デモをなめるな! 礒崎首相補佐官、百田尚樹らが「デモ参加者はアルバイト」とデマ攻撃/日当2万円! | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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 安保法制の強行採決を受けて、国民による抗議運動がさらなる盛り上がりを見せている。15日に行われた国会前のデモに参加した人の数は、主催発表で10万人。翌16日が4万人、昨日17日は5万人にのぼったという。

 こうした国民の動きに敏感になっているのは、ほかでもない安倍首相を筆頭とする政治家たちだ。たとえば、国家安全保障担当の首相補佐官を務める礒崎陽輔氏は、昨日、こんなツイートを投稿している。


〈国会前に6万人、10万人、11万人の市民が押し寄せたという報道がありましたが、警察発表では5千人未満ということだそうです。道路にあふれない限り、そんなに多くの人がいる場はありません。〉


 礒崎首相補佐官は本サイトで既報の通り、先日も、集団的自衛権をめぐるツイートを10代の女子に論破され、ブロックするという醜態をさらしたが、このつぶやきに反応したのは、百田尚樹氏だ。


〈ひどい水増し!しかも五千人も大半がアルバイト(^_^;)〉


〈大半がアルバイト〉と事実であるかのように書いているが、では、百田氏にはその証拠をぜひ出してみて欲しい。百田氏だけでなく、こうしたデマをネトウヨたちがいま必死で拡散しているが、その根拠としているのは、元「新しい歴史教科書をつくる会」会長・藤岡信勝氏のFacebookだ。


 藤岡氏はFacebookで、あるTwitterからの文章を引用しており、その内容は〈(国会前で抗議運動を行う人は)すべて政党からの依頼で集まった人たち〉〈参加者の中には「政党とテレビ局と両方から謝礼金をもらった」と話す人がいました。合わせて2万円以上もらう人もいます。職業を訊くと、いわゆるニートで、生活保護受給者でした〉というもの。


この出所も怪しい情報にのっかって、百田氏らは“デモ参加者はアルバイトが大半”と言っているのだろうが、仮に5000人に2万円の日当を払っていたら、1億円もの金額になる。一体、どの政党がそんな大金をばらまいているというのか。ほんとうなら腹を抱えて笑いたいところではあるが、百田氏や藤岡氏はこれを本気にし、実際、拡散の元凶となっているのだから無視できない。


 そして、礒崎首相補佐官の主張する〈5千人未満ということだそうです。道路にあふれない限り、そんなに多くの人がいる場はありません〉というのも大ウソだ。実際は道路に溢れるほどの人が国会周辺に詰めかけていたが、それを警察が必死で歩道に押し返し、「道路に溢れさせないように」していたのだ。それはもちろん、メディアが道路に溢れかえる絵を全国ニュースで流せば政権にとって大きな痛手となるため、警察を動員したのだ。


 現に、主催発表で10万人といわれた15日の夜はあまりに人が多すぎて一部道路まで人が溢れていたが、翌16、17日にはさらに警官の数が増え、周辺の横断歩道から国会前に人を通させないよう、バリアを張っていた。そして、国会正門前でタクシーを降りようとしても、警官が「ここでは降りられません」の一点張り。一方的な交通規制を敷いている。ちなみに、15日から17日までの3日間、国会前で抗議活動を行った大学生グループ・SEALDsは、人が溢れても混乱状態にならないよう、若い人たちが声を掛けあうなど、冷静に、気を配った運営を行っている。


 しかも、15日の夜は、国会正門前交差点から国会前交差点までの歩道はすし詰め状態で、国会議事堂前駅の周辺でも個々に抗議活動が行われていた。もし、国会正門前交差点から国会前交差点までの道路が解放されていたなら、そこを覆い尽くすほどの人数だったはずだ。ちなみに筆者は神宮球場の目の前に住んでいるのだが、15日夜の国会前はヤクルトvs.阪神戦などで満員になったときの観客数くらいはゆうにいるように感じた。神宮球場の収容人数は約3万5000人であるが、国会前では時間を経るごとにどんどん人が増えていったこと、朝から夜にかけて抗議に訪れた人たちの数を考えれば、10万人というのは大袈裟な数ではないと思う。


 こうした“民意の数”を、礒崎首相補佐官や、安倍政権の応援団員である百田氏はデマを流して矮小化させる。いや、このふたりだけではない。菅義偉官房長官は16日、定例会見で「国会周辺では若い人達が反対の声をあげているが」と記者に訊かれ、「私は全共闘世代だが当時はこんなもんじゃなかった」と発言。菅官房長官が全共闘運動にかかわったことがあるとは思えないが、この人はほんとうに現場に行ったことがあって、こんなことを言っているのだろうか。


 麻生太郎副総理も同様だ。派閥の会合で「ちょっと聞くけど、『とんでもねえじゃねえか』って言って事務所で抗議の電話をもらった人。どれくらい来た? そんなもんか、数十件ね。普通だいたいね、めちゃめちゃ来るはずなんだ、これ、新聞の言う通りだったら」と話し、抗議活動の実態がないかのように語ったが、それは彼のような政治家に抗議の電話をしたところで何の意味もないことを有権者が悟っているからにすぎない。政治家としての人望がないだけなのに、勝手に話をすり替えないでほしい。



