米国原子炉メーカーの圧力で消えたメーカー責任/川内原発2号機も再稼働へ | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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【佐藤潤一の事務局長ブログ】

先日、安倍晋三首相は、四国電力伊方原発3号機について「(再稼働後に)万が一事故があった場合は政府が責任をもって対処する」と述べた。


民間企業の事業において、事故があった場合に政府が責任を負うというのは、納税者である国民全体が責任を負うと言っているようなものだ。全員の責任は全員の無責任につながる。


 

原発を運転して利益を得る電力事業者や原子炉メーカーが本来追うべき責任を負わなければ、安全対策への動機が薄れていくことは間違いない。



莫大な損害賠償


東京電力福島第一原発事故から4年以上が経過したが、現在、未だに12万人が避難生活を続けている。原発事故による損害賠償はすでに支払われただけで2015年8月現在で5兆円を超えた。


請求の内訳は個人が約71万件(2兆3131億円)、自主的避難者約129万件(3535億円)、法人・個人事業主約30万件(2兆3889億円)で、これには行政による除染やその処分、従事した公務員の人件費などは含まれていない。実質の損害額は、それ以上である。



政府は、また事故が起きた場合に、同様の負担を国民に課すのだろうか?



国が高額の保険を引き受け、その利益を民間企業が得る。この不合理な現実こそが安全神話を生み出したのではないだろうか?



それでは、安倍首相の「政府が責任をとる」発言の根拠は何なのか。



最悪な原賠法


それは原発事故の賠償責任を定めている「原子力損害の賠償に関する法律」(以後、原賠法)である。


この原賠法が、最悪の法律なのだ。


原賠法の目的(第1条)は、目下、「被害者の保護」と「原子力事業の健全な発達」の相容れない二つが並立しているが、後者の目的によって、前者の目的が著しく阻害され、この法律のもとではほぼ機能していない。後者を削除し、被害者本位の制度とすべきだ。


また、原賠法では、責任が原子力事業者(電力会社)に集中し、原子力事業者が責任を負えなくなると国が救済することになっている。これでは、原子力事業において利益を得ている原子炉メーカーなどはただ儲けである。



原発事故の負担が電気料金や税負担に偏ることがないよう、原子力事業者への責任集中の原則を止めるべきだ。そして、原子炉メーカーをはじめ、原子力発電に関わる計画、設計、建設、設備・燃料・資材供給、運転などに関わる数々の企業の事故の原因に責任のある者から先に賠償責任を負うべきである。



米国の原子炉メーカーの圧力で消えたメーカー責任

 


そもそも、このような最悪の法律が成立した経緯はどうだったのか。グリーンピースは、この原賠法の成立の過程を、情報公開法を利用し過去の行政文書などを発掘してレポートにまとめた。このレポートを読めば、原子力村に免責を与えた法律制定の背景に米国の原子炉メーカーの圧力などがあったことがわかる。


グリーンピース・レポート「原発にもメーカー責任をーー 原⼦⼒損害賠償体制のあるべき姿とは」


被害者保護の重視や原子炉メーカーが責任を追求される原賠法があれば、そもそも原発事業はリスクが多すぎて通常の企業では参画できない事業であることは明白だ。つまり、原発事業は被害者を犠牲にするという理不尽な形態でのみ可能となった事業なのだ。



政府は、相変わらず原発の再稼働を目指している。原発の再稼働を認めることは、このような理不尽な法律の存在を認めることにもなる。



原発をなくし、原賠法など必要のない社会を作るのが根本的な解決であることは間違いない。

 

 


http://www.greenpeace.org/japan/ja/news/blog/dblog/blog/54331/より転載



川内2号機 再稼働 複数炉の危険、想定せず

写真

 

 九州電力は十五日、川内(せんだい)原発2号機(鹿児島県薩摩川内市)の原子炉を起動し再稼働させた。二十一日に発電と送電を開始する。二〇一一年三月の東京電力福島第一原発事故後、新規制基準に基づく審査に適合した原発の再稼働は、今年八月の川内1号機に続いて二基目。 


 2号機は十五日午前十時半に再稼働した後、約十二時間後に核分裂反応が安定的に続く「臨界」に達する見通し。営業運転への移行は十一月中旬を予定している。


 川内原発前や福岡市の九電本店前では、再稼働に反対する住民らが抗議の声を上げた。


 1号機では再稼働後の出力上昇中に復水器のトラブルが発生し、作業が一時中断した。2号機でも問題が起きれば再稼働に厳しい目が向けられるのは必至で、九電は慎重に作業を進める。瓜生(うりう)道明社長は十五日、「緊張感を持って安全確保を最優先に今後の工程を進めていく」とのコメントを発表した。


