテレビは壮行会が行われたことは報じるものの、君が代の一件には一切触れていない。産経にいたっては、森元首相の説教を記事にしながら、独唱だった件は完全にネグっている。

 

さらに不可解だったのが、スポーツ報知だ。3日20時すぎに「森喜朗会長、国歌「斉唱」と「独唱」を勘違い? 選手に強い口調で苦言」というタイトルの記事を打ったのだが、ほどなく削除。まったく違うタイトルの記事に差し替えた。内容も一部修正している。

 

 報知といえば読売グループのスポーツ紙だが、本サイトでも繰り返し指摘しているように、最近の読売は、官邸の顔色を忖度する体質が蔓延している。今回の記事タイトル差し替えも、政権や日本オリンピック委員会からの抗議、あるいはネトウヨの“電凸”を受けてのものという可能性もあるが、いずれにしても過剰な自主規制であることは間違いない。

 

 過剰な自主規制という意味では、実は第一報を報じた朝日も、同じ。事実関係として斉唱でなく独唱だったことは書いているものの、森の間違いとは指摘していない。完全に腰が引けているのだ。

 

 いったい、メディアのこの及び腰はどういうことなのか。今回の出来事は、裏の取りきれないスキャンダルでも、政権の政策を真っ向から批判するようなものでもない、たかだか失言癖のあるトンデモ元首相の勘違い発言に、何をビビっているのか。

 

 おそらくは、「愛国心」「日の丸」「君が代」というワードの前に、思考停止してしまっているのではないか。権力者側が明らかな勘違いをしているにもかかわらず、政権やネトウヨに「反日」「非国民」と抗議されることを怖れて勘違いの事実さえも報道しない。

 

 問題は、スポーツの場に愛国心をもち込むべきか否か、国歌を強制すべきか否か、というレベルのことではない。それ以前の問題だ。

 

 これでは「反日」「非国民」という言葉の前にメディアが思考停止し、軍部の暴走を許した、戦中のような状況と変わらない。大袈裟な話ではなく、メディアの萎縮が相当ヤバいところまで来ている。
エンジョウトオル

 

 

「リテラ」より転載

 

 

「日本良い国、神の国」発言で辞職したシンキロウ。

なんでこんな人物が東京五輪組織委員会会長なのかと思っている国民は多いだろう。

安倍晋三との結びつきを指摘する声も多い。

要は根っからの国粋主義者が「老害」を恥とも思わずにしゃしゃり出ている訳だ。

独唱と斉唱の区別もつかなかったんだから、その音楽的素養は保育園児以下かも知れない。

だからネトウヨと呼ばれる皆様も、国歌を侮辱する国賊とシンキロウを罵るのが筋ではないのか。

 

国旗国歌法が反対を押し切って成立施行されたのが1999年8月13日。当時の小渕首相は共産党の志位和夫の質問に対して次のように答えている。

 

<政府の見解は、政府としては、今回の法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、国民の生活に何らの影響や変化が生ずることとはならないと考えている旨を明らかにしたものであります。なお、学校における国旗と国歌の指導は、児童生徒が国旗と国歌の意義を理解し、それを尊重する態度を育てるとともに、すべての国の国旗と国歌に対して、ひとしく敬意を表する態度を育てるために行っているものであり、今回の法制化に伴い、その方針に変更が生ずるものではないと考えております。>

 

要は強制しないと答えているのだが、シンキロウも当然その時議場に居たのだろう。

こんな答弁、すっかり無視なのね。

 

 

 

そして相変わらず腰が引けてる萎縮しきった日本のマスコミ。

あなた方のお陰で安倍内閣支持率は相変わらず4割台後半のようですね。

日本が戦争への道を転がり落ちたときも、日本のマスコミは再び「痛恨の反省」をするのかね。

 

しかしスタンディングなどをしていても、どうも反応は今一だ。

朝のJR函南駅前などみんな目の色が変わった感じで、僕らの方を見向きもしない。

 

駅に向かう小学生の通学路でもある狭い道で僕の車を後ろから煽っていたのは、隣に女子高生くらいの娘を乗せた母親だった。

電車に遅刻しないように形相が変わっていた。

駅前に家一軒たっていない緑たっぷりの田舎町の駅でも、みんな忙しなく改札口を無言で通り過ぎていく。

余裕がないんだなぁと思う。

こんな社会が幸せの訳がない。

そしてそんな状況下故に安倍は延命を続けられるのかな。