 デモの参加人数を疑問視したり、雇われバイトだと疑う人は、一度、現場に来てみればいい。小さな子どもをおぶって「戦争反対!」と声をあげている若い母親、会社帰りと思しきスーツ姿の男性、涙を流しながらデモを見守る学生ふうの女の子、耳が不自由なのか、隣の知人に筆談でコールの内容を確認する女性……。筆者には、とても彼や彼女らが日当をもらって参加しているとは思えない。現場では知り合いとも遭遇したが、会社の有志で仕事帰りにやってきたと話していた。また、居ても立ってもいられず京都から新幹線に飛び乗ってきたという古い友人にも会った。彼らはみんな、ふだんは普通に会社勤めをする、政治運動とはまったく関係のない人たちばかりだ。


 右とか左といった思想の問題ではなく、生活者として安保法制に不安を覚え、安倍首相の独断的な政治に怒っている。その向けられた声を無きものにしようとしたり、抗議する人びとを何の根拠もなく“金目的だ”とデマを流して貶める。そのような者たちに民主主義を語る資格はない。


 自民党の議員は「国民は時間がたてば忘れるだろう」などと言っているらしいが、抗議運動の激化を恐れて3連休前に安保法制を可決させた安倍首相も同じように構えているのだろう。だが、国民は忘れない。きょうも、いまこの瞬間も、全国各地で抗議の声は高まっているのだから。
水井多賀子


「リテラ」より転載


国民の声を色眼鏡を通してしか観られない者たちは、結局歴史の徒花として消えていくしかないのだろうと思う。
安倍晋三のお友だちの「作家」は「作家引退」とか呟いたそうだけど、サッサッと引退すれば良いのではないか。
問題の本質を観ることが出来ない人間が、作家など勤まるはずがない。

アソウ君も、国民の怒りをまったく理解できないようで、さすがに朝鮮半島からの強制徴用者を酷使して莫大な利益を上げた炭鉱王の末裔だけのことはある。

気弱なシンゾー君はアソーさん頼み「
私の友だちのアソーさんという人がですね、『オレはケンカが強いから一緒に帰って守ってやるよ』と言って、一緒に帰ってくれることになって、アソーさんは私の前を歩いてくれている。」そうだから、国民の批判なんかまったく痛くもかゆくもないのだろう。

国民を舐めた政治家がどうなるか、思い知らせよう。

「共同」「毎日」そして「朝日」と世論調査の最新版が揃った。
いずれも支持率は35%から37%で、不支持率は46%から52%と逆転してきた。

60年安保条約が自然成立して岸退陣となったときの支持率が28%、第1次安倍内閣が突然に辞任したときは29%だったという。29%で、安倍さんは突然に体調を崩して政権を投げ出したのだ。その30%割れまでもう一息だからこそ、安倍晋三のお友だちたちは必死に嘘を発しているのだろう。


静岡脱原発MLからのメールを読むと、国会前の「戦争法案」反対の気迫がよくわかる。



「いろいろアドバイスをありがとうございました。17日は既に出発したあとでしたが、留守番役の娘から携帯で要点をしらせてきたのを新幹線の車中で受信しました。

おしらせのとおり霞が関でおりて地上に出ましたが、既に厳戒体制が敷かれて議事堂側の歩道は通れなくなっていました。反対側だけ通行可。


 当日は5時半から恒例の首相官邸前金曜抗議行動(脱原発首都圏連合主催)が始まり、日頃TVでしか見ない官邸の四角い建物をまじまじと目の前にみながら、太鼓にあわせて「原発やめろ、安倍もやめろ」とシュプレヒコールをあびせかけました。


交通規制を口実にここも過剰警備で、官邸前交差点向かって左の官邸側正面歩道はむろん、反対側正面の歩道も交通確保のためとかで抗議団体の放列は敷けず、集まった人数は交差点から遠ざかる方向の歩道に、官邸に向かって縦にたむろする形しか許されないようになっていました。


 安倍晋君はあきらかに怯えているなと感じましす。300人ほどの抗議団に対して官邸正面には8台もの警視庁の大型バスをならべ(一台は窓のない装甲車両)右側面の歩道は検問で人を通さない。一国の首相に民衆が生の声を届けようとするのをあらゆるやり方で邪魔しようとしている。官邸の建物も、外の道路も市民の税金を使って作っておいてこれは何だと言いたい。わんさと狩り出された警視庁の警官もわれわれの税金で養われている。


7時に抗議行動が終わり、議事堂うらの公園でおこなわれる安保法制と強行採決に抗議する7時半からの会場に向かおうと
しましたが、こちらは大変な人波で、警官が声をからして規制する細い通路は完全に渋滞し、何時になっても会場にはいれそうにない(主催者発表2万人)、遂に宿舎の門限がせまってきて途中から引き返しました。


激励に来た国会議員からは、強行した連中は「通してしまえば市民の反対なぞ二、三日でおわる」と高をくくった放言をしている、これからの60日間を廃案をめざして戦い抜きましょうと激励のメッセージが寄せられていました。


 横浜で一泊、今日は静岡市の「総掛かり行動」(主催者発表2000名、駿府公園)にはしごをして先程帰宅。


55年前、東京では30万のデモ隊が国会を包囲した60年安保の頃、N大学教職組理学部支部の新米書記長として参加、数10日に亘る抗議行動を多数の先輩組合員とともに戦い抜いた昔を回想しています。その時の経験にも照らして、老兵としてはこれから何をなすべきか、じっくり考えて見たいと思います。とりあえず御礼まで。」


明日から、土曜日までブログの更新を休みます。
またよろしくお願いします。