「朝日」叩きも虚しく「読売」の読者離れもとまらない | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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諌山裕さんが、週刊ポストの「危機だと思われた朝日新聞より読売新聞の方が部数減らしてた」という記事を取り上げ、面白い視点で新聞メディアについてのブログを書かれていました。そのとおりです。しかも、「溺れる犬は石もて打て」とばかりに朝日新聞の読者争奪を狙ったキャンペーンを展開したにもかかわらずです。
朝日新聞を叩いて新聞離れに貢献した読売新聞: 諫山裕の仕事部屋〈blog〉


週刊ポストの記事によると、朝日叩きのキャンペーンに現場は白けていたようで、大本営が現場の感触も知らずに、突撃命令を出した結果だったのでしょうか。

白石興二郎・読売新聞グループ本社社長は「読売の販売現場の一部で、行き過ぎた販売活動による迷惑をかけたとすればお詫びしたい」と謝罪した。一連のキャンペーンが“現場の暴走”だったかはともかく、その現場では早くからこれはチャンスどころか「新聞の危機」という実感があったようだ。別の若手読売社員がいう。

 
「もともと現場の士気は低かった。“朝日の読者が購読を止めたからといって、読売にすぐさま乗り換えるなんて甘い話はない”という意見が大勢でした」

危機だと思われた朝日新聞より読売新聞の方が部数減らしてた│NEWSポストセブン


信頼を大きく損ねた朝日新聞よりも、読売新聞のほうが減らした発行部数が多かったという事実は、もはや、新聞メディアをめぐる環境変化のビッグ・トレンドのまえでは、同業界のなかでのシェアを競い合う、つまり読者を争奪しあうことなどは虚しいことだという現実を突きつけたのだと思います。


新聞というメディアを襲う時代の変化の元凶は、いうまでもなくインターネットです。インターネットが普及すればするほど、新聞の発行部数は減少してきたのです。

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それはそうでしょう。状況が大きく変化しました。昔なら、新聞は、好きな新聞社を選んで購読し、世の中の流れを知り、また社説やコラムでどのように社会の変化をとらえればよいのかを得るための「必需」メディアだったのです。だから、読者の獲得競争に勝ち、発行部数が多いことも新聞の価値となったのです。


しかしインターネットの普及によって状況は一変しました。今や情報メディアの世界にはほんとうに数えきれないほどのプレイヤーが参加するようになりました。インターネットでは、新聞社を含め、雑誌社、放送局などのメディア、さらに海外メディアの日本語版も加わり、また多様なネットメディア、消費者、専門家、学者、ジャーナリスト、そして政治家すらプレイヤーとして参加しています。

今やロイターでも、AFPでも、ウォール・ストリート・ジャーナルでも、韓国や中国のメディアでもいくらでも日本語で読め、専門家の論文すら読める時代なのです。国や専門分野の境界線を超えた情報空間が広がり、情報量でも、即時性でも、情報の幅の広さ、その情報の解釈の多様性や深さでも、また集積度でもインターネットが優位に立ちはじめています。


つまり、情報はあふれ、消費者がどの新聞メディアを選ぶかの時代から、カテゴリーを超えて、どのメディア、いや情報を選ぶかの時代に移ってきました。情報も需要よりも供給量が上回ってしまったからです。

全国紙と全国紙、全国紙と地方紙といった同業者間の競争よりももっと大きなカテゴリー間、また個別の情報の競争の時代がやってきたのです。

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いまや新聞メディアは、情報を得るための「必需」メディアから、紙で読むほうが読みやすいと感じる読者のための「趣味」のメディアになってしまったのです。


中途半端なことに、新聞はインターネットと「共存」と「競合」の関係を余儀なくされてきています。諌山裕さんが書かれているように「新聞だけで勝負したいのなら、WEBとは決別して、読売の記事は新聞でしか読めない、ということに徹すればいいと思う」ということなのですが、きっとそれができないのでしょう。


広告収入を捨てられない、しかもWEBから撤退すれば、将来の生きる道すら自ら断ってしまいかねません。

時代に適応した戦略をとればいいじゃないか、もっとインターネットの時代にふさわしく、電子版に力をいれればいいじゃないかと思えますが、ところが、日本の新聞社は身動きがとれないジレンマを抱えてしまっているのです。


日本は、世界でもっとも新聞が普及した国です。日刊紙の発行部数で日本を上回っているのは日本の10倍以上の人口をもつ中国とインドだけです。しかも新聞社の発行部数世界ランキングのトップは読売新聞で、それに朝日新聞が続き、なんとトップ10に日本の新聞社5紙がランクインしているのです。そして発行部数の多さは、影響力の強さ、政治をも動かす権力としての存在感にもつながってきます。


そんな成功を支えてきたのが、宅配の仕組み、販売店のネットワークです。新聞社の収入で見ても、海外の多くの新聞社は、購読料よりも広告収入が占める比率が高いのですが、日本の新聞社は購読料の占める比率がおよそ6割を占めるほど高いのです。しかも、インターネット広告に広告を奪われてきたために、広告収入が減り、ますます購読料に依存することになってきています。


電子版への移行に拍車をかければ、今や新聞社の経営を支えている、宅配で得られている購読料を確実に失っていきます。海外メディアは、このところ、かなり電子版へのシフトが急になってきています。ニューヨーク・タイムスが電子版で先行するウォール・ストリート・ジャーナルに追いつくために、打ち出した講読料は、なんと最初の3ヶ月は99セントというものでした。しかし、日本の新聞社にはそういった思い切った電子版への移行を進める戦略はとりづらいのでしょう。


だから電子版が、紙の新聞の追加サービスというかおまけのように扱われているのですが、紙の新聞をとっていない立場からすれば、日本の電子版は高すぎるのです。だからもっとも先行し、中味も充実している日経ですら電子版購読者が伸び悩んでいるようです。


しかし総務省が行なった平成25年情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査で、新聞とテキスト系サイト利用世代別行為者率、つまり情報源がなにかの年齢階層別の結果グラフを見れば、たとえ宅配してもらっていても、平日で新聞を読む人は、もはや50代を超えてやっと50%を超える程度で、若い世代ではもはや宅配のビジネスモデルは破綻してしまっているのです。


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真綿で首を締められるように、発行部数も、広告収入もじりじりと減り続け、やがて販売店のネットワークも、記者をまるごと抱えることも困難になり、さらに質が低下していくというシナリオも十分に想定できます。


しかし、やがては、新聞メディアのポジションを創りかえる大きな転換を余儀なくされるのでしょうが、その時はネットメディアの傘下に入っているのかもしれません。新聞社の若い社員の人は、はやく立ち上がって改革の旗手を務めてみてはいかがでしょうか。どうせ今を乗り切ればなんとかなるという楽観的な人たちは、みなさまの将来になどは関心はないのですから。



「BLOGOS」より転載


ホントに僕の知っている20代30代の世代は紙の新聞を購読していない人たちが多い。
テレビもあまり観ていないようだ。
多くはスマホ、パソコンの情報頼みみたい。

新聞情報の行く末がどうなるのか、オピニオンリーダーはどうなっていくのか、国民の思想形成に影響を与える手法がどう変わっていくのかなど、なかなか気になる時代となった。