群馬県立公園「群馬の森」 朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑撤去の動き 歴史の真実否定するのか | 函南発「原発なくそう ミツバチの会」 ノブクンのつぶやき

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アジア・太平洋戦争での日本の加害記述をめぐって、外部からクレームがあったことなどを理由に、一部自治体が事実を記した碑を撤去したり、説明板の文字を削除したりする動きが起きています。その一つ、群馬県立公園「群馬の森」(高崎市)にある朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑について、県は7月、碑の設置許可を更新しないと発表、市民団体に碑の撤去を求めました。この問題の背景を考えます。

 (学術・文化委員会事務局 朝岡晶子)


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(写真)「群馬の森」(高崎市)にある朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑

全会派賛成で建立


 「群馬の森」の朝鮮人追悼碑は、東京ドームの5・6倍(26・2ヘクタール)の広大な面積を有した公園の中心部から、少し離れた静かな場所に建っています。2004年に市民団体が県の許可を得て建立したもので、今年が10年間の設置許可の更新をする年でした。

 1937年に北京郊外で起きた盧溝橋事件を機に日中戦争=日本による侵略戦争が中国全土に広がり、さらに41年、アジア・太平洋戦争へと拡大しました。この戦争で日本人男性の多くが軍隊に召集されたため、国内では労働力不足に追い込まれます。そこで日本政府と企業が行ったのが、朝鮮人・中国人の「強制連行」です。


 群馬県には当時、世界有数の航空機メーカーだった中島飛行機の工場が数カ所ありました。これらが米軍の爆撃から逃れることを目的として地下工場をつくるため、多くの朝鮮人が県内に強制連行されてきました。


 こうした歴史を「広く国民に伝え、正しい歴史認識を確立する」ことを目的として結成された「群馬県朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」(碑建立後「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会に改称)が2001年2月、県議会に追悼碑建立の請願を提出し、全会派が賛成して採択されました。


「政治的発言」理由に


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(写真)広大な「群馬の森」の敷地。この一角に朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑があります

 今年なぜ、県は追悼碑の設置許可を更新しなかったのか―。

 「追悼碑を守る会」は毎年、碑の前で追悼集会を行ってきました。この集会の中であった発言について、「公園の設置許可条件にある政治的行事はしないことに違反している」などとして、三つの団体が「追悼碑の設置許可取り消しを求める請願」を県に提出したのです。

 永井正取・日朝協会群馬県支部会長は「追悼集会での政治的な発言とされているのは、『朝鮮高校の授業料無償化を求めたい』『平壌宣言にのっとって日朝国交回復を望みたい』という朝鮮総連の方のあいさつ。これは事実に基づいた訴えであって、この発言のどこが政治的なのか。たとえこれを政治的だと言う人がいるとしても、そのことによって碑を撤去するなどという偏狭な県民であっていいのかと問いたい」と言います。


 県は、碑文の内容に「反日的だ」というクレームが寄せられていたことや、碑文に反対する団体が公園内で抗議行動を行ったことなども更新不許可の理由に挙げています。しかし、この碑文は「建てる会」の原案に県が数点にわたる意見をつけたため、両者で議論したのちに合意して作成したという経過があります。今回の更新不許可の理由にはなりません。


右派団体・メディアが


 設置許可の取り消しを求めてきた団体の中心は「群馬の森の朝鮮人追悼碑撤去を求める県民の会」ですが、この会の背後には「頑張れ日本! 全国行動委員会」群馬県支部の存在があります(全国組織の会長は田母神俊雄氏)。


また産経新聞(群馬版含む)が追悼碑についてくり返し批判記事を掲載。右派色の強い衛星放送「日本文化チャンネル桜」は昨年、「群馬の森に立つトンデモ追悼碑」という特集を組み、番組内で県庁などに抗議するよう求めていました。ヘイトスピーチ(憎悪表現)をくり返す在特会や右翼団体の「維新政党・新風」などが街頭活動の協賛団体として名を連ねています。


 6月県議会での更新不許可を求める請願には、自民党・公明党・新星会が賛成し、日本共産党とリベラル群馬が反対しました。日本共産党の伊藤祐司県議は反対討論で、追悼碑について「二度と過ちを犯さない誓いとして県議会の全会派が賛成して建てられたものだ」「こんな動きの先にどんな未来があるのか。近隣諸国といがみ合い、再び世界から孤立する道だ」と述べて請願の不採択を主張しました。


加害の事実に向き合ってこそ

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 県が追悼碑の設置更新不許可を発表した後、各方面から反発の声があがっています。


