現在の地震の発生状況は、17世紀前半に類似している印象/歴史学者が語る歴史の教訓 | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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 ■歴史の例に学び警戒必要 磯田道史さん(歴史学者国際日本文化研究センター准教授)

 

 

 熊本市と周辺には東西方向に断層が走っています。これが動いてM6前後の震源の浅い地震が起きたとみられる記録がこれまでに3、4回あります。

 

 最古の記録は1619年です。八代(やつしろ)にあった麦島城(八代城の前身)が「城楼(じょうろう)崩壊」し「死傷するもの無数」、「都会たちまち荒陵と変ず」と、城下町が一瞬で消滅したとされています。

 

 それからわずか6年後の1625年には、熊本で大地震が起きました。今回の地震では熊本城の瓦は全部は落ちていませんが、この時は天守はもちろん、城内の家は瓦や建具が「ことごとく、おちくずれ、城中に人、五十人程死し、塩硝蔵(えんしょうぐら)(火薬庫)」が地震後の火災で爆発。城の瓦が「五里六里(20~24キロ)の外」まで吹き飛んだとされています。

 

 さらに約380年後の2000年にも今回と同様に益城町を中心とした震度5弱の地震が発生しました。

 

 歴史学者として見ますと、現在の地震の発生状況は、17世紀前半に類似している印象を受けます。まず、東北で慶長三陸地震(1611年)が起きて、津波が三陸を襲いました。その8年後と14年後に、熊本で二つの断層地震が発生。それから小田原地震(1633年)、という順番で大地震が起きました。今回は東日本大震災から5年後に熊本に地震が起きました。断言はできませんが、類似性は指摘できると思います。

 

 日本列島が地震活動期に入るとき、東北などで巨大地震が起き、地盤に大きなゆがみが生じ、各地の断層を動かすのかもしれません。そのメカニズムや順番に何らかの法則があるのかもしれません。

 

 17世紀前半の例では、東北震災後に、まず熊本、その次に小田原を中心とした関東の都市直下型地震でした。今回の熊本地震は、「西国」の出来事として見過ごさずに、家具の固定や建物の補強など関東でも警戒が必要です。

 

 熊本では、明治22年(1889年)にもM6・3の大地震が起きています。しかし、人の人生はせいぜい80年ぐらいです。当時地震を経験した人はもういませんから、この地域の人たちにとって初めての大きな地震ということになるのでしょう。地図上に断層をうかがわせるような地形の線が存在して、古文書にも大地震の記録があるような地域では、いつ起きてもいいように備えるべきです。

 

 一言付け加えるなら、熊本城は加藤清正が築いた名城で、今回の地震で崩れ落ちた石垣は「武者返し」と言われる、上に向かって反り返った構造です。敵には強いが、大地震には弱く、上から崩れます。歴史的に価値のある石垣ですから、官民一体で早期に復興すべきだと思います。

 (聞き手・山口栄二)

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 いそだみちふみ 70年生まれ。震災や津波の資料を収集・研究。著書に「武士の家計簿」「天災から日本史を読みなおす」。

 

 

「朝日新聞」より転載

 

 

恐ろしいな、東北三陸→熊本→小田原という流れが17世紀前半にあったとは。

地震列島だから何時何処でも地震に襲われる可能性が高いとは言え、実際に巨大な揺れに襲われて、家具が倒れてきたり家が潰れたりなんて経験を多くの人が持っているわけではない。

その時自分はどうするんだろうか。

来たらそれまでと諦めの境地に到達できない凡人は、せめて寝ているときに何かものが倒れてこないようにする以外無い。

我が家も飲み水と非常食、ガスコンロの蓄えを確認し、風呂の水は流さず、車のガソリンも早め早めの給油を心がけるようにしようと思う。

 

熊本荒尾市の山仲間から震源地から50キロ近く離れているので、無事とのメールが入った。

3.11の時の沼津の揺れより酷かったそうだ。

今年、九州の山登りは無理かも知れない。