 十五日午前十時半に九電の作業員が川内原発の中央制御室で、2号機の原子炉内の核分裂を抑えていた制御棒の引き抜き操作を始め、原子炉が起動した。


 再稼働の前提となる規制委の審査には、川内原発のほか関西電力高浜3、4号機(福井県高浜町)、四国電力伊方3号機(愛媛県伊方町)が合格している。


◆福島事故の教訓どこへ


 夏の電力需要ピークも原発なしで乗り切り、その後も安定的な電力供給が続いている九州で再稼働二基目となる川内原発2号機が動きだした。原発は目先のコストは安く、九電の経営にとっては好都合だが、原発の内外とも多くの課題を積み残したままだ。


 東京電力福島第一原発事故が見せつけたのは、複数の原子炉が近くで稼働する危険性だ。1号機の水素爆発で全作業の一時中断を迫られ、3号機の爆発では突貫工事で完成したばかりの2号機の注水ラインがずたずたにされた。複数炉が悪影響を与え合い、事態を深刻化させた。


 しかし、原子力規制委員会の審査は、複数炉の問題をあまり考慮していない。「新規制基準さえ満たしていれば、各号機で対処できる」(田中俊一委員長)ことが大前提となっている。がれきで資材を運べなかったり、十分な要員が集まらなかったり事前の事故収束シナリオを外れるような事態は想定していない。


 国内で火山活動が活発化しているが、桜島もその一つ。周辺の姶良(あいら)カルデラなどの巨大噴火への備えも必要だが、監視態勢は不十分で、核燃料の緊急移送もまだ検討中だ。


 住民の避難計画も形はできているが、県のトップらは「広域に避難するような事態にはならないだろう」と楽観的にみて再稼働を認めている。 (山川剛史)


 <川内原発> 鹿児島県薩摩川内市にある九州電力の加圧水型軽水炉。1号機が1984年、2号機が85年に営業運転を開始した。出力はともに89万キロワット。定期検査で1号機が2011年5月、2号機が同9月に停止した。13年7月、新規制基準の施行日に原子力規制委員会に審査を申請し、14年9月に全国の原発で初めて審査に適合した。1号機は今年8月11日に再稼働し、同14日に発電と送電を始めた。


 

「東京新聞」より転載


 

でもこの男は万が一の時は「政府が責任を取る」などとほざいている。
フクシマで安倍晋三はどんな責任を取ったのか。
この男の口からの出任せ言葉を聞くと吐き気がする。


「HUNTER」から「川内原発再稼働 崩れた知事合意の前提 」記事の抜粋転載

鹿児島の伊藤というミニ独裁者がやりたい放題で川内原発にGOサインを出した。

川内原発の実情

  下の写真、左は川内原発の海側。原発の温排水を放出する「放水口」そばの砂浜から撮影した一枚だ。中央上に原子炉建屋が見える。つい最近まで、撮影場所に行くことは容易で、原発の敷地内に入り込もうと思えば、できないことはなかった。現在は立ち入りを禁じる看板が立っているが、設置された監視カメラで侵入者を発見しても、相手が武装している場合は手も足も出ないだろう。原発には、自衛隊が常駐しているわけではないからだ。つまりテロ対策など皆無といった状況なのである。

 



 砂浜をさらに原発に向かって歩くと、フェンス越しにあるのが右の写真の「放水口」。このとおり、潮が引けば剥き出しとなる。原発の敷地内に入らなくても、放水口や取水口には、どの原発でも容易に取りつくことができるのである。放水口や取水口が破壊されたらどうなるか――福島第一のケースが雄弁に物語っているように、原子炉を冷やす冷却水の温度が下がらず、原発そのものが重大な危機を迎えることになる。

県民からも厳しい批判


  伊藤知事は、「百万年原子炉が運転して1回の事故」という前提を、「テロ等」の脅威が崩してしまうことを自覚していない。知らなかったというわけではあるまい。重要な部分を省いて、都合よく使っているだけなのだ。仮に、この停止条件を知らなかったとすれば、この独裁知事はあまりに無責任。この知事の下で策定された避難計画が、信用できるはずがない。15日には、川内2号機が再稼働する見通しだというが……。

 知事の会見記録を読んだある鹿児島県民は、次のように話している。


  ―― 会見の記録を読んで、知事は原発事故がまず起きないと断言し、仮に起きたとしても大したことにならないと極めて都合よく見ていることがわかります。「福島のようなことが起きたら最後ですが」と他人事のように言い、避難訓練の必要性すらないかのような話しぶりです。今般の桜島や口永良部の噴火ぐらいのレベルしか想定していないがゆえに、一自治体の公民館への避難ぐらいで済むという話になるのです。

 わけのわからない、合ってるかどうかもわからない数式を並べ立て、聞く者を煙に巻く――。知事が、過酷事故の場合の避難など何も考えていないことがよくわかりました。これから作業を進めるとはどういうことでしょう。“一億総活躍”と同じ類でしょうか。“安全神話”というよりも、知事の無知がなせる愚行なのかもしれません。こんな無責任な人間が、原発の再稼働に同意する権限を握っているとは……。県民を危険の渦に突き落とすとは、伊藤さんは悪代官を通り越して、まさに悪魔です。(鹿児島市在住の公務員)