 8月7日、在日韓国大使館の金容吉総領事が群馬県庁を訪れて副知事と会談し、日韓関係に「悪影響が出るのは望ましくない」と述べました。


 東京歴史科学研究会は7月22日、追悼碑を撤去することは「憲法で保障された集会や言論の自由を侵すもの」であり、「歴史の事実を否定し、朝鮮人犠牲者の尊厳を冒瀆(ぼうとく)する行為」だとして反対し、存続を求める声明を公表しました。同会代表委員の須田努明治大学教授は「追悼碑の撤去とそれに至る経過は、安倍政権の右翼的で管理的な体質と無関係ではありません。日本軍『慰安婦』問題も同様ですが、このようなことをくり返している限り、アジアの中で友好関係は築けない」と指摘します。


 猪上輝雄「追悼碑を守る会」事務局長は、「碑の撤去は考えていません。全国の心ある人に呼びかけて存続運動をつくっていきたい。会として行政訴訟に踏み切ることや、請願署名を集めることも検討している」と語ります。


 須田氏はいいます。「ヘイトスピーチについて国連が対処勧告をし、国内でも民事訴訟で裁判所が損害賠償を命じました。世論調査でも嫌悪感をもつ国民が7割近い。一部行政の人権感覚が国際社会といかに温度差があるか、自覚すべきです」


 戦後70年を来年に控えたいま、加害の歴史の真実に向き合い、未来への教訓とすることのできる社会への歩みが求められています。



碑文「追悼碑建立にあたって」(一部)

 20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のさなか、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。


 21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。



長野・奈良では


 長野市の「松代大本営地下壕」入口の説明板では、朝鮮人労働者が工事にかかわったことを記した部分の「強制的に」という文言を、昨年8月から市がテープで覆いました。奈良県天理市では「大和海軍航空隊大和基地」跡地に設置した説明板を、市が今年4月に撤去しています。



「しんぶん赤旗」より転載


歴史の真実を覆い隠す、こうした攻撃が激化している背景には、歴史修正主義者・靖国派の閣僚が大勢を占める安倍政権があることは間違いない。
国連人権委員会からの勧告も何のその、ますます図に乗る安倍政権が国際的孤立の道を歩んでいるのは明らかだ。

金目の話で、外遊の度に気前よく資金援助を約束し、日本企業の儲けの場の開拓に余念が無い安倍晋三は、そうした事で中国包囲網を作り上げるつもりかも知れないが、国際世論を味方につけることは出来ないだろう。

中国も日本を利するかの如き膨張主義的行動は、自らの真の利益とは相容れないと肝に銘じた方が良い。
習近平も国際感覚を試されている。

以前利用した「富士国際旅行社」という会社から届く広報誌を読んでいたら、ベルリン在住37年という女性の投稿が掲載されていた。
今の日本がドイツでどのように見られているか興味ある内容だったので紹介する。


ドイツからみた日本   浜田和子

 『ドイツのメディアはこの6 月の集団的自衛権の閣議決定について「日本は平和主義からの離反を完遂した」というような見出しで取り上げた。国民の70%が反対し、焼身自殺を図る人が出たというなかで、70年来の憲法の平和主義の掟をゆるめ、軍隊が外国に出兵できるように閣議決定がなされたと伝える。



 ベル
リンのターゲスシュピーゲル紙は安倍首相が4 月にベルリンを訪れたときの発言を引いて、「日本はドイツと同じ立場に立つことになる」と言うけれど、ドイツと日本の間には決定的な違いがあるとして、「過去の克服について」の問題をとりあげている。


  ドイツは過去数十年に渡り、積極的に隣国との和解に努
め、いまやかつての敵は現在の同盟国となり、ドイツがもっと世界政治に介入するようにように要請されている。  


  一方
日本は自らの過去について本当の意味での見直しをしていないだけでなく、安倍首相自らが国家主義的な発言をし、戦争犯罪人を祀っている靖国神社に参拝するなどして、韓国や中国の国民の感情を害している。


 領土問題などで緊張
関係にある隣国はこの平和主義からの離反を全く別の意味で理解するであろうと、アジアのなかで孤立している日本を批判する。


 また軍隊の出兵についても、日本では通例の議会の承認
を得るという過程をふまずに、閣議で決定するということだが、議会に留保権がなければ出兵についての公の議論も起こりえない、といって議会無視を批判している。


 そして「日
本の政治階級と国民の間には福島の事故以来、原発政策をめぐって溝が掘られたが、その溝が今やさらに深くなるであろう」と結んで、福島以後の日本社会の政治不信を危惧している。


 ドイツのメディアは特に福島以後、国民の政治
不信を心配し、アジアでの孤立を批判、日本の多くの人たちの考えを代弁をしている感がある。


 7 8 日ドイツのメルケル首相は7 回目の訪中を終えて
帰国した。ドイツにとって中国経済がいかに重要であるかがわかるというものだが、それにしてもメルケル首相がその長い任期中に日本には一度も行っていないというのは、ドイツでの日本の地位を象徴しているのだろうか。』